August 10, 2004 12:00 AMシェルター 英国航空B-747のアッパーデッキで、ケイスの座席はベッドに変わるが、それを見て彼女は小舟を連想する。へクセルのガラス繊維とチーク仕上げのラミネートでできたコラクルだ。機首に一番近い席で、視野をさえぎる座席ユニットは一つもない。 「パターン・レコグニション」ウィリアム・ギブスン 浅倉久志訳から引用 現在住んでいる部屋はLDKと寝室を合わせると、16畳ぐらいある。一人暮らしには十分な空間だ。その前には、6畳にも満たないワンルームで生活していた。無論、狭い部屋がイヤで引っ越した訳だし、現在の生活には満足している。また、あの部屋に戻りたいとは思わない。5.5畳ぐらいの空間に机、ベッド、スライド本棚、19インチのテレビを乗せたAVラック、ターンテーブル2台にミキサーなどを置いていた。自由に使える空間はそれこそ畳み一枚分ぐらいしかなかった。来客を迎えるのも狭すぎて困難だった。 でも、かつて住んでいたその狭い部屋のことを懐かしく思い出すことがある。狭かったけれども、新築だったから清潔だったし、狭いから掃除もラク。ユニットバスも機能的だし、エアコンの効きもいい。机に座っていても、ベッドに寝ていても、すぐに何にでも手が届く感じだ。 その頃は雑誌の編集をしていたので、部屋で仕事をすることはあまりなかった。むしろ、部屋は仕事や都会のノイズや興奮から逃れるシェルターとして機能していた。狭くて空間は限られているけれども、機能や環境は高度にコントロールされている。物件の場所も環七から少し入った狭い路地にあったので、ほとんど車が入ってくることもなく静かだった。だから、シェルターとしては最高の環境だった。 今でもその空間が懐かしく思えるというのは、時々疲れたりストレスでシェルターに逃げ込みたいという気持ちが起きているのだろう。 ここ10年くらいは利用していないけれども、カプセルホテルもキライじゃない。あのプラスティックで作られたユニットやマウントされた照明やテレビもSF的で素晴らしい。 これらの感覚、シェルター感覚とでも呼ぼうか、の究極的な形といえば「マトリックス」に出てくる人間電池だろう。核戦争で太陽発電のできなくなったマトリックスの世界では、人間を電池の代わりに使っている。ロボットに管理されたカプセルに羊水のような液体と一緒に入れられて、体毛はすべて剃られて、延髄部分にプラグを付けられている。そのプラグを通して「マトリックス」と呼ばれる仮想現実を脳に送り込まれて、さも自由に生きているかのような幻想を与えられ、それによって動く筋肉によって発電している。 傍目から見れば、「何と、マヌケで悲惨な」と思うかもしれない。でも、そのカプセルから出ても待っているのは電気クラゲの追撃とぼろい船、ボロボロの服とゲロみたいな食事だったりする。 「マトリックス」から解放される方が幸せということにしないと映画的に成立しないけれども、現実問題として「マトリックス」から解放される方が幸せかどうかは分からないし、少なくとも快適さにおいては「マトリックス」の方が数段居心地がいいのは間違いない。 それと同じことが、現実の世界にも当てはまらないか? (つづく) トラックバックコメント
なんとなく奥山さんの言ってること分かります。 隅っこが好きだ。押入れやすっぽり入り込める柱の間や階段室も好きだ。 人間電池で、今ここにいる私って何、という泥沼に久しぶりにはまってしまった。 「ディック的」では、はまらず逃げ切れたんですが。 Posted by: jugon : August 10, 2004 01:52 AM仮想現実が自分にとってオイシイ内容なら素晴らしい。 隅っこ好きです。今の部屋はベッドの上の天井に コミックの「風の谷のナウシカ」もそんな内容でしたね。 上記の訂正です。お坊さんは「幸福」が欲から生まれ、「安楽」がたどり着くところと言っていました。幸は物質的であり(海の幸など)安楽は状態の事をいうと。 Posted by: 森脇 : August 12, 2004 07:42 AMコメントする
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