November 26, 2004 12:00 AM快適音楽生活に隠された影の歴史 2(November 22よりつづく) 高校に入り市内に通い始めると、レンタル店を利用できるようになった。ラジカセもCD付きにパワーアップしたので、レンタル屋で借りてはテープに落とすという作業を繰り返してライブラリを増やしていった。他の店ではどうだったのか分からないが、オレが利用していた店「ミュージック昭和」ではレンタルコーナーと一緒にコピー機が置いてあって、インデックスをコピーすることができた。手書きでインデックスを書く苦労から解放されたのだ。同じ場所にカセットも売っていたし、CDのパッケージには収録時間を書いたシールが貼ってあったから、尺に合わせてカセットを選ぶことができた。カセットの収録時間は割と細かく分けられていたし、カセットのデザイン、色も豊富にあった。また、ノーマルポジション、ハイポジション、メタルテープなどグレードの違いもあった。 高校生の頃にはたまにCDを買う程度の小遣いはあったが、メインの音楽供給元はやはりレンタル屋と友人同士の貸し借りだった。だから、この頃も基本的にはバックアップとコピーで音楽生活を送ってきたことになる。これまでとの違いはレンタル屋で借りると、著作権者にもちゃんと収入が入るという点だ。そういう意味では、金のない割に筋の通った真っ当な音楽生活だったといえる。 浪人、大学時代は東京に出てきた。東京には田舎の時には無かった外盤屋が沢山あった。外盤は国内版に比べると圧倒的に安い。その頃にはほとんど洋楽しか聴かなくなっていたし、バイトなどで自由に使えるお金が増えたので、割と自由にCDを購入することができた。この頃はダブルカセットデッキ付きのミニコンポを使っていたのだが、たまにまとめてレンタルしてきた旧譜をバックアップする程度で、ほとんどのCDやレコードを購入するようになっていた。 この時期に「不健全」な音楽生活を送っていたとすれば、ブートレグの存在があった。ブートレグとは海賊版のことで、アーティストのライヴなどを隠し録りしたものを、パッケージにして売っているものだ。ライヴを録音することは主催者側が通常禁止しているし、それをコピーして商品として流通させるのは当然違法である。ただ、あまりにもニッチというか、マーケット自体が小さすぎいわゆる本当の好事家のみの世界だったので、著作権者側からは黙認というか無視されていたようだった。 今のようにジャズ喫茶にまでジャスラックから何百万も請求が来る時代なら黙認されることはないだろうが、当時はそれほど目くじらを立てられなかったのだ。もちろん、隠し録りされた音源なのでクオリティは低いのだけれども、好きなアーティストのライヴを聴きたいという欲求には勝つことができずに、ブートレグのCDやビデオをたまに西新宿のマニアックな店で購入していた。バックアップはほとんど取らなくなっていたが、コピー商品にはちょっとだけ手を出していた時代だ。 社会人になったあたりで、MDが登場してきた。オプティカルで入力できたり、ランダムアクセスできたりとカセットには無い素晴らしい機能が満載だったのだが、ほとんど使わなかった。というのも、この時期になると忙しくてCDをレンタルしなくなってしまったのでニーズが無くなったのだ。もっぱら、購入したCDをポータブルCDプレーヤーで聴いていた。 (つづく) トラックバックコメント
懐かしい・・・ミュージック昭和。 ミュージック昭和・・・ 私は友人とCD貸し借り派でした〜。 私もあと数日で33歳となる身。 感受性の高い14、5歳にCDやウォークマンと出会えたのも、音楽に狂った(?)年代になった要因なのかと。 最後になったけど、小説楽しみにしてます。 Posted by: りさあ : November 26, 2004 09:54 AM10歳離れた兄弟のおかげで小学生の頃からKISS、クイーン、ビートルズを聞き、 コメントする
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