January 18, 2005 12:00 AMホスピス論議最終結論 1昨日の午前中、父親から電話がかかってきた。明日、話がしたいからサ母と共に上京したいという。正月に会ったばかりだし、こちらとしては別に話したいことも何も無いという感じだったので、何の話かと聞いたところ「治療について」とか言ってきた。 この時点で何か様子がおかしかったし、キナ臭いものを感じ取ったのだが、無理に拒む訳にもいかず承諾した。翌日、2人が家に来た。掃除や食事などいつもやってくれるルーチンを一通りこなし落ち着いた様子だったので、何の話をしに来たのか問うたところ「ホスピスに入れ」という趣旨の話を始めた。 以前も日記かガンエヴォのどちらか忘れたけれども、ホスピスには入りたくないし、考えるのもイヤだとハッキリ書いた。掲示板でも「ホスピスはそんなに悪いところではない」だの「オクヤマさんは、ホスピスに偏見を持っている」だの「心配される内が花」だのいろいろ盛り上がってたけど、本当にウンザリさせられた。この話題については正直言って触れたくないんだけれども、ちょうどいい機会だし自分にしか書けない内容でもあるので取り上げてみたいと思う。 まず、ホスピスという言葉の成り立ちや歴史から書いてみたい。PCにインストールされた「エンカルタ百科事典」によるとホスピスは「緩和ケア」を施す場所となっており、その説明に紙面が大きく割かれている。緩和ケアとは「治癒する見込みのない癌などの疾患におかされた患者と家族に対し、終末期のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)を向上させて、安らぎを持たせることを目的として、トータルに人間を見ようとする全人的ケア。ターミナル・ケア(終末期医療・末期医療)、緩和医療とも言われる」とある。 歴史的には「1967年に、イギリスで末期ガン患者に安らぎをあたえるために、看護師だったシシリー・ソンダースが医療施設とは切り離して設立したセント・クリストファ・ホスピスが、緩和ケアの先駆けである。'75年には、カナダのロイヤル。ビクトリア病院に緩和ケア病棟(PCU:Polliative Care Unit)がはじめて設置された。英語のPolliativeのもとになったラテン語のpallium「外套(オーバーコート)」という意味で、寒さに直面している人に対して外套をさしかけることでしのいでもらうという意味がある。日本では、1973年(昭和48)に大阪府の淀川キリスト教病院にホスピス・プログラムが導入され、'81年に静岡県の聖隷三方原病院にはじめてホスピス病棟が設置された。'90年(平成2)、に厚生省(当時)の定めた設置基準は患者1.5人に対し看護師1人、専任の医師が常駐、患者一人あたりの病床面積8平方メートル以上、半分以上は個室、差額ベッドは半分以下、入退棟を決める「判定委員会」の設置を求めた。 コメント
う〜ん、勉強になりました。 自分にしか書けない内容でもあるので取り上げてみたいと思う。 ↑これってすごい重要だと思う。自分に今何ができるかって考えた時、 個人的には、ホスピスって合理的な手段だとは思うけど、その是非ってのは、 ひとつの問題に対して、一つの答えが出るなら、それを微積で解いたって、 と、思ったのであります。珍しくフランクな口語体で。 Posted by: eng : January 18, 2005 12:56 AMホスピスですか。。。 うちの母は痛みが強かったので、そのコントロールのために緩和ケア病棟に入りました。 治療の術が無く、かつ痛みが耐え難くなったらホスピスもいいかもと思っています。でも今は病院もイヤ!幸いゼローダが効いているので当面の心配はないのですが。 ホスピスのことはともかく、生きて、生きて生き抜いてほしいね。その若さで「もう、疲れた」なんて甘いことは書かないでほしいよ。(書かないと思うけど) Posted by: のり : January 18, 2005 01:50 PMhttp://toubyou.ameblo.jp/ このコはホスピスに入るのを選んだコなんだけどね。 積極的な治療を受けて だから、周りは本人に任せるべきだし、 積極的治療にしろホスピスにしろ、良い面とそうでない面があり、 pazzoさんの意見って高みの見物って感じね! Posted by: のり : January 18, 2005 03:08 PMそんな事ないと思うけど。 のりさん、 ちょっと挑戦的に書いたと自覚してます。 Posted by: のり : January 18, 2005 06:36 PM私は肉親を何人か癌で亡くしていて、痛みに耐える姿も 痛みに耐えるのが負けない事って、ちょっと違うと思うので。 ただ、ホスピスに入ることで命が縮まるとかいうなら でも選ぶのは自分だし、治療法を医者まかせではなく ++++++++++++++++++++++++ そうですね、挑戦的である必要はないですね。高みの見物のように感じたのは感想です。色んな人の意見を引用して、だから答えはこうだ、みたいに読めたんですね。引用された方々の意見はpazzoさんの意見ではないので、反論も述べられない歯がゆさがあったと思います。 Posted by: のり : January 18, 2005 07:28 PMhttp://toubyou.ameblo.jp/entry の子のプログは事実なのでしょうか。 癌患者の私の修行がたりないにかな? 私には 美しすぎて ちと 違和感。 奥山さんの感想聞いてみたい気が・・ Posted by: M : January 18, 2005 08:59 PM私は命にかかわる病気ではありませんが、もう3年以上通院しています。自分がかかっている病気についてもっと知りたいと思って、患者の会に参加しようか?と考えた時期もありましたが自分より病状の進行した患者さんに会うのが怖くて(いずれ自分も?と思うと・・・)止めました。ホスピスには良い所もあると思いますが、毎日顔を会わせている方達が病状が悪化したり亡くなったりするのを見る事は耐え難いと思います。奥山さんのホスピスは嫌、という意見に賛成です。でもご両親が遠方にお住まいでこれからどうするか、という肝心な問題について私には良い答えがみつかりません。ごめんなさい。 Posted by: miki : January 19, 2005 01:12 AMまぁ、ほとんどの人が死ぬ時は選べないし。 ホスピスというのは沢山ある選択肢の一つとしての、まわりの方たちの提案という風に捉えたらいいんじゃないかな。奥山さんは提案されたら、自分の考えていることを話せばいいと思う。今は奥山さんに一本でも多く自分の納得できる作品を書くことにエネルギーを注いで欲しいな。 Posted by: アッコ : January 19, 2005 04:52 AM去年から始まったガンエヴォの一つの山場みたいな気がします。(まだまだこれから山場はいっぱいあるはずだけど) 単純な話ですが、やっぱり私なら、 うちのおばぁちゃんは90歳を過ぎてがんになり、 介護する側としては、それはそれは尊厳を持って でも、90歳のがん患者ということで、 どのように最期を迎えるのか、それはその人の意思や 私がPalliative Careに関して一番大切だと思うことは、自分の感情をどれだけ正直に恐れずに大切な人に伝えることができるか、ということだと思います。 私は知り合いの方を去年癌で亡くなりました。自宅療法だったのですが、最後はモルヒネが全く効かなくなりました。痛みなどを緩和する研究が盛んな今、そんなことはめったにないのですが、その方は最後まで痛み苦しみました。 その後私はPalliative Care関連の文献をたくさん読み、カナダ人の医師の方が ”稀にモルヒネが効かなくなる患者さんがいるが、それは患部から来る痛みというよりも、心に引っかかっているものから来る時だ”と書いてあり、愕然としました。 今、私が思うのは、人はもともととても弱く、誰も一人で生きていけるようにはなかなか出来ていません。そういうきつい時に、誰かが”今どういう気持ちなのか”ということをただ傾聴してくれる人がいれば、かなりその人は癒されるところがあると思います。 コメントする
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