September 30, 2004 10:34 PMSeptember 30, 2004 01:44 PMSeptember 29, 2004 08:14 PMSeptember 28, 2004 10:14 PMSeptember 28, 2004 10:10 PMSeptember 28, 2004 07:35 PMSeptember 28, 2004 12:00 AM個人的新聞クロニクル 3(September 24よりつづく) 退院してからも、新聞は取り続けることにした。入院中に新聞を読む習慣がすっかり身に付いてしまったからだ。そして現在に至るという感じだ。入院中から現在に至るまでは、朝日新聞を取っている。これは朝日新聞に一度取材をして頂いた縁があるというのと、コラムニストの勝谷さんがいつも朝日をやり玉に挙げるので、それを愉しみたいからというふたつの理由がある。 入院中と比べるとまた、新聞との付き合い方が変わった。入院中は毎朝確実に新聞を読んでいて、溜めるということがなかった。でも、現在は時々新聞が溜まることがあり、まとめて読むときがある。 ニュースソースとしての新聞のスピードは現在接しているメディアの中で一番遅い。朝起きて、ベッドの上で起動するノートPCのネット新聞のヘッドラインがその時点で最新情報だ。次はベッドから起きて着けるTVのニュースだ。次にドアに刺さっている新聞を持ってくるのだが、ここに書いてある情報が一番遅い。何しろ、ネットもTVも本日起こった事件をすでに報道しているのだけれども、新聞は昨日起きた事件までしか書いていない。 スピードという点では、新聞は劣等生だ。他のメディアに完全に負けている。けれども、未だ無くならないのはなぜだろうか。紙のメディアだから持ち運べるとか、そういう理由もあると思う。でも、オレが考える新聞の魅力というのは、読まないで溜めておけることだと思う。 これはどういう意味か? 例えば、TVのニュースだったら、その時見逃したら基本的には終わりだ。もちろん、録画してみることはできるけれども、録画したニュースを見る時間があれば、最新のニュースを見るだろう。ネットのニュースも同じだ。サイトが切り替わってしまえば、過去の情報はアーカイブに押し流されてしまう。 でも、新聞は違う。リアルタイムで読んでいなかったとしても、後から好きな時間にまとめて読むことができるのだ。それでは、リアルタイムなニュースに乗り遅れる? もちろん、ネットとTVのニュースも普段から見ておいての話だ。ベッドかなんかに寝ころんで、好きなときに思う存分読める。 September 27, 2004 07:27 PMSeptember 25, 2004 10:46 PMSeptember 24, 2004 11:12 AMSeptember 24, 2004 03:21 AMSeptember 24, 2004 12:00 AM個人的新聞クロニクル 2(September 21よりつづく) 中学に入ると、普通の新聞を読み始めるようになった。オレの実家は今から思うとメディア・リテラシーがとても高くて、なんと新聞を三紙も取っていた! 朝日、読売、山形新聞だ。どれか一紙だけだと、報道が偏向するのを父親はよく知っていたのだと思う。なので、オレは中学生にして、毎日新聞を三紙読み比べるという新聞少年になっていた。読み比べで面白いのは、事件が起きたときの扱いの大きさだ。山形新聞は地方紙なので、当然地元の事件が大きく扱われる。朝日よりも読売の方がリベラルな感じというのは、中学生にも感じられた。読売は文化面が朝日より充実していたし、朝日より柔らかい印象があった。とにかく、新聞を読むという行為が、食事を摂るのと同じようなごく日常のものになっていた。 浪人大学時代の一人暮らしの時は、読売新聞を取っていた。文化面が充実しているのが、魅力だったからだ。この時期には新聞を切り抜いてスクラップブックを作ろうとしたこともあったが、すぐに挫折した。それでも、新聞を読むということは生活の一部として存在し続けたし、そんなにお金に余裕があった訳ではないのだが、新聞は取り続けていた。 変化があったのは、就職してからだ。出版社に就職したのだが、最初の内はいつもの通りに読売をとり続けていた。しかし、編集者という仕事を体験したことがある人なら分かると思うけれども、とにかく狂ったように忙しい! 特に新米の頃なんて出社するのがやっとで朝食はもちろん、新聞を読む時間なんて無かった。それに新聞の料金徴収とかが来る時間帯には家におらず、料金も払えずじまい。 それに、この頃になってくるとネットが常時接続になった。なので、ネットの新聞を読むようになってしまっていた。結論から言えば、これは新聞の代わりにはならないんだけれども、時間がないのを理由にネット新聞を読む生活になってしまっていた。 それから、会社を変わったり、フリーになったりしたけれども、新聞を取らない状況は続いていた。また、新聞を取り始めたのは、入院がきっかけだった。面白いことに、オレが入院していた病院はスポーツ新聞を含む主要な新聞を毎朝ベッドまで配達してくれた。しかも、毎回100いくら払って買うこともできたし、月極で払うこともできた。ベッドサイドにはテレビもあったし、ネットも常時接続環境を確立していたが、また新聞が激しく読みたくなった。時間も有り余っていたし。 September 23, 2004 09:28 AMSeptember 23, 2004 09:23 AMSeptember 23, 2004 12:31 AMSeptember 22, 2004 11:54 PMSeptember 22, 2004 01:11 AM停電中
1時間ぐらいで復旧したけれど、寝ちゃった。 それにしても、無印のこのライトはマジで素晴らしいね。今回無かったらやばかったよ。 September 21, 2004 05:52 PMSeptember 21, 2004 12:00 AM個人的新聞クロニクル 1新聞が好きだ。 21世紀に入って数年がたっているというのに、未だに自転車で若者が配達に来るという前近代的な流通もいいし、有機EL液晶などの電子ブックがもうすぐ実用化だというのに紙に印刷されているというのも味がある。さらには、広げたときにガサガサいう音や新聞紙独特の紙の触感、他の印刷物には無い大きさ、独特な文字組みも魅力だ。 新聞のメディアとしての特性よりも、モノとしての新聞が好きだ。分かりやすく例えると、例えば「パソコンが好き」という人は何も色気のない基板の詰まったハコとしてのPCが好きなのではなく、PCがもたらす情報やコミュニケーション(出会い系サイトとか)が好きなのだろう、普通は。この例えでいうと、オレはハコとしてのPCの佇まいが好きということになる(また、変態っぽいが)。 そう、新聞の佇まいが好きなのだ。読まないで溜まってしまった新聞がベッドの脇に積み上がっていく様子も好きだし、読み終わって少しくたびれた感じの新聞が窓からの風に吹かれてふてくされたようにだらしなく広がっていたりするのもいい。 今回、このコラムを書いてみようと思ったのは、ジャーナリズムとしての新聞のあり方を批判したい、とかそういうシリアスな理由ではない。もっと、卑近な理由だ。オレは新聞は大好きなんだけれども折り込みのチラシは大嫌いで、配達の兄ちゃんに「折り込みチラシは入れないでくれ」と頼んでいる。だいたい、スーパーの特売情報なんて興味がないし、ほとんどがマンション関連の不動産情報だ。どう考えてもオレとは無関係だし、何よりもかさばるのが頭に来る。 その時に「チラシなんて読まないよね」と俺が言ったら、「オレは新聞も読まない」って彼が言ったんだよ! これが結構ショックというか、驚きだったんだよね。オレの予想というか想像によるとさすがに配達前は時間がないから読まないだろうけれども、配達を終えて学校とかに行く前とかに彼らも新聞を読んでいると思ったんだよね。なぜなら、タダで手に入る訳だし、新聞奨学生とかで働いているからには、新聞自体が多少は好きだったり、興味があるからやっていると思ったからだ。でも、マジメな話、新聞奨学生から新聞社に入社する人とかっていないのだろうか。吉野家の社長もバイト出身だし、アメリカのマクドナルドの社長もバイト出身だ。 もちろん、たまたま彼が読んでいなかったというだけで、他の奨学生の人達は鼻息荒く新聞を読みまくっている可能性はある。 さてさて、とにかく彼の話から「では、オレはなぜ新聞を読み続けているのだろう」と考た。そして、それを読み解くために自分と新聞との関わりをさかのぼって考察してみたい。 September 18, 2004 06:23 PMSeptember 17, 2004 12:00 AM人には言えない密かな愉しみ 下(September 14よりつづく) でも、中学生のオレは何も考えていないから「ただ、気持ちがいい」という理由で背骨の関節を鳴らし続けた。 ただ、身体は歳をとるにつれて硬くなっていき、高校生頃にはいろんな部分が鳴らなくなってしまっていたと思う。現在、鳴らすことができるのは、先日発見した左肩、両手の指、ヒザ、足の指ぐらいだろうか。首の関節は全く鳴らなくなってしまったし、病気や治療で骨が脆くなっているだろうから、余計な力はかけたくなくなった。 そもそも、どういった仕組みで関節は鳴るのか? これは子供の時からの謎であった。音だけを聞くとまるで骨折しているようにも聞こえる。実際の所は関節で何らかの作用が外部からの力によって起こり、その際に音が出ているのだ。関節が鳴ること自体は病気ではないので、医学的な文献や情報はほとんど出回っていなかった。でも、ネット上などで散見できた情報を総合して説明してみようと思う。 まず、関節と関節の間には軟骨がある。そして、その関節と関節を密閉というか密着させる為にその関節と関節の間にガスが充填されているそうなのだ。そして、関節を鳴らす際に関節に力を入れると密着していた関節がポンと外れる音が、関節が鳴る正体なのだそうだ。イメージでいうと氷の表面に吸い付いている吸盤を無理に引きはがした際に出るポンという音が関節が鳴っている音の正体なんだそうだ。 吸盤が剥がされる音とボキッという音はどうしても結びつかないように思えるのだが、実際そういうことだというのだから納得するしかないのであろう。また、「関節を鳴らすと、指が太くなる」というのは、今のところ全く根拠が無い俗説なのだそうだ。 なるべくなら、進んで関節なんて鳴らさない方がいいのだろう。実際、女性なんかがポキポキしていると、ちょっと引いてしまう。でも、この鳴らしたときの音、骨伝導、リラックス感は普段の日常では味わえないし、ついついやってしまうのも事実だ。セックスも含めて人間が気持ちいいと思うことには「死」の要素が含まれているといわれるが、この関節を鳴らすという行為にも小さな「死」が潜んでいる。だから、気持ちがいいし、やめられないのかもしれない。 September 16, 2004 11:12 PMSeptember 15, 2004 09:43 PMSeptember 14, 2004 08:17 PMSeptember 14, 2004 12:00 AM人には言えない密かな愉しみ 上最近誰にも言えないけれども、密かにハマっているものがある(といってこんな所に書くのだから、密かでもないのだが)。 それは、左肩の関節を鳴らすというものだ。最初は偶然だった。寝返りを打って左側を下にしたときに、左肩の関節が今までに聞いたことの無いような大きな音と衝撃をもって「ボキッ!」と鳴ったのだ。このときに感じた衝撃とリラックス感は普段日常では感じ得ないものだった。 それ以来、クセになってしまった。ただ、単純に寝返りを打ち左側に体重をかければいいという訳ではなかった。右手でベッドの表面を押さえて、肩の関節にかかる体重を微妙にコントロールしないと気持ちよく「ボキッ!」と鳴らないのだ。こういったゲーム感覚もオレを刺激した。 今ではちょっとやり過ぎてしまって関節に痛みが走るようになり、意図的に鳴らすのは控えている。 この肩の関節を鳴らすという行為になぜ、オレはこれほど夢中になってしまったのか。どうして、関節を鳴らす行為が快く感じられるのだろうか。これまでも、このテーマを採用してみようと思ったことはあったのだが、今回がタイミング的にも良いと思い書いてみた。 そもそも、関節をボキボキと鳴らし始めたのは、いつ頃だろう。きっと小学校とかの頃だと思うのだが、思い出せるのは中学生からだ。その頃は仲間同士で、どれぐらい多くの関節を鳴らすことができるかを競っていた。 その当時鳴らすことができた関節を、天辺から思い出せる範囲内で書いてみたいと思う。首、ヒジ、手首、指の第二第三関節、背骨、尾てい骨、骨盤、ヒザ、足首、足の指といった具合である。ほとんど、体中の関節を自分の意思で鳴らすことができたのであった。 中でも、関節を鳴らすことで一番気持ちよかったのは首の関節だった。ポキポキ鳴るという甘い感じではなく、当時のオレの首は今思い出してもドキドキするぐらいボキボキボキと凄い音と衝撃で鳴った。まるで、首の関節が外れているかのようだった。それを裏付けるかのように、首をボキボキ鳴らすと後ろから頭を殴られたときのような光が見えた。これは明らかに脊髄のそばに通っている神経に衝撃が伝わっていて起こっている症状だ。神経を痛める可能性があり、明らかに危険である。 でも、中学生のオレは何も考えていないから「ただ、気持ちがいい」という理由で首の関節を鳴らし続けた。 もう一つ、今思い出して明らかに危険だったのは、背骨の関節を鳴らしていたことだ。こんな要領だ。朝起きたときに、上半身を起こして両足をぺたんと付けた状態にする。次に右足を立てて曲げて左足の外に置く。よくやるストレッチと同じ姿勢だ。そして、立てている足とは逆の方向(この場合は右)に身体を反らせて行く。すると、背骨の腰椎の一つ一つがポキポキポキと鳴っていくのだ。反対の方の足を立てて身体をさっきとは逆に反らすと、もう一度同じようにポキポキポキと鳴らすことができた。左右、二回鳴らすことができた訳だ。 (つづく) September 13, 2004 11:19 AMSeptember 12, 2004 11:20 AMSeptember 11, 2004 11:51 AMSeptember 10, 2004 12:00 AMマンガ喫茶 下(SHELTER 番外編2 September7よりつづく) さて、無料のコーヒーをもらって、自分のブースに戻る。ブースの広さは他の店とあまり変わらないのではないだろうか。入ってすぐにリクライニングシートがあり、作りつけのハンガー、照明スタンド、右には19インチくらいのテレビ、左には15インチの液晶モニターとDELLのマシン。キーボードはスライド式で隠せるようになっている。ここではプレステはおいていないようだった。ブースの中では外で感じたほどのインパクトは感じられない。でも、禁煙席なので煙いことはないし、すべてが白と黒をなのでシンプルで落ち着くし、ノイズはそれこそうっすら聞こえるジャズと空調音、さらには遠くのブースから聞こえるキーボードを叩く音だけだ。 疲れていたので、オットマンに足を乗っけて少し休むことにした。起きてからは、取材できたので特にこれと言ってしたいこともなく、PCでガンエヴォをいじったり、ケーブルテレビを観たりして、ぼんやりと時間を過ごした。 せっかく、マンガ喫茶に来たのにマンガを読まなくて勿体ないと言う人がいるかもしれない。でも、そういう人は分かっていない。あくまでもマンガやPCやテレビは脇役で主役はこのシェルター空間そのものなのだ。このシェルター空間を一時間400いくらかで借りているのであって、マンガを読む権利を借りているのではない。それは付帯的なもので、あくまでもカラオケボックスなどとは違うのである。カラオケボックスでは恐らく睡眠をとると起こされてしまうだろう。 この寝るという行為が許されているのが、マンガ喫茶をさらにシェルター空間たらしめていると思う。つまり、家に自分のシェルター空間(主に自室になるだろう)と同じことをここではやってかまわない。疲れたら、寝てもかまわないし、シャワーを浴びてもかまわない。 この病気になってから、街の中にいるときに、シェルター空間を強く必要とすることが多くなった。例えば、歩いている途中で気分が悪くなったときである。喫茶店やカフェに入ればイスに座ることはできるけれども、店内がうるさかったり煙たかったりする可能性が高い。また、眠ることは当然できないし、靴を脱いだりしたら白い目で見られるだろう。 デパートのレストランフロアのイスとかも悪くないのだが、ここは眠っていると、いやすくなくとも目をつぶっていると警備員に注意される。 こちらとしては、お金は払うから静かなところで少しだけ休ませて欲しいのである。そのニーズをこのマンガ喫茶は完全に満たすことを今回の取材で発見した。お金を払えば、何時間でも好きなだけ休むことができるし、時間を潰すこともできる。PCを持ち込んで仕事だってすることができる。手ぶらで現れてマンガ喫茶で仕事をするライターがいるというのを聞いたことがあるのだが、今回の取材でそれも十分に現実味のある話だと思った。 今後は街中でシェルターが必要になったときは、マンガ喫茶を選択肢に入れようと思った。 (オマケ) September 09, 2004 08:03 PMSeptember 09, 2004 01:41 PMSeptember 08, 2004 10:21 PMSeptember 08, 2004 09:03 PMメットが重い!!!!二週間ぶりくらいにバイクに乗ったんだけれども、ヘルメットが重くてクビがおれるかと思った。今日は昼間風が強かったというのもあると思うけれども。この二週間ぐらいのバイクに乗っていない間に、クビの筋肉がそれだけ退化してしまったと言うことなのだろう。 これまで、体中のいろんなところが衰えたけれども、こうして衰えを付き突きつけられると、ショックを受ける。 やっぱ、バイクって毎日乗ってないと、ダメなのね。 September 07, 2004 01:40 PMSeptember 07, 2004 11:33 AMSeptember 07, 2004 12:00 AMマンガ喫茶 中(SHELTER 番外編2 September3よりつづく) まず、入って驚いたのはエントランスの装飾だ。壁天井が真っ白で床が照明になっているのだ。いまどき、ディスコだってこれだけド派手なエントランスはないだろう。ドレスコードをチェックされないか、心配になるくらいだ。 入るとこれまたマンガ喫茶には見えないような、豪華なカウンターとビシッと黒い制服を着た店員が出迎えてくれる。店内を見回すとこれはもうもの凄い広さ。データがないので正確な広さは分からないが、デパートのワンフロアぐらいはあると思う。システムと選べる席を聞いた。リクライニングシートがあるリラックス席か床に座れる座敷席のどちらがシェルター的か判断が難しかったので、実際に見せてもらうことにした。リクライニング席はその名の通りリクライニングシートがおいてあるだけの普通の席だったが、座敷は面白かった。床一面に合皮のマットが敷いてあるのだ。靴を脱いでは行ってこのまま、横になることができるのだ。今回はリクライニング席をセレクトすることにした。 手続きを済ませると、店の中をパトロールしてみることにした。入り口にあるロビー部分にはABCなどに売っていたようなオシャレな海外のファッション写真集や建築、インテリアの写真集が整然と並べられている。フロア全体も黒を基調にして、間接照明を使っているので、雰囲気としては原宿のモントークに夜行ったときの感じに近い。BGMはなんとジャズ。モントークの山本さんが読んだら激怒すると思うけれども、山本さんもこの店は一見の価値があると思う。壁際にマンガが天井までビッシリ入っているのは当然として、ここは自動販売が充実している。飲み放題のドリンクの自動販売機はもちろんのこと、カップ麺やたこ焼き、菓子パンなどの自動販売機もズラリとおかれている。さらに驚いたのは、タオルなどの洗顔用品や化粧水などいわゆるお泊まりセットも充実しておいてあるということだ。 さらにはネイルサロンやシャワー、ダーツルームまである。通常、このようなものがマンガ喫茶にあるものだという認識がなかったので、とても驚いた。シャワーは理解できるけれども、ネイルとか、ダーツをやりたければ、その専門の所に行けばいいのではないだろうと思ってしまったのだ。だが、他のマンガ喫茶との差別化を図るためには、このような付加価値が必要なのだろう。ダーツもネイルも行ったことがないので分からないのだけれども、きっとマンガ喫茶の方が値段が安いのだろう。 極めつけはトイレだ。床こそ黒い大理石風なものの、便器はコジャレた小型のもの、洗面所は床まで全面ステンレスティール。この空間にいると、本当に自分がどこにいるのか忘れてしまう。 (つづく) September 03, 2004 07:50 AMSeptember 03, 2004 12:00 AMマンガ喫茶 上(SHELTER 番外編2) シェルター空間といえば、ここを素通りする訳にはいくまい。今回はマンガ喫茶をシェルター空間として検証してみる。 実はこれまでマンガ喫茶には一度だけしか行ったことがなかった。バイクで移動中に雨が降ってきて雨宿りに入ったのだ。その時は一緒だった女の子とプレステで遊んだと思う。基本的にマンガ喫茶があまり好きではない、いや少なくとも好きではなかった。まず、マンガを読むためにわざわざある場所まで足を運んでお金を払うというのが今ひとつ理解できなかったし、マンガ喫茶という名前もカッコ悪い。昨日どこに行っていたかと聞かれて、カフェと答えるのは恥ずかしくないが、マンガ喫茶と答えるのには勇気が要るのではないか。さらには、その貧乏くさい雰囲気もイヤだった。フリードリンクなんて言っても、飲めるジュースの量なんてたかがしれている訳だし。無論、マンガ自体は好きだし、今でも単行本で買っているマンガ作品はある。でも、わざわざマンガ喫茶まで行って、まとめて読みたいという作品はない。 ここで、マンガ喫茶に行ったことがない読者のために、どのような感じかを簡単に説明しておこう。最初は恐らく文字通り喫茶店にマンガが沢山おいてあるところからスタートしたのだと思うのだが、現在では喫茶機能はあくまでもオマケとなっている。店によって細かい部分は違うのだが、1時間400いくらかでマンガ読み、ジュース飲み、ネット接続、プレステなどが全部やり放題だ。もちろん、睡眠をとってもかまわないので(ここが重要なポイント)終電を逃した人が眠っていたりする。 座席は主に囲いのないオープン席、ブース状に囲われた席、ブースで囲われて二人がけできるカップル席などがある。 今回実際に足を運んでみたのは、読者にも勧められたメディア・カフェ・ポパイという店だ。新宿の明治通り沿いにあって、病院からの帰りに夜のにはベストなロケーション。すぐそばのマルイの脇にバイクを置くこともできたし。 (つづく) September 02, 2004 05:44 PM痴呆症の新しい呼び名厚生労働省は1日、「『痴呆(ちほう)』に替わる用語に関する検討会」で、新たな呼称として、〈1〉認知障害〈2〉認知症〈3〉記憶障害〈4〉記憶症〈5〉もの忘れ症〈6〉アルツハイマー――の6案を示した。 同省はホームページで9月中旬から1か月間、国民から6案に対する意見を募る。検討会は11月下旬に新たな呼称を決定する。 どう? September 01, 2004 09:04 PMSeptember 01, 2004 04:49 AM |
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