October 30, 2004 01:52 AMOctober 29, 2004 12:00 AM本を出すということ 下(October 26よりつづく) 出版するために小説を書くとしよう。本一冊分の文章を書くのはそれなりに時間と労力がかかり、労働コストに換算すると相当な額に達する。でも、その小説なり文章が出版されるという保証は全くないのだ。仕事を断ったりプライベートを犠牲にしながら一生懸命小説を書き上げたとしても、それを編集者と出版社が商品になると思わなければ出版されることはない。書き終えたことに対する達成感は得られるかもしれないが、商品にならなかったとすれば、それはやはり「単なる趣味」の世界だ。出版されるあてのない小説を書いているシロウトなんていくらでもいるだろう。そういった人達とプロとを分ける唯一の違いは「書いた文章が商品になるか」でしかない。商品にならない文章をいくら書いたところで、それはマスターベーションにしかならない。 それらの困難を乗り越えて小説を書き上げたとしても、無名の新人の作品を簡単に出版してくる所など無い。新人賞などを取ったり何らかの方法で話題を作らないと、相手にすらされないだろう。作品として完成度が高かったとしても、編集者が読んでくれるとは限らない。 文章の仕事に関わっているのだから本を出すチャンスなんて多そうに思われるかもしれないが、実際に自分の著者名を冠した本が出版されるまでには相当困難な道のりがあるということが分かってもらえただろうか。 それぐらい本を出すということは特別だ。何も本を出したからって、マンションが買えたり、タレントの友達ができたり、赤絨毯の上を歩いたりできる訳ではない。テレビや新聞に出て一時的に注目度が高まったけれども、生活は本を出す前も後もほとんど変わっていない。 でも、意識はまったく変わった。極端ないい方をすれば、本を出す前は自分の人生に対してだけでなく文章を書く人間として大いに未練があった。病気で死ぬことは仕方のないことだとしても、生涯の仕事として文章を書くことを選んだのに自分の本を一冊も出すことなくこの世を去ることになるとは! 死ぬという事実に対する恐怖や悲しみより、その胸にわき起こってくる無念さの方が強かった。 しかし、本を出した後はもう死んでもかまわないと思った。自分が死んだとしても、確実に本は残る。ヒトラーみたいな独裁者が出てきて焚書にしたとしても、レジスタンスの誰かがオレの本を持って逃げてくれるかもしれない。 では、果たしてオレが病気にならならずに通常のライターのまま生活をしていたとして、近い将来本を出版できていたのだろうか。正直言って、大いに疑問だ。理由は先に挙げたとおりだ。ライターとして喰っていくことはできたとしても、本を出版している、それ以前にまとまった小説なり文章を書いている自分が想像できない。自転車操業の様な生活を送り、毎月の家賃を払うのがやっとという感じになっていると思う。 だから、ある意味、病気になったから本を出すチャンスが回って来たのだとも言える。 本を出す前は「本なんか出さなくてもいいから、健康な身体で長生きしたい」と考えていた。しかし、本を出した後は「死んでもいいから、本を出したい」という考えに変わった。 講演会などでよく話していたたとえ話だ。自分の目の前に悪魔が現れて取引を持ちかける。「100歳までライターとして人生は全うできるけれども一生本を出せないのと、30過ぎで命を失うが本を出して後世にある程度名を残せるのとどちらがいい?」これまでのオレは当然前者を選んだ、選びたかった。でも、今では負け惜しみ的にいうのではなく、健康だったとしても後者を選んだかもしれない。 文章を書く人間にとってはそれぐらい本を出すということは魅力的で大事なことだ。麻薬的ですらある。自分は気づかないうちに悪魔と取引してしまったいたのかもしれない。でも、あまり後悔はしていない。悪魔は約束通り本を出させてくれたからだ。今度はオレが契約した約束を守る番なのだろう。悲しいけれども。 父親は上京した時点で400枚ぐらいの小説を書き上げていた。内容や出来不出来についてはここで言及しないけれども、仕事をしながらそれだけのまとまった文章を書き上げるのは立派なことだと思う。しかし、父親を冒頭のようなセリフで刺激しすぎたせいか、彼はその小説を自費出版するという。しかも、そのコストはオレが「ガン漂流」で得た印税よりも高いのだ! ある種究極的なマスターベーションといっていいと思うのだが、大の大人が自分で稼いだお金を何に使おうが自由である。 何も言うまい。 October 28, 2004 03:56 PMOctober 28, 2004 02:13 PM男前豆腐から贈り物が!
いきなりクール宅急便が届き、中を見たら「風に吹かれて男前豆腐ジョニー」と男前豆腐のパッケージに入った松茸が!!!! 松茸はどうやって食べれば、一番おいしいのだろうか? 三和豆友のイトウさん、どうもありがとうございます。 October 27, 2004 11:58 PMOctober 26, 2004 08:31 PMOctober 26, 2004 12:00 AM本を出すということ 上少し前に父親が上京して、自宅まで会いに来てくれた時にオレはこんなことを言った。 「あなたはわたしの持っていない物を何でも持っている。家、クルマ、子供、財産、学歴。何一つあなたより優れている物をわたしは持っていない。それどころか間もなく命まで失おうとしている。でも、あなたは本を出していないけれども、わたしは本を出している」 こんな感じのことを言った。実際問題として、父は人格的にも立派な人物だし、学歴も教養もある、何よりオレを育てくれたのだ。父が今のオレの年齢時には、すでにオレが生まれているのである。勝っていると思える点と言えば、バイクに乗れることと寝た女の数ぐらいのものだろう。それすらも怪しいものだ。別にコンプレックスを抱いていているとかそういう話ではなく、社会的にみてあらゆる面で父の方が優れているのだ。 そんな父に対して、オレが自慢できるのは「オレは本を出版していて、父は出版していない」という事実だけだった。オレがしがみつくことができるのは、その一点だけだ。 本の著者になり出版することができるのは、選ばれた特別な人だけだ。 自費出版とかは別として、真っ当な本はどんなくだらないものでも編集者と出版社が商品として成立すると踏んで出版されている。ゴーストライターが書いたタレント本やダイエット本などくだらない本は山ほど出ているが、どんなくだらない本でも出版社は「売れるか売れないか」を必死で考えて判断し出版している。 著者がいい人だから、頑張り屋さんだから、知り合いだからなんて理由で本が出版されることはない。あくまで、読者が本屋で本を見てサイフを開いてくれるかだけを基準にして出版に踏み切る。「出すことに意義がある」なんて出版社はとっくに潰れている。それぐらいに、今の出版業界はシビアなのだ。 出版されるかされないかのハードルは明確な物差しがある訳ではないけれども、低くはない。というか、高い。ノリで出されているようなおちゃらけた本も実際は何度も編集会議や営業会議にかけられ、著者は何度か書き直しをして、やっとのことで世の中に出てくるのだ。 我が「31歳ガン漂流」はそのような厳しい競争を生き残って出版された。編集者とは知り合いだったし、オレのおかれた状況は他人の同情を集めやすいものだったとしても、それだけで本が出版されることはない。オレの文章が商品として成立すると、編集者と出版社が判断したのだ。 情報誌で書くようなライターなどの文章で喰っている人間、もしくは大学の教授や単なる読書家なんかでもいいけれどもインテリと呼ばれるような人達のほとんどは自分の本を出版したいと思っているはずだ。オレも雑誌の編集者を経て、フリーライターになったのだが自分の名前の入った本を出すことにずっと憧れていた。雑誌で原稿を書けば当然自分の書いた原稿が雑誌に載るし(これ自体素晴らしいことなのだが)、ちゃんとした記事や雑誌なら名前も紹介される。 しかし、いくら雑誌に沢山原稿を書いても、基本的には本として出版されることはない。一ヶ月近く本屋の店頭に並んだ後は出版社に返品されて、断裁されてしまう。例え誰かが購入してくれたとしても、次の号が出れば古い号は捨てられるだろう。運良くバックナンバーを保存しておいてくれるとしても、結局はそのうち捨てられる運命だ。雑誌は最新であることが何よりも重要だし、作り手側もそれを目指している。雑誌に連載をしていてそれが単行本にまとまるという例外を除いては、雑誌に書いた原稿が本に化けることはない。 ロバが旅に出たからって、馬になって帰ってくる訳ではないということだ。 October 25, 2004 12:20 PMOctober 25, 2004 12:15 PMOctober 23, 2004 09:11 PM新潟方面の読者の方々無事でしょうか? 被害状況など、差し支えない範囲で教えてください。それどころじゃないと思うけれども、東京も結構揺れました。 <<追加>> October 23, 2004 06:25 PMOctober 23, 2004 02:52 PMOctober 22, 2004 06:51 PMOctober 22, 2004 12:00 AMバイクに偏った映画評「モーターサイクル・ダイアリーズ」 下(October 19よりつづく) そこまで、お調子者で女たらしとして描写されてきたアルベルトだが、ここで心が美しいナイーブな青年であることが分かる仕組みだ。 '50年代当時、アルゼンチン人なのに英車であるノートンを買えるなんて、限られたお金持ちだけである。バイクの相対的な価格も高い上に輸入車だ。ゲバラとアルベルトは相当な上流階級の出身であることが、この辺からも分かる。今回の旅は上流階級で世間知らずのお坊ちゃん達が現実の世界を知るためのものだったのだ。 そういう背景を理解していても、バイクが運ばれていくときに涙を流すアルベルトの姿には心を動かされる。現在我々は様々なモノに囲まれて生活している。その中にはお気に入りのモノや苦労して手に入れたモノもあるだろう。でも、果たして失ったときに、涙が出るようなモノを我々は持っているのだろうか? オレだってバイクは大事だし愛情は感じているけれども、果たしてトラブルで廃車になってしまった場合涙を流すかどうかといったら大いに疑問だ。恐らく涙は流さないと思う。バイク以外のモノはどうだろう。PCが壊れたら相当のダメージを受けるけれども、やはり泣くというのは少し違うと思う。恐らく、データをサルベージする方法や次に買うマシンの選択や資金調達で頭がいっぱいになってしまうだろう。 アルベルトと我々の違いはどこにあるのだろうか。無論、アルベルトも高価なモノを失った悲しみもあったはずだ。でも、それ以上にバイクに対する愛情が涙を流させたのだと思う。一つヒントになるのは、彼はノートンにポデローサ号という愛称をつけて大事にしていたことだ。つまり、アルベルトがバイクを擬人化しているのだ。彼にとってはバイクは単なるバイクではなくて、旅を共にする相棒、パートナーなのである。 名前を持った人生と旅のパートナーが失われたら、と考えると涙を流すのは当然なのかもしれない。我々も何か愛着を持っているモノには名前を付けてみよう。これまでにない愛着をモノに対して持つことができるようになると思う。(乗り物でも何でもいいので名前を付け使っている人がいたら、書き込んで教えて欲しい) バイクがいなくなった後、作品的にも移動速度的にも大いに失速する。何しろ、彼らは徒歩とヒッチハイクで移動を続けるからだ。ただ、これまで都市と都市の間をあっという間に移動していたのが、バイクが壊れて歩きになったおかげで地元の人達とゲバラ達はふれあうようになる。山岳地帯のインディオ達ともバイクの移動では知り合うことができなかっただろう。 革命家チェ・ゲバラを生み出したのがそういった地元民とのふれあいだとしたら、バイクが壊れなかったら彼は革命家になっていなかったかもしれない。かといって、バイクがなかったら最初からゲバラとアルベルトは旅に出ていなかっただろう。 そう考えると、革命家チェ・ゲバラはノートン500という一台の英車によって生み出されたと考えることもできる。一台のバイクが歴史を変えたのだとオレは考えたい。オレもバイクに名前を付けよう。そしたら、オレにも革命が起こせるかもしれない。 October 21, 2004 08:56 PM恫喝じいさんと食事
家帰ってから、今まで横になってしまった。 でも、料理は全部美味。とくに、アラカルトで頼んで麻婆豆腐は激辛な本格派。うまいけれど、汗びっしょり。 October 19, 2004 01:18 PMOctober 19, 2004 02:49 AMOctober 19, 2004 12:00 AMバイクに偏った映画評「モーターサイクル・ダイアリーズ」 上正直に言って、チェ・ゲバラのことをほとんど知らない。 キューバの革命家であること、有名な肖像写真とそれがプリントされたTシャツを街で見かけたことがあるくらいで、その他の情報は持っていなかった。「モーターサイクル南米旅行日記」という本が出ているのは知っていて本屋で手に取ったこともあるのだが、購入には結びつかなかった。 なので、ほとんど事前知識が無い状態でこの作品を観た。チェ・ゲバラに特に関心がある訳でもなく、監督のウォルター・サレスや主演のガエル・ガルシア・ベルナルのファンでもないのにどうして観に行ったのか? それは、バイクが出てくるから。理由はこの一点に尽きる。ゲバラや革命など興味はない。バイクが走っているところを、スクリーンで観たいだけ。その他はオマケ、添え物。 1952年、医学生で23歳のゲバラと友人で29歳の科学者アルベルトの2人はバイクで南米大陸を縦断するという旅行を計画する。バイクはアルベルトの愛車今は亡きノートン社500ccポデローサ号("馬力のあるヤツ"の意)。まず、バイクに名前を付けているという時点で、このアルベルトに共感を持つ。元ブランキー・ジェット・シティの浅井も愛車に「サリンジャー号」という名前を付けていた。バイクへの愛情を感じると同時に、少しマヌケっぽい雰囲気が出るところもいい。 映画の冒頭でアルベルトがブエノスアイレスの街をバイクで疾走するとても印象的なシーンがあるのだが、これがほぼ唯一舗装された道を走るシーン。それ以降は、舗装されていない土の道、砂利道、雪道など悲惨なコンディションをノートンは走らされる。しかも、明らかに積み荷重量オーバーで重心バランスが悪く、いきなり出発時に事故りそうになる。 その後の道中でも、小川に突っ込んだり、ジャリで滑ったり、牛に突っ込んだりしてとにかく事故るシーンが何度も出てくる。その度に針金で修理をしたりして、ノートンは復活するのだが、バイク乗りとしては事故のシーンを観るのは正直ツラい。映画ではほとんど描写されていないが、バイクで転ぶと相当ダメージを受けるし精神的にもかなり落ち込む。そういうのを知っているので、事故のシーンの多さには少々閉口した。 上映時間半分の少し手前のあたりで、ノートンは牛と衝突して自走不能に陥る。そして、牛を運ぶトラックと一緒に街まで運んで修理工に診てもらうのだが、「クズ鉄にして売るしかない」とサジを投げられる。 October 18, 2004 11:48 AM2年A組ガン先生
ガン先生「先生は今32歳で来月33歳になります。33歳はおじさんでしょうか?」 October 17, 2004 01:41 PMOctober 17, 2004 03:25 AMキラーン!
臭いと音が全くないし、点火が早い。タンクがないから、ボディが薄い。デザイン的にもシンプルで洗練されていて、いうことナシ。 まだ、寒くなってないから、性能までは分からないけれども、初期インプレッションはかなりいい感じ。 October 17, 2004 01:27 AMOctober 16, 2004 06:15 PMOctober 15, 2004 09:39 PMカフェ番長復活
October 15, 2004 03:18 AMベストヒットUSA原理主義
小林克也こそ、本物のVJだ。MTVやスペシャのあいのこVJや何も知らないジャリタレVJより1000倍いいぜ! October 15, 2004 12:00 AM長いお別れ 下(October 12よりつづく) また、地下足袋おやじの時と同じような後悔の念のようなものに襲われた。もう少し前に、また連絡していればよかったのかと。でも、先方の状況はまったく分からないし、あまり頻繁に連絡するのも失礼かと思う。このような場合、正直どのように振る舞っていいのか分からない。誰か教えて欲しい。 Sさんは亡くなる間際、オレと食事に行けなかったことを残念がっていたそうだ。オレも心から残念だと思う。もちろん、亡くなる前にせめてもう一度会っておきたかったというのもあるけれども、Sさんならば相当おいしい店に連れて行ってくれるだろうと思ったからだ。Sさんとは病院の近所のそば屋ぐらいにしか行ったことないし、病院以外のところでお会いするのも楽しみにしていた。久しぶりにあの江戸調子の語り口で、どんな話を聞かせてもらえるのかと。 今ではそれも叶わなくなってしまった。しかも、永遠に。 チカチーロ、地下足袋おやじ、Sさんと病室で一緒になった人達がすでに3人も亡くなっている。自分が知らないだけで、他にも亡くなっている人もいるのだろう。自分や彼らが罹っていた病気のことを考えれば、このタイミングで死んでも何ら不思議ではない。それは、彼らと同じ病気のオレにとっても当てはまることで、身近に死の足音が近づいていることをイヤでも感じざるを得ない。 彼らの姿がオレの今後を暗示しているからだ。 葬式は辞退させてもらうことにした。正直に言うと、葬式という場に行くのが怖いのだ。それは、近い将来に執り行われるであろう、自分の葬式を連想させるからだ。きっと、Sさんの遺影や遺体を見て、オレは自分の姿をそこに見ることになるだろう。写真立てのフレームの中に不自然にトリミングされモノクロに加工されて微笑んだりした痛々しい表情の自分の遺影を見ることになるからだ。涙を流している遺族の姿に、オレの遺族の姿を見ることになるからだ。 ただでさえ、精神的な負荷に耐えている状況なのに、これ以上の負荷をかけたくはない。また、葬式というものが持っている雰囲気、磁場が病気のオレにはとても恐ろしいものに感じる。死というものに引き込まれそうな恐怖を感じるのだ。 怖いのだ、死そのものを見せつけられるのが! 死に取り憑かれるとか、手首に傷を付けたりしているのは、所詮死とは無縁の健康な連中ばかりだ。戦争とは無縁な連中が、サバイバルごっこをするのと同じ。オレも飛んでくる弾が、模擬弾だったらと思うよ。でも、実際にオレに飛んできているのは実弾でしかも、頭と膵臓と肺の三カ所にすでに被弾しているのだ。こんな状況でいつまで生きられるのか。 唯一確かなのは彼らは死んでしまったが、オレは生きていると言うことだけ。いつ死ぬかは分からないけれども、少なくとも今は、今この瞬間は生きている。その切れそうなか細いロープが唯一の命綱なのだ。 そのロープが切れるまでは、諦めずに頂を目指して少しでも登っていきたいと思う。登っていくしかないと思う。 October 13, 2004 11:34 PMOctober 13, 2004 11:37 AMOctober 12, 2004 12:11 PMカッコイイ、デジタルウオッチ!いつもベッドの上にノートPCを開いて、卓上時計代わりにガンエヴォのサイトを使っていたのだが、あまりにも時計のフォントが小さすぎる! ということで、大きくしてもらいました! モロにデジタルって感じのフォントで結構気に入っています。どうせなら、もっとでかくてもいい気がするけれども、全体のデザインが崩れちゃうのかな。 October 12, 2004 11:52 AMOctober 12, 2004 12:00 AM長いお別れ 上日曜の昼下がり、いつものようにベッドで新聞を読んだり、ネットをチェックしているとケータイのメール着信音が鳴った。誰からかなと思い、何気なくケータイをとると入院中に一緒の部屋で「ガン漂流」にも登場する江戸っ子Sさんからのメールだった。 いや、正確には江戸っ子Sさんのケータイからのメールだった。そのメールは息子さんからのもので、Sさんの死を知らせるものだった。メールによると入退院を繰り返したあと、昨日の朝5時42分に亡くなったそうだ。最後は苦しまずに、眠るように息を引き取ったとのこと。 Sさんとは夏前ぐらいまで連絡を取っており、それ以前に入院しているときは病室に顔を出していた。ケータイでのメールのやりとりを覚えられたばかりで、自分のアドレスを入れてあげた。その後はケータイメールでやりとりをした。退院したら食事に行こうと約束したのだ。 夏の初めくらいにそろそろ大丈夫な頃合いかと思い食事に誘うメールを送ったところ、「足の調子が悪いので、もう少し待って」との返事が来た。それに対して「すぐに寒くなるから、その前にぜひ行きましょう」と送ったのが最後の通信になった。 Sさんは最初の半年間に及ぶ入院の際に一番お世話になった方で歳は60代後半ぐらいだろうか、工務店か何かの引退した社長だったと思う。歳は親子ほど離れている方に、失礼ないい方かもしれないが不思議と気があった。同じ病室になると、それこそほぼ24時間ずっと一緒に過ごすことになる。だから、相性とか気質が合わないとそれこそひどい目に遭うのだが(この前の入院の時の糖尿ハゲおやじのように)、Sさんとは一緒にいても気が楽でリラックスして過ごすことができた。 自分の父親ぐらい年上の方に失礼かもしれないが、同じ病室で同じ病気と闘う仲間として、戦友のような友情を感じていた。奥さんや娘さんとも親しくさせて頂き、入院中は随分と心を和ませてもらった。 本来なら倦怠と苦痛が渦巻くはずの入院生活がSさんのおかげで、ある意味オレにとって知的探究の場になった。Sさんはインテリであると同時に、経験豊富な親方、家庭人、または趣味の人でもあった。Sさんに浅草のすき焼きちんやなどいろんなおいしい店や有名店を紹介してもらったし、かつてやっていたというダンスの話や麻雀の話も聞かせてもらった。 印象的だったのは娘さんの話。奥さんも凄くキレイで感じのいい方なのだが、娘さんも奥さん同様明るくて気のいい感じの方だった。Sさんは、娘さんがお嫁に行ってないことを心配されていた。娘さんは料理学校の先生になるほど、料理の腕が達者なのだそうだ。 息子さんも何度か見えられたときがあるのだが、体格がいい方で細いSさんとは似ていない印象だった。今日メールを下さったのは、その息子さんだ。知らせてくれて本当に有り難い。 つづく October 10, 2004 01:28 AMガスにしました皆さんご沢山の意見どうもありがとうございました。 圧倒的にガスを薦める声が多かったので、ガスに決定しました。リンナイの最新型ガスファンヒーターをネットで購入。空気清浄機能に加え、マイナスイオン機能まで付いているというハイテク仕様。しかも、21畳まで対応できるハイパワータイプなので、前みたくパワー不足に悩むこともないでしょう。 とにかく、今年は暖かく冬が過ごせそう。 October 09, 2004 11:32 PMテクノ漬け
October 08, 2004 08:31 PMOctober 08, 2004 04:00 PMOctober 08, 2004 12:44 PMOctober 08, 2004 12:00 AMイス・フェティッシュ 下(October 05よりつづく) これは個人個人のこだわりとかあるだろうし一般的な定義がどのようになっているのか分からないから、自分の経験で話すといいイスは「調節できる可動部分の数が多い」「イスに座った状態でも身体が動かせる」「体重が分散できる」イスだ。 1番目の「調節できる」は、自転車を例に挙げると分かりやすいだろう。いくら高級な自転車でも身体に合っていないと乗りづらいだけでなく、危険ですらある。逆に大して高級じゃない自転車だとしても身体のサイズにピッタリと合っている自転車は乗りやすい。イスも同様でいくら高級なイスだとしても、身体に合っていないとその持ち味を十分に発揮できないどころか、座ってても疲れるだけのイスになってしまう。机の高さは調節できない場合が多いので座高に合わせて高さを調節するのが基本になるが、その他体格に合わせるだけでなく仕事のスタイルに合わせて調節できるイスが望ましい。例えば、座面の位置がスライドできたり、肘掛けの高さや位置が調節できたり、背もたれの倒れる角度や固さが調節できたりといった具合だ。ちなみに、この可動部分の数にイスの価格は比例する。 2番目の「座った状態で身体が動かせる」も重要だ。イスに座っていて疲れないためにはどうすればいいか。普通の人は背筋を伸ばした正しい姿勢をキープすれば疲れにくいと考えているかもしれないが、実際には違う。例えば、眠るときだって背筋を伸ばした正しい姿勢でずっと眠っているのではなく、常に寝返りをうって無意識にうちに自由に姿勢を変えている。また、疲れやコリというのは、同じ姿勢をずっと続けることから生まれてくる。疲れたときに、イスから立ち上がってストレッチをしたりするのもそのためだ。そのストレッチが座った状態でできるのが「身体が動かせる」イスなのだ。要するにイスの上で運動できれば、疲れやコリがどこかに集中することなく疲れにくい。 3番目の「体重の分散」、これは具体的には肘掛けがあるかどうかという意味だ。というのも、人間の腕は片方が約4kg位あるといわれている。これを作業中肩から常にぶら下げておいたら、疲れるのは当然のことながら肩が凝らない方がおかしい。それを防ぐためには肘掛けにヒジを置いて作業することによって、身体にかかる負荷を分散させることが大事だ。実際、肘掛けを使うと、長時間キーボードを使っても肩が凝るということは少ない。ただ、問題なのは会社などの場合、肘掛けがステータスシンボルになっていることだ。肘掛けにヒジを乗せているだけで、何となく偉そうに見えてしまうというのはいくら疲労が軽減できるからといっても平社員には辛いだろう。 この3点を満たすイスを買うとなると10万円ぐらいはするのだが、フリーで仕事をしている人にとっては以上のようなことから決して高い買い物ではないはずである。フリーで仕事をしていて、疲れやすいとか、今ひとつ仕事の効率が上がらないという人は気分転換を兼ねてぜひともイスを高性能なものに買い換えてみることをオススメする。高性能で高級でハイテクでデザインのカッコいいイスに座っているだけで気分がよく仕事できるし、部屋にそういうイスがあるだけで全体の印象が引き締まるのだ。 オマケとして、自分が使っているイスを紹介しておこう。リープチェアというのがそれで、値段も性能もアーロンチェアとほとんど同じ。違うのは、アーロンチェアは座面がメッシュになっているというくらいだ。このリープチェアを選んだのは、アーロンチェアがあまりにもド定番過ぎてみんな使っているので買いたくなかったという理由が一番だったりするのだが、デザイン的にもアーロンよりテクノっぽいというかハイテク感があるので気に入ったのだ。開発された背景も「打倒アーロンチェア」というコンセプトなので、ある程度似ているのは当然のことなのだが。 さて、このイスが素晴らしいのはグッともたれかかると、それに合わせて座面が前にスライドする所だ。詳しくはサイトを見て欲しいのだけれども、この座面がスライドすることによって、腰を引かないで座っただらしない格好でもそのままキーボードを打ち続けることができるのだ! オレみたいにリラックスした(だらしないともいう)格好で仕事をしがちな人間にとって、これほど素晴らしい機能はない。また、「ランバーサポート」といって背骨の曲げ具合に合わせて、背もたれが形を変えてフィットするというのも素晴らしい。これによって、背骨の一部分だけが当たって痛くなったり、負荷がかかって疲れたりということが無くなった。イスの上での動きにイスが追従してくれる感じだ。 このイスのおかげで、身体が弱っても仕事に集中できるというのは本当に有り難い。HDという日本人に合わせた小型タイプも出ているので、買い換えの際にはぜひともご検討を。 October 07, 2004 10:19 PMOctober 06, 2004 12:09 AMマイブーム
このATOKと一体化した国語、英和、和英辞典は変換する際に複数の漢字があれば意味を教えてくれるし、単一の変換の時でもEndキーを押すと意味を教えてくれる。しかも、そのまま和英辞典を使って、英単語に変換することもできるし、その変換した単語を英和で調べることもできる。オマケに英語の発音まで実際に教えてくれる。 正直言って、ルール違反っていうくらい使い勝手がいい。 唯一の問題は、やはり収録単語数が足りないこと。そういうときは、この広辞苑を引いている。これまでは、もっぱらインテリアとして使用していたのだが、最近はキーボードの脇に置いて分からない単語やあやふやな単語があるとすぐに引くことにしている。 少し前に新聞紙上で指摘されていたで言葉の誤用「檄を飛ばすは元気づけること」とか、オレも間違っていたクチで、言葉を扱う人間として大いに恥じ入ったからだ。 続きは、近い内にコラムででも。 October 05, 2004 05:02 PM石油かガスか?これまで使っていた石油ファンヒータが不調&パワー不足なため、今年は暖房器具を新調しようと思っている。 そこで石油ファンヒータをもう一度買うか、それともガスに切り替えるかで迷っている。 石油ファンヒータ>良)器具が安い。種類も豊富。ホースの取り回しがない。悪)給油と灯油の購入が面倒くさい。 あと問題なのは、もしガスに切り替える場合、ベランダに置いてあるポリタンク3個と残留灯油をどう処理するか。ガソリンスタンドで引き取ってくれたりしないのだろうか。 さて、どちらがベターなのでしょうか? 空気の汚れ具合とかはガスと石油で違うのかな。ランニングコストは? 皆さんの意見をお待ちしております。「わあ、もうそんな季節なんですね!」とか、どうでもいい書き込みはナシということで。 October 05, 2004 12:00 AMイス・フェティッシュ 上皆さんは、職場でどんなイスに座っているのだろうか? 生地はネズミ色のビニールで、座面は歪んだスプリングでぼこぼこになっていて、座るとギーギー言うような事務イスっていうのはさすがにないだろうけれども、それほどコストのかけられていない事務イスに座らされていることとは思う。もっとも、腰痛のために編集部に自腹でアーロンチェアを持ち込んでいるという人の話は聞いたことがある。編集長よりいいイスなので、腰痛持ちでしようがないとはいえ居心地の悪い思いをしたそうである。 自分のようなフリーで文章を書くような仕事は、基本的に作業中はずっとイスに座りっぱなしである。知り合いに布団に腹這いに寝ころんで、枕にアゴを乗せてノートPCで原稿を書くというライターがいて、それはそれでうらやましいと思う。自分は肺の病気の関係上、そのような姿勢はとりにくい。疲れやすく、ベッドの上で過ごす時間が相対的に多いのでわざわざイスに座らずに寝たまま原稿が書ければどんなに生産性が上がるかと思う。 このように原稿を書くためには入院中にベッドで書いていたのを除けば、どんな場所にいるのであれイスに座って原稿を書くのが前提となる。何しろ、起きて活動している時間の大半は仕事用のイスかソファに座っているのだ。そうなってくると、仕事場の環境を重視するのと同様かそれ以上にイスのセレクションが重要になってくる。 何しろ、イスの性能が仕事の生産性を左右するのだ。理由は単純だ。原稿を書くという仕事はイスに座り机に向かって、集中して作業することで成り立っている。そして、可能な限り深く集中して仕事をすればするほど効率が上がる。そして、集中度がこれ以上上げられないとしたら、次はその集中をどれだけキープできるかで生産性が決まる。 例えば、すぐに腰が痛くなってしょっちゅう伸びをしたりして休憩を入れなければならないイスと、ほとんど腰に負担がかからないために休憩をする頻度が低いイスがあったら、誰が見ても後者の方が生産性の高いことが分かるだろう。 こういうことを書くと必ず「気合いがあれば、関係ない」とか「やっぱり才能だ」とか「ミカン箱を机にして頑張った」的なことを言ってくる人がいるものだが、そういう精神論ではなくてあくまでもアクチュアルな話をしているのであしからず。また、キーボードの打つ速さとかその他の要素もあることはあるが、それは今回除外する。 つまり、全く同じ能力のライターが2人いて仕事をしているとしたら、いいイスに座っているライターの方がより多く仕事をこなすことができるのだ。イスにどれだけ長く疲れないで座っていられるかが、収入に直結していると言ってもいい。 だから、フリーのライターやデザイナーはイスにはいくらこだわってもこだわりすぎるということはない。仕事のスキルやスピードを上げるよりも、ラクで確実に生産性を上げることができるのだ。また、イスにちょっと高いと思うかなという位のコストをかけたとしてもすぐに回収できる。考えてもみて欲しい。腰痛になって、1週間も仕事を休んだら、すぐに10万円くらいは穴が空いてしまうし、信用も落ちてしまうだろう。そういったことを考えるとイスに払う10万円なんて安いものだし、逆にそれにお金をケチる方がバカげている。だいたい、お金を生み出すための商売道具に金を使わないで、一体何に使うというのだろうか? 話が逸れてしまったが、フリーの人間にとってイスは筆記用具に次ぐらいに重要なアイテムなのだ。 October 04, 2004 09:31 PMネットスーパーから
ネット通販最高! October 04, 2004 04:14 AMミクロな怒り
頭に来ると言えば、家で使っているモノクロレーザープリンターのトナー。「トナーが無くなった」ランプがそれこそ一年前ぐらいから点灯しているのに、未だにプリントアウトできる。省エネの基本はリサイクルと使い切りだと思うのだけれども、トナーはリサイクルできても、使い切るのは難しい。というか、どこまでが使い切りなのか、中身も見えないし分からない。使えないランプがついても、トナーを取り出して振るとまた使えたりするのだ。 ドラムかゴムのローラーか分からないけれども、劣化して、印刷すると紙が黒く汚れるようになってきたし、トナーも1万円ぐらいはすると思ったので、この際新しいプリンタを買おうと思う。何しろ、新品で買っても2万円台で買えるのだ。消耗部品を交換するのがアホらしくなってくる。今使っているヤツは、Windows98時代に買った物だから、XPドライバのプリンタに新調してもバチはあたるまい。今週の水曜、病院の帰りにでも買いに行こう。 古いヤツは予備として捨てないで取っておこう。でかくて邪魔だから、本当はすぐに捨てたいのだけれども、引き取り代もかかるかもだしね。 October 03, 2004 02:56 PMOctober 02, 2004 10:33 PM |