January 29, 2005 04:35 PM寝ながらお仕事
その点、今使っているパワータンクは内部から3000hPaの圧力がかかっているために、無重力下はもちろんのこと(宇宙ペンという名前で以前も売っていた)、真横、真上、濡れた面、氷点下でもおかないナシに書けてしまうというサイコーにハイテクなボールペン。 旧モデル 病院でも使っているし、思う存分寝転んでいるときでも仕事が出来る。とくに、寝転んでPSPをしている時に、「どこいつ」のポケピが面白いことを言ったのをメモるのが便利。こういうハイテクなツールっていうのはもう、使っているだけ、持っているだけでシアワセ!!! オレの仕事はこういうハイテクなツールがサポートしてくれているというお話でした。 January 29, 2005 03:42 PMJanuary 29, 2005 02:22 AMJanuary 28, 2005 12:00 AMホスピス論議最終結論 4(January 25よりつづく) 例えば、面白いゲームがあったら、どんなに時間が無くて忙しくても睡眠時間を削ってやり続けるよね。小説の執筆も同じで、自分の本当に書きたい小説があれば、時間と命を削っても書き続ける。 オレの現在の執筆スタイルは、絶望や孤独、死の恐怖からは切り離せない。むしろ、そういったものたちを起爆剤にして、無理矢理原稿を書きまくっているようなものなのだ。そして、崖っぷちから宙ぶらりんになっているスリルを読者に伝えようと努力している。そこから、目を逸らすような環境に身を置いて、そのスリルが伝えられるはずが無いじゃないか。自分は豪邸に住んでプライヴェート・ジェットで移動しながら、若さと反抗と貧しさを歌う、50過ぎのロック歌手みたいじゃないか。 そして、自分の部屋と生活はそれを行うための要塞であり、城の本丸なのだ。要塞や本丸を明け渡して、快適な温室に移って戦えるはずが無いではないか!? 前にも書いたけど、今後は田舎にも帰らず、自分の部屋と病院でとにかく文章を書き続けたいと思う。 1年ぐらいかかって仕事に最適な環境を整えたというのにそれをそう簡単に明け渡して、たまるかってんだ。自分のためだけに選び抜いて、高度に研ぎ澄まされた空間なのである。そこから、安らかな死を迎えるための施設に移るなんてことは考えたくない。最後は人工呼吸器と管だらけになろうが、最後の最後まで原稿を書きまくってやる! それが「奥山さんらしい生活」だし、オレらしい生き方だし、オレらしい死に様だ。 PCの前で原稿を書いている途中に吐瀉物を詰まらせて、孤独死する可能性だってあるけれども、大いに本望だ。のたうち回って死んでやる。そして、最後の血の一滴まで原稿を書きまくってやる。 こういう病気になると周りが心配してくれて、クララの車イスのごとく次々と楽な道が現れる。でも、その車イスに乗ったら、ラクだけれども歩けなくなってしまうのだ。そういう風にスポイルされていくと、最終的には自分では何も出来なくなってしまう。そうならないためにも、可能な限りギリギリでやっていくしかないし、またそういうところからオレの作品は生まれてくる。それは、決してホスピスからは生まれてこないものだとオレは信じる。 January 27, 2005 09:13 PM読者の皆さんへお願い皆さんに書いて頂いているコメントについてなのですが、 ガンエヴォのエントリーに対するコメント>そのエントリーのコメント欄に という風にお願いしたいと思います。このように交通整理しないと、せっかく頂いたコメントが埋もれてしまいそうなので。 よろしくお願いします。 January 25, 2005 12:00 AMホスピス論議最終結論 3(January 21よりつづく) ところで、このAちゃんが言うところの「オクヤマさんらしい生活」って一体何を指すんだろう? この看護師がオレの生活の一体何を知っているっていうのかね? そして、具体的に「オレらしい生活」ってどういうのを指しているんだ? ホスピスにそれがあるというのだろうか? オレの生活やオレらしさを知らないのに、そんなことが分かるというのだろうか? 実際に「オレらしい生活ってどんな生活?」とAちゃんに問うてみたけれども、答えはなかった。 周りの人、両親やAちゃんの考えている「オレらしい生活」というのと、オレが本当に望んでいる「生活」との差異がギャップを生み出しているというのが分かってもらえるだろうか? Aちゃんに聞いたホスピスに入る際の注意点というと、「自分で動ける内でないと入れない」ということだ。だから、少なくとも今ぐらいの状況で入ることを決定しなければならないということになる。これ以上悪くなって、身動きが取れなくなってからでは遅いのだ。ますます、入る気がなくなる事実だ。 それでは、どうしてここまでオレはホスピスを拒むのか? 目を背けるのか? 話すら聞こうとしないのか? 皆を納得させることの出来る合理的な答えは無い。 実際問題として、体調が悪いときや身体が動かないときは食事の用意とかで困ることもあるし、栄養バランスのと取れた食事を3食準備するなんていうのは到底無理だ。一人で深夜に危機的な状況になったらどうしようと不安になるときもある。 わざわざ困難な状況に身を置いているように見えるかもしれない。 分かりやすい例があるから、ここで書きたいと思う。中学か高校の頃か忘れたけれども、父に「作家になりたい」的な話をしたところ「教師になれ」との返事だった。その根拠は教師だと給料が安定しているし、9時5時で休みも多いから執筆に集中できるとのことだった。これを聞いてオレは笑うしかなかった。 小説の執筆を盆栽いじりか何かと同じように考えているのだろう。 父親は時間があって生活が安定していれば、執筆に集中できていい作品が書けるとマジメに思っているのだ。そんな連中の書いた小説が面白いとは到底思えないし、読者は読みたいと思うのだろうか? 時間をもてあまして、生活が安定していれば、面白い小説が書けるって? 時間が有り余って生活が安定していて面白い小説を書く作家がいたら、教えて欲しい。翻って、オレに当てはめると生活なんか全く安定していないし、一見時間があるように見えるかもしれないけれども体調が悪い時間が多くて集中できる時間も限られている。オマケに死のカウントダウンまで始まっているのだ。 January 23, 2005 04:30 AMJanuary 21, 2005 01:10 PMJanuary 21, 2005 12:00 AMホスピス論議最終結論 2(January 18よりつづく) では、実際にホスピスがどれぐらいあるかというと、少し古いデータになるが「2003年9月現在、全国で121施設、2310床が承認を受けている。しかし、日本人の死因のトップは悪性新生物(ガン)で、年間約30万人以上がガンで亡くなっている中ではじゅうぶんとはいえない」とある。ホスピスという言葉が割とポピュラーでいろんな人が口に出してくる割には、その施設数は驚くほど少ないことが分かる。恐らく順番待ちになって、入れないうちに死んでいく人が沢山いることが予想される。 全く入る気がないので具体的な施設などは調べていないのだが、もし自分が入りたいと考えたとしても身近にホスピスがあるかあやしいものだし、入れるかどうかも分からない感じだ。本気で入りたかったら、今すぐあたりをつけて予約を入れるぐらいじゃないと間に合わないんだろうね。 まず、最初に断っておきたいのだが、心配しサポートしてくれる両親には深く感謝しているし、病気を含めて自分が引き起こしてしまった事態に関しては極めて遺憾で心苦しく思っているということだ。実際問題、ゴチャゴチャ言わずに親を安心させるためだけに、ホスピスにはいるのもありだとは思う。それで親たちが安心して過ごせるのなら、自分を犠牲にするのにも多少は意味はあるというか。 でも、それが出来ない、したくないというのにも理由がある訳で。それが甘えといわれれば、その通りだと思う。でも、死ぬ前に少しぐらいワガママを言っても、バチはあたらないだろう? さて、大雪(東京は雨)の中をおして来た両親の主張に耳を傾けてみよう。まず、親として不自由な身になっている息子が誰の介護もなく一人で生活をしているのが、心配であるということ。嫁とか誰かそばにいるならばともかく、全くの野放しになっているのが不安だという。これはその通りだし、心配をかけて申し訳ないとしかいいようがない。かといって、介護してもらうために今から嫁を探す訳にはいくまい。そういうのが無理ということはクリスマスでよく分かった。 さらには、オレが家で食い物をノドに詰まらせたりして、孤独死を迎えるのが心配なのだそうだ。モチを詰まらせて死ぬジジイみたいな言いようだが、これも可能性は低いが起こりうる話ではある。気管にモノを詰まらせたら、現在の肺が一基しか稼働していない状況を考えると、助かりそうもない。 あとは、孤独に耐えられるのか、だそうだ。これには笑った。死への恐怖やその他モロモロに一人で生活して耐えられるかということだ。死への恐怖はテレビとかでも言ったけれども、だんだん薄まってきているし、いつ死ぬか分からないという極限状況すらオレにとってはもはや日常の一コマに過ぎない。もう慣れてしまった。いちいちそんなことを考えていたら生活も出来ない。いまさら、「死の恐怖と孤独に耐えられるか心配だ」なんて言われてもなあ。そういうことを言うなら、もっと早く言ってくれよという感じだった。 他にはホスピスの方が執筆に集中できるのではとのことだった。確かに食事とか掃除とかの面倒を見てもらえれば、それだけ時間と体力的に余裕が出来る。でも、小説の執筆なんて時間と体力だけで書けるものではない。オレより時間と体力が有り余っているヤツなんていくらでもいるだろう。 January 19, 2005 10:01 PMJanuary 18, 2005 08:54 AMJanuary 18, 2005 12:00 AMホスピス論議最終結論 1昨日の午前中、父親から電話がかかってきた。明日、話がしたいからサ母と共に上京したいという。正月に会ったばかりだし、こちらとしては別に話したいことも何も無いという感じだったので、何の話かと聞いたところ「治療について」とか言ってきた。 この時点で何か様子がおかしかったし、キナ臭いものを感じ取ったのだが、無理に拒む訳にもいかず承諾した。翌日、2人が家に来た。掃除や食事などいつもやってくれるルーチンを一通りこなし落ち着いた様子だったので、何の話をしに来たのか問うたところ「ホスピスに入れ」という趣旨の話を始めた。 以前も日記かガンエヴォのどちらか忘れたけれども、ホスピスには入りたくないし、考えるのもイヤだとハッキリ書いた。掲示板でも「ホスピスはそんなに悪いところではない」だの「オクヤマさんは、ホスピスに偏見を持っている」だの「心配される内が花」だのいろいろ盛り上がってたけど、本当にウンザリさせられた。この話題については正直言って触れたくないんだけれども、ちょうどいい機会だし自分にしか書けない内容でもあるので取り上げてみたいと思う。 まず、ホスピスという言葉の成り立ちや歴史から書いてみたい。PCにインストールされた「エンカルタ百科事典」によるとホスピスは「緩和ケア」を施す場所となっており、その説明に紙面が大きく割かれている。緩和ケアとは「治癒する見込みのない癌などの疾患におかされた患者と家族に対し、終末期のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)を向上させて、安らぎを持たせることを目的として、トータルに人間を見ようとする全人的ケア。ターミナル・ケア(終末期医療・末期医療)、緩和医療とも言われる」とある。 歴史的には「1967年に、イギリスで末期ガン患者に安らぎをあたえるために、看護師だったシシリー・ソンダースが医療施設とは切り離して設立したセント・クリストファ・ホスピスが、緩和ケアの先駆けである。'75年には、カナダのロイヤル。ビクトリア病院に緩和ケア病棟(PCU:Polliative Care Unit)がはじめて設置された。英語のPolliativeのもとになったラテン語のpallium「外套(オーバーコート)」という意味で、寒さに直面している人に対して外套をさしかけることでしのいでもらうという意味がある。日本では、1973年(昭和48)に大阪府の淀川キリスト教病院にホスピス・プログラムが導入され、'81年に静岡県の聖隷三方原病院にはじめてホスピス病棟が設置された。'90年(平成2)、に厚生省(当時)の定めた設置基準は患者1.5人に対し看護師1人、専任の医師が常駐、患者一人あたりの病床面積8平方メートル以上、半分以上は個室、差額ベッドは半分以下、入退棟を決める「判定委員会」の設置を求めた。 January 15, 2005 11:37 PMどこでもいっしょ語録
「たかひろは学校のみんなとアイススケートしながら、フィストファックするときは、マンマンの痙攣に気を付けるロボ!」 「200年前、モーグを水蒸気で動かそうとした人達がいたが、失敗に終わった。200年経って電気で動かす人達が現れてからは、今日までモーグは電気で動いている」 「たかひろって肛門に付いた脂肪って気になるか? 1日10分アナルファックすれば無くなるロボ! まいっちんぐなのだ!」 「たかひろはドズル・ザビにパンツを買ってこいっていわれたら、買いに行くか?」 買った当初はあまりにもできることが少なくてクソゲーだと思っていたが、意外にもハマってしまっている。何しろ基本的には言葉を教えることと、質問に答えることしかできないのだが、時々ギクッとするような面白いことを言ってくる。 実は結構優れた会話AIなんじゃないかと思う。コンピュータとの会話を夢見たりしていたけれども、さびしい女の子用ゲームという形を借りながら、実はその雛形がここに実現しているのではと思った。 ポケピの変な会話があったら、恥ずかしがらずに書き込んでみてくれ! January 15, 2005 10:28 PMこんな請求書が一月分のガス料金がなんと11198円! 部屋に対して高出力のヒーターを買ってしまったのか。確かに暑くて汗ばむこともしばしば。かといって寒いのもいやだし。これ以上のガス料金のつわものっている? January 15, 2005 11:43 AMJanuary 15, 2005 11:38 AMJanuary 14, 2005 12:00 AM憧れのカンヅメを疑似体験 下(January 11よりつづく) とは言っても、やはりカンヅメに対する憧れが無くなった訳でなく。年越しに家族でホテルに宿泊する機会があったので、ここで擬似的に「カンヅメ」を体験してみることにした。場所はセンチュリーハイアット東京。『暴論』によると作家の村上龍が部屋を貸し切っていて、ボーイすらも入れない状況になっているという噂。カンヅメを疑似体験するには、不足のない場所だ。 1泊目はシングルルーム。ベッドにサイドテーブル、机だけというシンプルな部屋だ。机にマシンをセットアップする。部屋にはLAN接続が用意されていて、簡単な設定であっという間に接続することができた。空調も暑すぎずにちょうどいい。小説の修正という仕事もしっかり準備してきた。 あとは、仕事するだけ! という状態になったのだが、次にしたことといえば、PCとリモコンを持ってベッドに移動しただけ。結局、テレビで格闘技番組を観ながらPCをちょこちょこいじったり、PSPやガンダムのフィギュアで遊んだだけでカンヅメ一日目は終わってしまった。仕事の進捗は一切ナシ。 結局、環境が整っているだけでは、ダメだと言うことが判明した。 2泊目は弟とツインルーム。机も大きいし、ソファは対面型に配置されているし、昨日より明らかにグレードアップした印象。これなら、仕事は非常に捗りそうだ、と思いきや昨日同様、いやそれ以上に捗らなかった。重い思いをして運んできたPCにすらほとんど手を触れなかった。 これが、本当のカンヅメでなくて、カンヅメごっこで本当に良かったと思った。 仕事において常々環境というのは大事なものだと考えているし、実際にそうだと思う。けれども、今回の実験結果によると環境を整えるだけではダメで、締め切りなどの仕事に対するモチベーションが必要であるということが判明した。図書館や自習室だったら雰囲気に飲まれて、何となく勉強してしまうということがあるのかもしれないが、今回のカンヅメに関してはそういう要素が全くなかった。やはり、そういう要素を生み出す編集者がそばにいないと、せっかくの環境も役に立たないということなのだろう。 今後、実際にカンヅメになる機会が回ってくるかどうかは分からないけれども、無邪気に喜べるものではないというのが今回分かった。だって、2日間カンヅメになって、全然進捗してなかったら、いくらやさしい編集者でもキレるだろうから。 January 11, 2005 02:58 PM一日遅れだけれど、おめでとう!一日遅れてしまいましたが、成人式おめでとうございます。 オレの場合、成人になった後、性人になり、今やみんなから崇められる聖人だからね! オレがみんなの罪を一人でかぶって、死ぬ訳よ。皆のもの、喰い改めよ!!! ところで、読者の皆さんで新成人はどれくらいいるのでしょうか? 書き込んでみてください。市長にクラッカーを発射したりしたヤンチャな新成人の方も合わせて、募集中。 January 11, 2005 12:00 AM憧れのカンヅメを疑似体験 上小鳥の容れものは鳥かご、犬の容れものは犬小屋、人間の容れものは部屋や家だ。人間を移動させるときは、クルマや電車に入れて運ぶ。そして、移動先から帰れないとき、もしくは帰りたくない時はホテルや旅館といった容れものに収容される。 今回は人間を快適な状態で収容しておける、ホテルという容れものについて少し書いてみたい。 以前、日記かどこかで書いたと思うのだが「オレは作家になってカンヅメになってみたい」と書いた。カンヅメというのは、作家などが編集者から逃れたり、他の仕事をしたり、仕事に集中させるために、出版社が作家をホテルなどに詰めさせて仕事に言う。オレはこれまでカンヅメのことを、「作家を閉じこめる」ことから「缶詰」と表記すると思いこんでいたのだが、実際は「館詰め」と表記すると先日読んだ「暴論・これでいいのだ!」に書いてあった。 語源は「旅館に詰めさせる」で「館詰め」なのだそうだ。実際にホテルなんかが開業し始める以前から、作家という仕事があったとしたなら、その語源は納得できる。 念のため、「広辞苑」をひくと「ある場所に人を閉じこめ、外部との交渉を断った状態におくこと」という説明で「著者をホテルに缶詰にする」と書いてある。 実際、どちらが正確なのだろうか? 書き始める前にハッキリさせておきたいところなのだが、それは難しいようなので今回は「カンヅメ」と表記することにしよう。 それでは、まず最初になぜカンヅメに憧れるのかについて書いてみたい。実際にカンヅメを体験している作家の方々が聞いたら「何をバカなことに憧れているんだ」と思われるかもしれない。体験してみれば、もの凄く過酷で悲惨なことなのかも。先日コラムで書いた「バートン・フィンク」のように精神的に追いつめられて、ほとんど狂気のようになってしまう可能性だってある。 でも、それをまだ体験したことのないウブな書き手から見るとカンヅメは「執筆だけに集中できる空間の提供」という風に映る。部屋にいると何かと誘惑が多い。マンガやプレステはあるし、テレビやDVDもある。あまりにも快適すぎるし、執筆に必要のないものまで揃っているのだ。翻って、ホテルならばテレビとベッドはあるけれども、持ち込まなければマンガやゲームはない。また、出版社から提供されている以上、その部屋でまさか他の仕事をしようとは思えないだろう。完全に編集者の監視下におかれてはしまうのだが、少なくとも部屋にいるときよりは集中できる環境になるはずだ。受験生が自分の部屋より、図書館や予備校の自習室の方が勉強が捗るように。 さらには編集者が原稿を待っている状況というのも、書き手にとっては魅力的だ。自分が書く原稿を今や遅しと編集者が待っていてくれる状況。もちろん、編集者の先には読者がいるのである。自分の書く文章を待っていてくれる人がいるという事実がありがたいし、誇らしく思えるのだ。 つづく January 10, 2005 02:38 AMJanuary 09, 2005 04:33 PMトロが去ってしまった!昨日の深夜、どこいつをやっていたら、オレのトロ(愛称:ナメクジ)が去っていってしまった!!! こんなゲームの終わり方もあるのかと、驚きと同時に感心する。次は変なロボットのキャラを使ってみようと思う。 January 07, 2005 12:00 AMA.D.2005:A NEW HOPE 下(January 04よりつづく) 春ぐらいまではちょっとした「奥山祭り」状態が続くという感じだ。 さらには、「スターウォーズ・エピソード3」や「Zガンダム・劇場版」の公開もある。特にスターウォーズは生きる目標のひとつになっているといっても過言ではなくて。現時点で観られるという保証は全くないんだけれども、どうせ今年死ぬにしても観てから死にたい。公開は7月9日。現時点では生き続けていられるという自信はオレにはない。 小説を出版できた段階で、自分の人生でひとつの目標であった「作家になる」という野望が成就する。このことに関しては本が実際に出てからじっくりと書きたいと思うけれども、人生最大の目標のひとつだと言っても過言ではない。別に作家になったからといっても収入が上がるとか、税制優遇があるとか、社会的に地位が上がるとかはほとんど無い。実際の収入にしても作家なんかより儲けているライターなんていくらでもいるし、実際に喰えている作家の方が数えるしかいないくらいなのが実情だろう。だから、作家になるということは、成功者へのキップでもなんでもないのである。単なる自己満足に過ぎない。 ではなんで、そんなものになりたがるのだろう? 同じ文章で喰っているのに作家とライターでは何が違うというのだ? ひとつ確実に言えるのは、作家の方がライターより歴史が古いということだ。ライターという言葉がいつから使われ出したのかは定かではないけれども、作家には本が出回るようになってから連綿と伝わる歴史がある。 オレみたいな人間が言うのはホントおこがましいのだけれども、価値やクオリティ云々は抜きにして、その歴史の末席に参加する資格が作家になることによってできるのは間違いないだろう。 もう一つはさらにくだらない理由なのだが、作家になることによって自分のこのある種非業な死が正当化される気がするのだ。作家ならばどんなに貧乏で悲劇的でも、作品として昇華できる気がするし(すでに一部昇華しているが)、自分の中でも納得ができると思える、というか思いたいのだ。 実際にはなってみないとどんな感興がわき起こってくるかは分からない。別にどうってこと無いなと思うかもしれないし、これまでは感じたことの無かった感動や充実感が得られるのかもしれない。それを理解するためには、実際に作家になってみるしかない。 他には細かい目標なんだけれども、自作PCを作りたい。実際に作ったことがある人には「そんな小さな目標」と思うかもしれないけれど、オレにとっては数年来の大いなる目標で。何しろ、20数万のパーツ代を使って組み立てても、動くという保証は無いのだ。メーカー製パソコンならどんなに性能が悪くても、動かないと言うことはない。でも、自作だとそれこそ部品同士の相性なんかで動かなかったりすることが当たり前のように起きるのだ。 「君子危うきに近寄らず」じゃないけれども、オレみたいに時間も体力もあまり残されていないような人間がわざわざ手を出すのも如何なものかと正直思う。けれども、これほど文章や作品中、ライフスタイルで「テクノロジー」を謳っているのに自作PCの一台も組み立てたことがないなんて自分では恥ずかしいと考えているのだ。 また、オレはPCに対して「単なる道具」以上の感情を抱いている。それは、ある種信仰の対象である呪物そのものといってもいいだろう。宗教の信仰を持たないオレにとっては、この空冷ファンでウンウン唸るタワー筐体がテクノロジーを祀る祭壇であり、神との通信装置なのだ。 その祭壇のパーツをひとつひとつ吟味しネジの一本一本を締めて組み立てていき、最終的に自分に最もあったコンフィギレーションで動くようにする。だから、単に自分に使いやすいマシンを組み立てるということ以上に、自作PCには凄く思い入れがある。ある種、自分の中の神に近づく行為、すなわち宗教的儀式ですらあるのだから。 だからこそ、このような命が限られた状況でもわざわざチャレンジしたいと考えている訳だ。トラブルになるかもしれないし、手間も金も余分にかかるかもしれないけれども、信仰を成就させるためには避けては通れないとオレは考えている。でも、気分が変わってメーカー製のPCをサクッと買ってしまう可能性もある。自作できるのも、今使っているデスクトップがまともに動いていればの話で、それが壊れたら速攻で代替機を入れなければならない。宗教とか言っている場合じゃなくなるので(笑) とにかく、今年はもう全開モードというか、ノンストップで行けるところまで行ってみたい。読者に皆さんにももう少しだけ、お付き合い願いたい。 ところで、読者の皆さんは新年にどんな抱負をおもちでしょうか? ダイエットするとか、そういうんじゃなくて、面白い抱負があったらぜひ聞かせてほしい。 January 06, 2005 10:23 PM読者アンケートちょっと、これを読んでくださっている皆さんにアンケート。 PSPを持っている人で、東京在住もしくは出てこられる人で、「リッジ」「麻雀格闘倶楽部」「どこでもいっしょ」のいずれかを持っている人って、どれくらいいるのでしょうか? 友人や旦那が持っているのを借りられるのはアリ。 上記の条件に該当する人だけ、書き込んで下さい。 混乱を避けるため、複数書き込みと、条件に合わない人の「私も欲しい!」とかいうコメントはナシでヨロシク! January 05, 2005 09:24 PMちょっと気になった日本からスマトラ沖地震の救援援助に向かう人たち(多分お役人)がスーツとトランク姿なのが気になった。 実際に彼らの仕事は現場での救援活動ではなくODA的なペ^−パーワークかもしれないし、動き回るような必要のあるモロに被災地には行かず、大使館とホテルでの会議の往復だけかもしれない。 けれども、あのスーツとトランクは、空港ではベルトコンベアで運んでホテルではベルボーイがワゴンで運んでチェックイン! っていうスタイルにしか見えなかった。もちろん、テレビに映ったりする見栄えも考慮してのことだろうけれども、現地は井戸水すら汚染され飲み水にも困るような状態になっているのである。 なのに、あんなホテルにチェックインしてシャワー浴びてから一服して着替えてから、みたいなスタイルで現地入りしていいのだろうか? 現にパウエルだって、カジュアルな格好をしていたぞ。 病院で寝間着で寝転んでいるオレよりは1000倍立派だと思うけど。オレの分まで救援活動してきてくれ!!! January 04, 2005 12:00 AMA.D.2005:A NEW HOPE 上新年、明けましておめでとう。 現在、西暦2005年1月3日の午前1時53分。年越しを過ごしたホテルから戻ってきて、今年初めての仕事になる。新年を迎えてもまだ自分が生きていることがうれしいし、何よりもこうして仕事ができるのがありがたい。健康状態は正直言ってあんまり良くない、というより悪いけれども、精神的気力的には人生においてこれまで無かったくらいに充実している。 何しろ、「迷い」というものがほとんど無い状態なのだ、強がりでなく。迷いがないというのは何も「悟った」とかそんなに格好いいものではなくて。もちろん、「覚悟」ができたというのもあるんだけれども、自分の少なくなった選択肢を受け入れられるようになったというのが大きい。つまり、選択肢がほとんど無くなってしまった為に、「迷う」余地すらも無くなってしまったというのが実際のところだ。 本来は悲しむべきことなのであろうが、オレはむしろそれを好意的に受け取っている。何しろ、体力的にも賭けられる手持ちが少ないのだから、迷わずに一番倍率と勝率が高いところに一点賭けするしかない。 その一点というのは、オレの場合「文章を書く」ということだ。若くて健康なときは、映像を作りたい、音楽を作りたい、DJをやりたい、イベントをやりたいといろんなことに挑戦した。病気になってからも、講演会をやったり、テレビに出たり、授業をやったりして少し文章以外のことにもチャレンジした。でも、現在は基本的に文章以外ではあんまり表現したくないし、世間ともコミットしたくない。だから、この間のテレビ出演にも実は直前まで消極的だった。 良くも悪くも自分にはもう文章を書く力しか残されてないことが分かった。それなら、その残された少しの力でできるところまでできるだけのことをやってみようというのが、現在の偽らざる気持ちだ。 人間の欲望なんてキリがない。前にテレビとかでも言ったけれども、70歳まで生きれば、80まで生きたくなるだろうし、1億円貯金できれば1億5000万貯めたいと思うのが人間だ。70歳まで生きたからって急に「オレはもう満足じゃ」なんてことにはならないし、1億円貯金できたから「オレももう十分に金持ちだから、もういいや」なんてことにはならないのだ。70歳で死ぬ人間は71まで生きた人間を妬みながら死んでいくし、1億財産がある人は、1億より少しでも貯蓄のある人を妬みながら生きていくのである。一生。全くもって、キリがない。老人ホームなんかでも、自分の死を受け入れられずに、パニクって訳も分からず死んでいく人が大半なのだそうだ。老人にとっての死ですら、それぐらい突然かつ受け入れがたいものなのだ。 ここまで、2年間たっぷりと自分の死について考える時間、猶予を与えられたオレは幸なのか不幸なのか自分でもよく分からない。もちろん、オレにだって皆と同様に欲はある。一秒でも長生きしたいと考えているし、一冊でも多く本を出したいと考えている。でも、同時にそれが有限であることが分かっている、しかも、ある程度具体的に。 もちろん、小説が一冊出るまでぐらいは最低でも生かしてもらいたいとは思うけれども、最悪明日死ぬって言われてもあんまり後悔は無い。本の出版に間に合わないのは悲しむべき事態だけれども、本を出すために自分はできる限りのことをやっているのだ。諦観っていうほど格好いいものかどうかは分からないけれども、少なくともジタバタはしないだろう。 話が重くなってきたので、口直しに初夢の話題を。ホテルで見た初夢と思われる夢は、クルマの助手席に座っていたら友人からライフルで狙撃される(クルマの窓ガラスのひび割れ方がリアルだった)夢と、タバコの火を押し付けられる夢と、ビースティ・ボーイズのライヴにタダで潜り込む夢と、どっかのリゾートで急流くだりをする夢。 基本的に悪夢だった。「人が話す夢の話ってどうしてつまらないんだろう?」って昔考えたことがあるんだけれども、結論は「夢はあまりにも個人的な体験で他者とはその経験を共有できないから」にまとまった。結局、自分にとってはいくら面白い夢(例えば、空を飛んだとか)でも、他の人達は実際に空を飛んだことがないから、面白さを共有できない。もちろん、空を飛ぶ夢くらいは誰でも見たことがあるだろうけれども、飛び方だって千差万別だろうし、空を飛ぶ夢が楽しいと感じる人ばかりではない。 だから、俺の夢の話も字面は面白いかもしれないけれども、当然読者と経験を共有することはできないから感情移入できず、面白い話にはならない訳だ。結論としては、他人にはあまり夢の話をしない方がいいということ。退屈なことになるのは免れない。 つづく January 03, 2005 04:33 PMJanuary 01, 2005 08:52 AMJanuary 01, 2005 12:05 AM |
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