2004年10月31日

苗栗県竹南→苗栗県白沙屯 異国での死 Secret garden 大陸スパイ

「昨日事故で人が亡くなったそうだよ。」竹南に向かう車の中で李校長がそう言った。出血の量から判断してスクーターを運転していた人物がかなりのダメージを受けただろうことは予想できたが、亡くなってしまったとは…。「運転していたのは外国人らしいよ。飲酒運転の上に更にスピードを出し過ぎたらしいね。」李校長の話では運転していたのはたぶんタイ人労働者だろうとのことだった。彼も自分と同じ外国人。異国の地で、それも交通事故で命を落としたあの紺色のキャンバスシューズの持ち主のことを考えると他人事には思えなかった。明方の惨況がフラッシュバックする度に胸に痛みが走る。彼の家族や友人たちはもう彼の死を知っているのだろうか。事故現場で慟哭していた女についても聞いてみたが亡くなった外国人との関係はわからなかった。

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李校長の新竹市立東門小学校には結局3日間も宿泊させてもらった。昨日は休足日として一日歩くのを休んだので、一昨日のゴール地点の竹南まで李校長が車で送ってくれた。

「私は校長の仕事をするようになって18年目。来年2月には定年退職だよ。東門小学校は1996年から赴任して8年になるけど学生数も多いし父兄からの要求も多いからそれらに対応するのは大変だよ。1986年から1993年までの7年間は内湖小学校にいてね。田舎の子供たちは純朴というか天真爛漫でいいね。父兄との関係もとても良かったし。内湖の子供たちと牧草地に遠足に行った日のことが忘れられないなあ。緑の草原を裸足で走り回ったりしてね。あの時の子供たちの笑顔、永遠に忘れられない一日だよ。」
車のハンドルをにぎりながらそう話す李校長の目は本当に優しげだった。

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竹南で李校長と別れ再び南下。今まで歩いて来た省道15号線は新竹市からは61号線と名前が変わる。

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本日快晴!池端に咲く糸瓜の黄色い花が目に眩しい。

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「乗ってかない?」中港渓に架かる橋を歩いている時に、声をかけてくれた家族連れ。とても嬉しい申し出だが「台湾徒歩一周旅行中なので。」と断る。出発してから12日目にして初めて車に乗らないかと誘われた。

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路傍の廟の屋根に立つ極彩色の神々。

竹南から歩くこと約2時間。省道61号線からちょっと外れた場所に気持ち良さげな木陰を宿した美しい野原があった。昼ごはんを食べる場所にもってこいだ。名も知らぬ花々が一面に咲き、木陰を渡る涼風がなんとも心地よい。こんな素敵な場所でご飯を食べるとコンビニのおにぎりでも格別美味しく感じられる。

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路傍のオアシス。My Secret garden

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馬纓丹の花

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新竹のLa Newスタッフからいただいたセブンイレブンの「釧路鮭おにぎり」とクランベリージュース。台湾では日本テイストのおにぎりが大人気!

雲一つない青空。緑の絨毯。白や淡いブルー、ピンク色の可愛い花々が咲く木陰で大の字になって横たわる。ツンとした草の香りがそよ風に運ばれてくる。なんて気持ちがいいんだろう!例の事件のせいもあって寝不足気味だったこともあり、2時間も寝込んでしまった。

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至福の一時。ふと今朝の李校長の草原での遠足の話を思い出す。

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昼寝を終えて再び歩き始める。田圃の稲がたわわに実っていた。

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苗栗県後龍近郊にて

今日の最大の課題は今晩泊まる場所を確保するということ。苗栗県内では泊まる場所がなかなか見つからず事前に手配できたのは通宵小学校と苑里小学校のみ。竹南から通宵まではかなり距離があるのでその間で一泊することにしたのだ。
元々は後龍に泊まろうと思っていたのだが61号線沿いでは宿は見つからなかった。
「この辺りにホテルや民宿はないですか?」道行く人に尋ねるがこの辺りは台湾語しか通じない人が多くなかなか意思疎通が難しい。しばらく歩いていると犬の散歩をしているオジサンに遭遇。再び近くに宿泊先がないかどうか尋ねる。
「アンタ何をしにここに来たんだ。身分証は持ってるのか?」
こんな犬の散歩をしてるオヤジにまさか身分証の提示を求められるとは思わなかった。それに何かやたら高圧的な口調なのがムカつく。
「知らないならいいよ。」と、オヤジを無視してそのまま歩き出す。
 それから約20分後。61号を南下し続けていると突然すぐ後ろで車が停まる気配がした。また誰かが車に乗らないかと声をかけようとでもしてるのかなと思いつつ後ろを振り向く。一瞬目が点になった。僕の真後ろに停まっていたのは回転灯を煌かしたパトカーだったのだ。
「おい。お前どこから来たんだ。ここに何をしに来た?」
眉間に皺を寄せたガッツ石松似の警官が腰のホルスターに軽く手を当てながらパトカーから降りてきた。ふとパトカーの助手席に目を移すと乗っているのはさっきのオヤジではないか!密告しやがったなー!
「日本から来て、今は台湾を旅行してるんです。」
「日本人が中国語を話すなんて変じゃないか。身分証を見せてみろ。」
う…。困った。実はパスポートは大きい方のバックパックに入れ通宵小学校に送ってしまったのだ。どうやら警官は僕が大陸からの密入国者かスパイか何かじゃないかと勘ぐっているらしい。面倒なことになってしまった。そうだ!でもアレがあった!
「パスポートは別の荷物に入れて送ってしまって持ってないんです。でもコレを見てもらえば僕が別に怪しい者じゃないってことがわかるはずです。」
そう言ってデイパックから取り出したのは10月21日付けの中国時報、自由時報、蘋果日報に掲載された僕の記事。
最初は眉間に皺を寄せながら読み始めていた警官の顔の表情が一気に和らぐ。「一人で台湾を歩いて周ってるのかい?そりゃ大したもんだね。この辺は車の量も多いし気をつけるように!」警官は最後には笑顔で見送ってくれた。何はともあれ誤解も解けて一安心。

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僕を通報したオヤジはついに一度もパトカーから降りてこなかった。

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17時半。今まで歩いて来た61号線が1号線に変わる。

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18時50分、白沙屯にある「大腕公」で梅花排骨飯NT$70(約220円)を食べる。店名通りお碗がでかくかなり食べ応えがある。

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「大腕公」の一家全員と。

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19時。辺りはすっかり真っ暗。白沙屯付近で民宿を見つけ一安心。

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「欣園民宿」一泊NT$500。出来たばかりの民宿でとても清潔。

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オーナーのチーさんはジャック・ニコルソンと大橋巨泉を足して2で割ったような顔をしたとにかく存在感のある人物。仕事で海外との取引が多いとのことで流暢な英語を操る。

2004年10月30日

新竹市 黎明の哀叫

誰かの泣き声で目が覚めた。部屋の中がまだ暗い。時計を見るとまだ午前5時20分。壁越しだが僕の寝ている所から数メートルも離れていない道端で女が泣いている。たぶん夫婦喧嘩か何かだろうと思い再び寝袋の中に潜り込む。しかし外から聞こえてくる泣き声が未だかつて聞いたことのない悲痛な、喉の奥から搾り出すような慟哭だったので、これは只事ではないと思い始めた。女は狂ったように何かを叫びながら号泣している。遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。やはり何か徒ならぬ事件が発生したのだ。とにかく様子を見てみようと上着を着込み外に出てみることにした。
昨日に引き続き新竹私立東門小学校に宿泊したのだが、その校門を出てすぐの十字路にパトカーが3台、救急車が1台、赤と青の回転灯の光を辺り一面に撒き散らしながら停まっていた。現場にはもう数人の野次馬が集まっている。

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Something has happened

十字路の反対側に目を移すとオレンジ色の毛布を巻かれた誰かが担架に乗せられ白衣を着た救急隊員に運ばれているところだった。女はまだ道の片隅で泣き叫んでいる。
人垣が出来ている現場に近づいてみて息を呑んだ。紺色のキャンバス地のシューズが道の中央に転がり、その周りには直径1mほどのどす黒い血溜まりが広がっていた。数人の警官がいる方向に目を向けるとカウルが原型を留めないほど無惨にひしゃげたスクーターが転倒している。
回転灯の光を受けるたびに暗い光を放つ血溜まり。鑑識の警官が焚く白いストロボの光に照らし出された紺色のキャンバスシューズ。その靴の持ち主が助かることを祈りつつ現場を離れた。
交通事故。台湾の交通マナーはかなりヒドイものだ。信号無視、無理な追い越し、スピードの出しすぎ、交通事故が後をたたない。これから毎日猛スピードで車が行き交う道を自分は歩かなければならないのだ。いつこんな事故が自分の身に降りかからないとも限らない。紺色のシューズ、ドス黒い血だまり、ひしゃげたスクーター、慟哭する女。その光景がいつまでも脳裏から離れなかった。

2004年10月29日

新竹市→苗栗県竹南 潮風に吹かれて

昨晩は新竹市内にある東門小学校に泊めてもらった。1897年創立。107年の長い歴史を持つ。生徒数2800人、教職員150人のマンモス校だ。校長の李さんは校長歴18年のベテラン。
「昨日は夜遅くに着いて新竹市内は全然見てないだろうから、ちょっと案内しますよ。」そう言って、李先生は市内の見所と、漁港などを案内してくれた。

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新竹市立東門小学校の李校長と

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台湾の小学校の立派な校舎に比べると、日本の小学校はとても貧弱にみえる。

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学校の近くにある東門城。1733年建造。

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南寮漁港。漁港周辺では夜市が開かれる。

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新鮮な魚介類が並ぶ。日本では見たことないような魚も多い。

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漁港内の乾物屋さん。鳥魚子(カラスミ)も売ってます。

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李校長に新竹市内をあちこち案内してもらった後、昨晩遅くに着いて中に入れなかった港南小学校を再訪。何先生と顔先生が校内を案内してくれた。

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港南小学校から歩くこと1時間。美しい水田の緑が目に眩しい。

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田圃と田圃を仕切る生垣としてハイビスカスが植えてあった。いかにも南国台湾らしい。

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道端に咲く花々が目を楽しませてくれる。

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木陰で一休み。

新竹市の南寮から内湖までの17キロに渡って「風情海岸」と呼ばれる観光用の遊歩道が整備されている。潮風に吹かれつつ海を眺めながら歩くのは気持ちいい。だが気温は30度以上!真上から照りつける日差しがジリジリと肌を焦がしていく。
「そうだ!こんな時こそアレを使わなければ!」ということで、伊勢半の森姉妹から頂いたSunkiller を顔と腕に塗る。普段はUV対策なんて考えないけど、陽射しの強い台湾では日焼け止めはやはり必須アイテムなのだ。

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とてもコンパクトで携帯に便利なサンキラー。¥700(税込¥735)

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南寮から内湖まで17キロ続く遊歩道。

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「こんな暑い中よく歩くね。え?台湾徒歩一周?!」遊歩道工事の中休み。

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14時20分。遅い昼食をとるためにドライブイン「老鍋」に立ち寄る。

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ここの焼ビーフンNT$40と貢丸湯NT$30は絶品!ちなみにビーフンは新竹の名産。

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17時。河を薄紅色に染めて夕陽が沈む。

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17時20分。苗栗県竹南鎮竹南小学校着。

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台湾の小学校はどこも地域の人たちに広く開放されている。子供たちの下校後は運動をしに来る近所の人たちで賑わう。

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18時20分。歩道にパジャマ姿で不動の姿勢のオジサンに遭遇。夢遊病者と思いきや気功をしているとのこと。「これやってるとね体調がいいんだよ。一緒にやるかい?」

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19時。竹南「龍鳳宮」着。闇夜に浮き上がる巨大な媽祖像がなんとも怪しい。まるで海洋堂本社の大魔神みたいだ。媽祖様に旅の安全を祈りつつ、本日はここまで。

2004年10月28日

新竹県新豊郷→新竹市 学校訪問リレー

昨日に引き続き今日は笨港小学校5年生のクラスに招待される。
「今日の午前中はちょっとハードスケジュールだよ。5年生の授業が終わったらまだ紹介してない他の全学年の生徒を紹介するから。その後はこの付近にある小学校3校を訪問。学校を周り終えたら車で昨日歩いたところまで連れて行くよ。君はそこからまた歩き始めたらいい。」
陳校長はまるで僕のマネージャーみたいに午前のスケジュールをしっかり手配してくれていた。
元々小学校の訪問は徒歩旅行のついでにいくつかの学校を訪問できたらいいくらいに思っていたのだが、いつの間にか学校訪問が今回の旅の一大テーマになってしまった。学校で子供たちや先生たちと交流するのはとても楽しいし、これも何か見えない大きな力に導かれてのこと。流れに逆らわず行きつくところまで行ってみようと思う。

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笨港小学校5年生のみんなと記念撮影。その後4年から1年までの全クラスを周る。

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幼稚園クラスでは陳校長と一緒にママゴトに参加。「食べて食べて!」と次々にプラスチック製のご馳走が運ばれてくる。

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午前10時。新屋小学校着。全校生徒は1800人。

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新屋小学校の校舎はとてもゴージャス。階下に滝が流れ落ちる構造になっている。

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400mトラックのグラウンド。デカイ!!

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新屋小学校は1905年(明治38年)楊梅公学校新屋分校として創立。今年で100周年を迎える。写真は創立当時の秋山友義校長。

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新屋小学校の鄭校長。彼もまだ40代。なんと33歳の若さで校長になったとのこと。「新屋小学校の日本時代の資料は台湾で最も充実していますよ。」

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午前10時20分。2日後に90周年式典を控えた大坡小学校を訪問。

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大坡小学校の曽校長は36歳!これまた若い!記念式典の準備で忙しい中校舎を案内してくれた。

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実は大坡小学校は笨港小学校陳校長の母校。この鐘楼は陳校長の小学生時代のお気に入りの場所なのだそうだ。陳校長、曽校長、大師と一緒に少年の日に戻る。

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11時半、埔和小学校着。見るからに人の良さそうな彭校長を訪れる。

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「ちょうど昼時に来たんだし、給食一緒に食べて行きなさいよ。」とゆーことで彭校長と共に給食をいただくことに。鶏肉のカレー煮込みは懐かしい味がした。

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埔和小学校の子供たち

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笨港の大師が別れ際に詠んでくれた詩。大師は純真な心の持ち主。雲水という言葉がよく似合う。陳校長や大師との別れはとても名残惜しかった。

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再び省道15号線を南下する。長いトンネルをひたすら歩く。

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19時20分新竹市立港南小学校着。

2004年10月27日

桃園県観音郷→新竹県新豊郷 大師の歌 犬の母子愛

8時に指定された図書館に向かうと既に6年生が全員集合していた。みんな熱心にスクリーンに投影された何かを食い入るように見つめている。何を見ているのかと思ったらなんとそれは僕が会社を辞めて世界一周の旅を決心した時のことを伝えた2001年6月24日の自由時報の記事だった。台北の西門小学校が僕の中国語ホームページを作ってくれたのだが、どうやらそこに掲載されていた記事をダウンロードしたらしい。

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自由時報の記事を読んで聞かせる担任の先生

この記事は出発からずっと僕の台湾徒歩旅行をサポートしてくれているJoelが書いたものだ。1985年のつくば万国博覧会の時に出したポストカプセル郵便がきっかけで6年勤めた会社を辞め世界一周の旅に出るいきさつについて触れている。より詳しい内容を知りたい方は行雲流水のIntroduction(過去からの手紙と約束の旅)をご参照ください。
閑話休題。陳校長が相変わらず熱のこもった紹介をしてくれ、僕をステージに導いてくれた。世界一周の旅の話、台湾徒歩旅行をするに至った経緯などを話した後質疑応答。「世界一周をしていた時に最も印象に残った国はどこですか?」、「なんでそんなにたくさんの国々を周ろうと思ったんですか?」、「何十カ国もの言葉が話せるんですか?」、「台湾の印象はどうですか?」、「世界一周旅行をしようと決めたときに家族は反対しませんでしたか?」、「どこの料理が一番美味しかったですか?」、「世界一周旅行にはいくらくらいお金がかかったんですか?」次から次へと出てくる質問に答えているうちにあっという間に授業時間終了。
「みんなとっても積極的に質問するんでビックリしましたよ。」と陳校長に感想を伝えると、「どんな授業も導入が重要なんだよ。君のことは1週間以上前から子供たちに話しをしていたし、スライドを使って新聞記事を紹介したのも子供たちの好奇心を刺激したんだと思うよ。」
そんなにまで入念に下準備をしてもらっていたとは。陳校長の熱意にまたまた感謝。

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自己紹介

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熱血校長の熱いスピーチ

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6年生たちと一緒に記念撮影

6年生の授業にもう一人招待された人物がいた。「この人は僕がとても尊敬してる人でね。大師(大先生)と呼んでるんだよ。詩と音楽を愛する風流な人だよ。」陳校長が紹介してくれたオジサンは翁さんという名前で日本の大学を出たという。初めて会った時からずっとニコニコしていて子供のような澄んだ瞳をしている。
「ワシの日本名は公羽達訓(おおばねみちのり)という。アンタの名前はとみがししじょうと読むのかね?なに?とがしふみおと読むのか。うーむ。変わった読み方だな。どれどれ一句読んであげるよ。」
そういって5分ほどで次のように詠んでくれた。
富厚情懐来参訪
樫才秀気永留芳

うーむ。タダモノではない。名前を取り入れ、しっかり韻までふんでいるとは…。

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その場でスラスラと詩を詠み始める大師

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午前9時半、観音小学校の呂校長を訪問。観音小学校はちょうど今年創立100周年。記念に帽子とTシャツ、100周年記念誌をいただく。

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とてもキレイに整理された校史室。プロジェクターとスクリーンが設置され、学校の100年の歴史を映像で見ることができる。

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二宮金次郎の像。日本統治時代、台湾の多くの学校に金次郎の像が置かれた。

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午前10時半観音小学校を出発。多くの子供たちが見送りに来てくれた。

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校門を離れるまでずっと子供たちが走って追いかけて来る。再見!サヨナラ!

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今日の昼食は牛肉麺。NT$50(約150円)よーく煮込まれた軟らかい牛肉とコクのあるスープが美味。

観音小学校を出発してから歩くこと約2時間。途中でやたらに人懐っこい白いノラ犬と遭遇。ずっと僕の足にスリスリと寄ってくる。しばらく一緒に歩いてたらどこかから子犬の鳴き声が聞こえてくる。声のする方に近寄ってみると僕の腰の高さほどの深さの側溝に子犬が二匹落ちて出られなくなっていた。側溝には水がたまっていて子犬はずぶ濡れ。ブルブル震えている。「これってもしかしてオマエの子供?」さっきから一緒にくっついて来たイヌを見るとやはりどことなく心配げな視線。「そっか。コイツらを助けてくれってわけだね。」母犬が見つめる中一匹ずつ側溝の中から救出。母犬もとても嬉しそうで尻尾の降り方が更に勢いを増している。濡れた子犬を舌で舐めてあげている母犬を眺めつつその母子愛に感動してしまった。

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側溝の中でブルブル震えていた2匹の子犬

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母犬と2匹の子犬たちに連れられて着いたのはある廃屋。中には更に3匹の子犬が!2匹の子犬が元気に他の兄弟たちとじゃれあっているのを見て一安心。母犬が別れ際に僕の足を舐めてくれた。彼女の感謝の気持ちが伝わってきた。

台北市から台北県に渡る「関渡大橋」ではノラ犬に助けられたこともあったし、なんとなく恩返しができたようで嬉しい。ノラ犬一家と別れ15号線を歩くこと2時間。道路の反対側を見覚えのある帽子をかぶったオジサンが自転車で走りすぎていく。大師だ!

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再び大師登場!

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「若鷲の歌知ってるかい?」突然大師が歌い始めた!

大師はご機嫌で話が尽きない。今来た道を自転車を押しつつ僕と一緒に歩いてくれた。「うむ。今日は気持ちがいいから歌でも唄おう!」そう言って大師が歌い始めたのは若鷲の歌という予科練の歌だった。
若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨
今日も飛ぶ飛ぶ 霞が浦にゃ でっかい希望の雲が湧く
台湾にいる「軍歌オジサン」の話は聞いてはいたが、実際にこんなに嬉しそうに歌うのを見るのは初めてだ。
「台湾にも軍歌があるんだ。台湾軍の歌。知ってるか?」そういって今度は台湾軍の歌も披露してくれた。
太平洋の空遠く 輝く南十字星 黒潮しぶく椰子の島…
大師はますます勢いに乗ってきて、軍艦マーチまで歌ってくれた。「昔の日本の軍歌はいいね。歌ってると元気が出てくる。」
大師に歳を聞いてみると意外なことに48歳とのこと。でも話しの内容を聞いてるとどう考えてももっとずっと歳上のような気がするのだが…。大師ってホントに謎の多い人だ。

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大師が連れて行ってくれた笨港天后宮。

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青銅製の天上聖母像は30m以上の高さがある。

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15時20分。笨港小学校の近くで見つけた廟。巨大な赤と青の恐竜が門の両脇に立っている。

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16時半。新屋にある永裕平価中心の親切なおかみさん。菓子パンとガム2袋をプレゼントしてくれた。

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17時10分新竹県新豊郷着。西の空に夕陽が沈む。本日はここまで。

2004年10月26日

桃園県海口→桃園県観音

台風一過。3日間泊めてもらった八里小学校http://www.ples.tpc.edu.tw/Default.aspを離れる日がやって来た。謝校長や林主任などお世話になった先生たちにお礼を言って出発。八里小学校から約20キロ離れた一昨日のゴール地点桃園県海口までは次の滞在先となる笨港小学校から来た迎えの車で送ってもらえることになった。

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お世話になった謝校長や林主任たちともついにお別れ。謝校長からは記念にウェストポーチを頂いた。

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10時50分。一昨日のゴール地点桃園県海口に再び戻る。ここからまた出発!

八里小学校から海口に向かう間、車窓から一昨日歩いた道のりを眺める。強い風雨にさらされながら歩いた海岸線、カラオケ好きの陽気なお客たちで賑わっていた食堂、ちょっとワルそうなお兄ちゃんがビールを勧めてくれた蝦釣り場など思い出の場所がどんどんバックミラー越しに遠ざかっていく。こうしてみると一昨日歩いた20キロって意外に長い距離だったんだなと改めて思う。
一昨日のゴール地点桃園県海口のコンビニの前で車を降り、また歩き始める。時々小雨まじりの曇り日ということもあってちょっと肌寒い。でも歩くにはちょうどよい感じだ。海口から歩くこと約2時間。桃園県大園小学校着。

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大園小学校の正門

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「歓迎日本国富樫史生先生」の張り紙を見つけ思わず照れ笑い。

大園小学校に着くとすぐに蘇校長が出迎えてくれた。「ちょうど給食の時間だし、まずは一緒にご飯を食べましょう」大園小学校の学校給食は1ヶ月600元(約1900円)とのこと。安いと思うかもしれないが、今朝聞いたラジオのニュースによると現在台湾では12万人以上の学童が月500元の給食費を納めることができないという。一見すると豊かな台湾ではあるが、次第に貧富の差が開きつつあるようだ。

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大園小学校の蘇校長。「退職したら海外でゆっくり過ごしたいですね。」

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大園小学校の給食。健康を考えお米には穀物類を加えている。

「昔の先生と今の先生はずいぶん変わってきましたよ。日本統治時代は先生はとても厳格で僕たち学生はみんな畏怖の念を抱いていたけど、今の先生は友達感覚。民主化の影響で先生と学生の距離はとても近くなりましたよ。」大園小学校は今年で創立101年目。全校生徒は2700人。蘇校長が校長として赴任してから今年で5年目になるそうだ。
「今の先生たちは負担がどんどん増えてきてますよ。教育部からの指示の下、しょっちゅう教育改革が行なわれてるけど、教師も学生も親たちもそれらを受け入れ対応するための十分な時間がないんです。それによって学生がモルモットみたいに試されているのが可哀そうですね」

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学校のすぐ傍は中正国際空港。轟音と共に飛行機が校舎をかすめるように飛び去っていく。

1時間ほど大園小学校に滞在した後、省道15号線を再び南下。台風で1日歩けなかった分を今日挽回しなければならない。昨日の台風が残した傷跡があちこちに残っている。吹き飛ばされた看板、強風で割れた窓、昨日休んだのはやはり正解だったようだ。

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強風で傾いた看板。

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吹き飛ばされた看板。

18時過ぎ桃園県観音郷着。今日もまた20キロ近く歩いたことになる。宿泊先の笨港小学校まではここから更に10キロ以上離れている。今日はこの辺までにしておきたいなと思った頃、笨港小学校の陳校長自らが車で観音郷まで迎えに来てくれた。
「台北の西門小学校から君の話を聞いてずっと会うのを楽しみにしていたんだよ。僕も今までに20カ国以上海外をあちこち旅したことがあるしね。」陳校長は40歳。日テレの福澤アナにちょっと似ていて、いかにも熱血校長先生という感じ。
「16歳の時に書いた手紙がきっかけで世界一周の旅に出たという話しを聞いてぜひその話を子供たちに聞かせたいと思ったんだ。夢を夢のままで終わらせずに、行動に移すことの大切さを伝えたいんだよ。」
陳校長が夕食をご馳走してくれた後、教職員用の宿舎まで連れて行ってくれた。「明日8時からの6年生のクラスで君に話しをしてほしいから寝坊しないでくれよ。」陳校長とは歳も近いし、気が合いそう。明日もまた楽しい一日になりそうだ。

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笨港小学校の陳校長先生

2004年10月25日

大型台風直撃す!

ゴウゴウという激しい風音で目が覚めた。カーテンを開けてみると外は暴風雨。雨が激しく窓を打ちつけ強風が街路樹を大きく揺さぶっている。これじゃさすがに歩けない。歩き始めて今日で6日目。両足の指先にできたマメも悪化してきてるし、中休みを入れるにはちょうどいいタイミングだ。神様がくれた「休息(足)日」と割り切ってゆっくり休むことにする。

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雨が激しく窓を打ちつける。強風で窓が割れたのか、どこかで防犯ベルが延々鳴り続けていた。

両足の小指の先にできたマメは昨日まで1cmほどだったのが1.5cmから2cmほどに成長していた。中に水がたまっていてパンパンに膨れている。マメの治療法ってどういう方法が一番いいのかわからないけど、僕がやっているのはライターで針先を焼いた後にマメに突き刺して中の水を抜き、その後Tea tree oilを消毒薬代わりに塗るという方法。Tea tree oilはスイス軍兵士が常備薬として使っているモノだそうで、殺菌消毒効果があるとのこと。(真偽のほどはわからないが)世界一周旅行をしていた時にずっと使っていたのだが、なんとなく効果があるような気がする。とにかく小さいので携帯に便利だ。
今後もしばらくは足のマメに悩まされそうなので、マメの治療法で何かいい方法知ってたらぜひ教えてくださいませ。

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今回上陸した台風の台湾名は「納坦」(ナタン)。日本では台風24号と呼ばれた。3名が死亡、2名の行方不明者を出した。

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暴風雨の中、八里小学校の先生がお弁当を届けてくれた。多謝!

2004年10月24日

台北県八里→桃園県海口 台風接近、そして大地震

外は雨。両足の指先にはマメ。全身がダルイ。こんな日は出来ることなら歩きたくないのだが、歩ける時に歩かないと80日間で台湾一周はできない。聞くところによると超大型の台風24号が明日には台湾を直撃するとのこと。台風が来る前に少しでも前に進まなくてはならない。謝校長が手配してくれた朝食のサンドイッチを胃に流し込み、まずは歩き始める。

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日曜の朝にも関わらず謝校長がわざわざ見送りに来てくれた。

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雨対策に携帯用ビニールポンチョを購入。NT$35(約110円)

途中立ち寄ったコンビニで新聞の第一面を見て思わず身体が凍りつく。新潟で震度7の大地震が発生。死者13名、不明者4名、重軽傷者が640名、27万戸以上が停電。
何よりショッキングだったのは横転した新幹線の写真だった。開業40年来初めての事故という見出しが出ていた。なんてこった。まさかこんなことになってたとは!

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台湾のあらゆる新聞が第一面で新潟大地震を伝えていた。

早速テレホンカードを買って山形の実家に電話する。が、誰も電話に出ない。日曜の午前中なのになんで誰もいないんだ?山形は新潟のすぐ隣ということもあるし心配だ。阪神大震災が起きたときも台湾にいたのだが、あの時も最初の報道は死者数十名だった。それがその後数百名に増え、最後には6000名を超えてしまったのだ。新聞が報じている状況よりも実際はもっと被害が大きいのではないかという疑心暗鬼がどんどん広がっていく。
最初の電話から1時間が経過した4回目の電話でやっと聞きなれた母の声が応答した。
「なんだアンタだったの。どうしたの?電話なんかくれて。」なんとも気の抜けるリアクション。「どうしたもこうしたも新潟が大変なことになってるじゃない!みんな大丈夫?」
結局ウチは全然問題なかったとのことで一安心。でもやはり被災地の人々のことを思うと胸が痛む。

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八里近辺には蝦釣り場が多い。

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柄の悪そうなお兄ちゃんが一生懸命釣りをしている姿はちょっとカワイイ。

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「アニキ!カンパイ!OK?」ビールを勧めてくれたコワモテの兄さんたち。

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昼過ぎからどんどん雨足が強くなる。歩く傍を大型トラックが白い水しぶきを巻き上げながら通り過ぎる。

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鉛色の雲。暗い色をした台湾海峡が見えてきた。

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強い風雨が吹きつける中、省道15号線を一人歩く。

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昼食に立ち寄ったお店は近所の人たちの社交場になっていた。カラオケを熱唱するオバサン。

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オバサンの唱うカラオケに合わせて踊る酔っ払いオヤジたち。

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お店のお客さんたちと記念撮影。陽気な笑顔が僕の疲れた体を癒してくれる。

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台北県境を越え、18時50分桃園県海口着!風雨の中20キロ以上歩いたのでかなり疲れた。

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台北県八里に戻って林主任たちと夕食。今晩も校長宿舎泊。

2004年10月23日

神の使いアラワル!?

昼過ぎに北投中信飯店をチェックアウト。北投は台湾で有名な温泉地だし、温泉に浸かってゆっくり滞在したいところだが、80日間で台湾を徒歩一周するにはぐずぐずしていられない。さらばスイートルーム!
台北西門小学校の手配で今晩は台北県八里にある八里小学校に泊めてもらえることになった。更に有難いことに重い方のバックパックは車で届けてくれ、ついでに車で今日歩くルートを下見させてくれるという。
車で迎えに来てくれたのは林主任。「私の父は台籍日本兵でね。マレーシア戦線のジャングルで戦ったんだよ。生きていれば今年で85歳になるかな。日本が大好きで日本に行きたいってよく言ってたよ。生きてる内に一度も日本の土を踏ませてあげられなかったのがとても心残りだよ」。ハンドルをにぎりつつ林さんはちょっと遠い目をしながらそう言った。   第二次世界大戦中に日本軍の兵士または軍属として戦争に参加した台湾人は約20万人。この内約3万人が命を落としたと言われている。こうした元台籍日本兵たちは光復後(日本の敗戦後)大陸から来た蒋介石政権の下ではかなり肩身の狭い生活を強いられたことだろう。戦後からもうすぐ60年が過ぎようとしているが、我々日本人はこうした人たちがいたことを忘れてはならない。

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林主任と。

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校門には「歓迎日本国富樫史生先生」の張り紙が!

八里小学校に着くとすぐに謝校長が迎えてくれた。「今日君が泊まるのは学校敷地内にある校長宿舎だよ。本当は私が使うはずなんだけど、家が台北市内にあるからまだ使ったことがなくってね。新築して間もない宿舎だし、自分の家みたいに使ってくれていいんだよ。」校長宿舎は一戸建てで、キッチン、バス、トイレ、洗濯機など必要なものは全て整っている。校長より先に住まわせてもらえるなんて恐縮してしまうなー。

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八里小学校謝校長。

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校長宿舎前にて。

宿舎に荷物を置いた後、再び車で北投に戻る。ここからはまた一人で八里小学校まで歩かなければならない。でも今日は重い荷物がないだけに快適に歩ける。やはり荷物は軽いに限る!

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途中で知り合った野良犬のクロ。30分ほど僕と一緒に歩いてくれた。

北投からMRTの路線に沿ってずっと歩き、ついに台北市と台北県との境界にある関渡大橋が見えてきた。が、困ったことにどこから橋に登ればいいのかよくわからない。歩行者用の道が見つからないのだ。仕方がないので猛スピードで車やバイクがビュンビュン走る自動車専用路の路肩をソロリソロリと前に進むことに。時折バイクが僕の身体をかすめるように走り抜けていく。いつの間にか日も暮れ、車やバイクからはどんどん僕の姿が見えづらくなっている。後ろからクラクションを鳴らされるたびに冷汗が流れる。バックパックを持っていってもらって本当に良かった!とてもじゃないが重い荷物を持って歩けるような道じゃないのだ。

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車やバイクが猛スピードで駆け抜ける自動車専用路。

自動車専用道をしばらく歩くと目の前に思わぬ珍客が現れた。なぜか犬が一匹、人一人がようやく通れるような路肩に寝ているのだ。車とバイク以外は全く通らないこんな危険な場所になんで犬がいるんだろう?犬は僕の気配に気がついたのか突然むくりと起き上がって関渡大橋に向かってトコトコ歩き始めた。まるで付いておいでというかのように。

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こんな危険な場所になんで犬が寝てるんだ?

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彼はムクリと起き上がるとトコトコと歩き始めた。

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関渡大橋の歩行車道につながる隙間。

なんとなくこの犬に付いていったほうがいいんじゃないかという直感がして、犬の歩くまま付いて行くことにした。犬は時折車やバイクに轢かれそうになりながらもトコトコ前に進んでいく。すると本当に関渡大橋の歩行者道につながる場所まで連れて行ってくれたのだ!犬一匹、人が身体を横にしてようやくもぐり込めるような狭い隙間で、僕一人では見つけることが出来なかったかもしれない。突然犬が僕の方を振り向いた。目線がピタリと合う。犬は「ワン!」と一声吠えると元来た道をまたスタスタと戻っていった。僕は思わず犬の後ろ姿に手を合わせた。「無事に連れて来てくれてありがとう!」野良犬の姿がまるで神の使いのように見えた。

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淡水河にかかる関渡大橋を望む。ここからはもう台北県。

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19時半、淡水からのフェリーが着く「渡船頭」到着。

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20時10分ようやく八里小学校着。今日も長い一日でした!

2004年10月22日

士林→北投

今日は士林小学校前からスタート。La newからもらったバックパックに全ての荷物(総量24キロ!)をつめこんで1100キロも歩くのは無理と考え、日本から持参したキャリー付きバックパックに交換して歩き始める。背負わなくていいぶんかなりラクだ。

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士林国小前にて

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士林といえば夜市。駅前の臨時市場は屋台料理のメッカ。

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日中は人もまばらだが、夜になると身動きできないほどの人でにぎわう。

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途中で見つけた日本の100円ショップ的ノリの10元(約33円)ショップ。

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方向磁石、修正液、3色ペン、カラビナ2個、膝パッド2つで計70元。(約230円)安い!

今日の目的地の北投までは約10キロ。全然長い距離ではないが、少しずつ身体を慣らしていかなくてはならない。どうしてもキャリーを引く方の腕と肩に大きな負担がかかるので、バランスを保つため右腕と左腕を交互に10分から15分を目途に持ち替えながら歩く。
台湾の道は大部分が舗装してあるのだが問題は歩道だ。各店、各家ごとに歩道の高さが違い、段差が多い。なんでこんなに店や家ごとに歩道の高さが違うのか不思議に思って台湾人の友人に聞いてみたことがあったのだが、「国が作ってくれないから自分たちで勝手に歩道を作るしかないのさ」との答えだった。近年は以前に比べるとだいぶマシになって来たが、やはりまだまだ段差だらけ。バリアフリーという考え方からはかなり遠いようだ。
その一方で感心したのが「捷運」と呼ばれるMRT(Mass Rapid Transit)新交通システムの高架下を使った緑地帯だ。遊歩道が整備され、あちこちにベンチが設けられ地元の人たちの憩いのスペースになっている。お年寄りたちの団欒の場になっていたり、ダンスや気功、太極拳を練習する場になっていたり、かなり有効活用されている。士林から北投まではずっとこの高架下に設けられた遊歩道にそって歩くことにした。車も通らないしとても快適。だが一つ大きな問題があって、なぜか遊歩道にブロック状の溝が刻まれていて、キャスターを転がすにはガタゴトして不便なのだ。軽い荷物だったらいいかもしれないが、20キロ以上の重さのある荷物が小さな車輪に与える衝撃はかなり大きい。こんな状態ではバックパックのキャスター部分がすぐ壊れてしまうだろう。キャスター付きの荷物を持って歩くことを想定して歩道を作ったわけじゃないだろうから仕方がないんだけど。

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MRT高架下は地元の人たちの憩いの場。

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午後5時。今日のゴール北投中信飯店着

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僕の旅をサポートしてくれている中信飯店の黄会長が用意してくれた部屋はスイートルーム!リビング、キッチン、ベッドルームが2つもあり一人で泊まるにはもったいない。

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部屋からMRT北投駅を望む。駅から徒歩1分なので交通の便がとてもよい。

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夕食はホテル近くの「千松しゃぶしゃぶ」で火鍋を食べる。NT$180(約590円)具沢山で美味!

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千松の看板娘李さん

2004年10月21日

1200人のエール!

朝6時半起床。昨晩は2時過ぎに寝たのでキツイ。パッキングを済ませホテルをチェックアウト。7時半に方校長を訪ねる。ちょうど登校時間帯ということもあり、学校の前では交通指導(懐かしい響きだなあ)のオジサンたちが旗を振って車を止めて生徒の道路横断の安全を確保している。校内に入ると、グラウンドでは子供たちがランニングしていて、それが終わるとシートにハンコを押してくれるらしい。こんな光景も日本とそっくりだ。
8時国旗掲揚。全校生徒の国歌斉唱と共に晴天白日満地紅旗が青空にスルスルと昇っていく。小さな子供たちみんなが真剣な顔で国歌を歌い青空に翻る国旗を見上げる姿はちょっと新鮮だ。日本の小学校で国旗掲揚や国歌斉唱なんかしている学校なんてあるんだろうか。
60年前までは天皇のいる東側に向かって君が代を歌い、日の丸の掲揚が行なわれていたそうだ。その当時も今の西門小学校の子供たちのような真剣な眼差しで青空に翻る日の丸を眺めていたのだろうか。

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国旗掲揚!

全校生徒1200人を前に方校長が僕とJoelをステージに招いてくれた。「今日は特別なゲストが来ています。皆さんの中には今朝の新聞やテレビで見た人がいるかもしれません。台湾を歩いて一周しようとしている富樫さんです。みんなは夢を持ってますか?もうその夢は実現しましたか?ここにいる富樫さんはその夢を実現させた人です。みんなも夢を忘れないで富樫兄さんみたいに実現してください。」方先生が話しをした後中国語で一言しゃべって欲しいと言われ、少々顔をひきつらせつつスピーチ。「僕は子供の頃から世界一周の夢を抱いていました。そして34歳ときに世界一周の旅に出てついにその夢を実現しました。皆さんも夢をもって、その夢を実現するために努力し続ければきっと実現することができると思います。頑張ってください!」その後Joelもスピーチ。「みんなは将来何になりたいですか?宇宙飛行士?それともプロ野球選手?みんな夢があるならその夢をいつまでも忘れないでください。ずっとその思いを心に抱き続ければ将来きっとその夢は実現するはずです。」

それにしてもこの僕が台湾に来て1200人の子どもたちを前に「夢」について語ることになるとはそれこそ夢にも思わなかった。この子供たちの中の一人でもいい。大人になっても今日のこの出会いを覚えていてくれたら、それだけで台湾まで来た甲斐があるというものだ。

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全校生徒1200人が勢ぞろい。

「みんなで富樫さんに1200人の元気を送りましょう!」方先生の掛け声と共に子供たちが小さな拳を振り上げ一斉に叫んだ。「加油!(ジャーヨウ!)、加油!、加油!」1200人の声が校舎中に響き渡った。僕の36年の人生の中でこんなにも大勢の人たちから一斉に声援を送られたことなんて一度もなかった。思わず胸が熱くなる。ホントに1200人のエネルギーが一気に僕の身体の中に流れ込んでくるような気がした。肩に背負った24キロのバックパックの重みが消し飛ぶ。子供たちの声援に応えるためにも台湾での徒歩旅行を成功させなければ。僕はその思いを心に深く刻み込んだ。

陳主任がマイクを取った。「これから富樫さんの台湾徒歩旅行の経過をホームページに掲載します。私たちみんなで徒歩旅行を応援しましょう!」僕の旅行のホームページを作るという話にもビックリしたが更に驚いたのは僕のことを来年の教材の中に取り上げるというのだ。台湾の小学生の教材になるんなんて想像さえできなかった。どんどん話が意外な方向に展開していく。

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各クラスごと1200人全員と記念撮影。これまた初めての体験。まるで小学生のアイドルだ。西門小学校唯一の日本人、加藤光ちゃんと。

朝会を終えた後、方校長が朝食を用意してくれた。「次の目的地の士林国小にはもう連絡したし、八里や桃園の校長たちにも連絡をとっています。何かあったらいつでも私の携帯に電話しなさい。すぐに飛んでいくから。」なんという温かい言葉。台湾に来てよかった。方校長ありがとう!

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午前10時出発!方校長、陳主任たちが途中まで一緒に歩いて見送ってくれた。これまた感激!

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次の目的地の士林小学校に向かう途中また台北駅前を通る。なかなか台北市から出られない!

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台北駅近くにある登山用品店PRO OUTDOORの皆さん。
僕のバックパックの調整を直してくれた。

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中山北路にある日本留学情報を扱う彼都迎(Between)
の渋谷所長と再会。今年の3月にバイトさせてもらった。

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午後4時圓山着。圓山大飯店の壮麗な姿。

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午後5時。ようやく本日のゴール士林小学校着。

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士林小学校の邱校長。「台湾で最も歴史のある学校の校長を勤められるのは光栄なこと。古くから残る良い物は残しつつ、新しい技術や発想などをどんどん取り入れていきたい。」

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1895年台湾に最初に創設された士林小学校。当初は芝山岩にあり「芝山岩学堂」と呼ばれた。その後、現在の場所に移り八芝蘭公学校と改名。来年で110周年を迎える。

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1896年元旦、日本の同化教育に反対する台湾人抗日レジスタンスにより日本人教師6人が惨殺される事件が起きた。これが有名な「芝山岩事件」である。芝山岩の山頂に今も残る6人の墓碑。

2004年10月20日

記者会見!そしてついに出発!(後編)

午後3時半、La newのスタッフや応援に駆けつけたみんなに見守られつつ出発!
「加油!頑張ってね!」、「無事に台北まで戻ってくるんだよ!」みんなの声援を受けつつ店を後にする。出発してしばらくは快調に歩いていたが、徐々に肩にかかる重みが増して来るのを感じる。肩に背負ったバックパックの総量は24キロ。元々は日本から持参したキャスター付のバックパックを使う予定だったのだが、La newからバックパックを提供された手前それを使うことになった。パソコン、デジタルビデオカメラ、デジカメ2台、ACアダプターや充電器など周辺機器etc…これらの電子機器類がかなり重い。それにバックパックの調整がまだうまくいってなくて、ショルダーパッドがやけに肩に食い込む。重い…。歩き始めて30分ほどで最初の休憩。まだ全然進んでない。我ながらなんて情けないんだろう。

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信義路を歩くこと約20分。左手に中正記念堂が見えてくる。

元々日本にいた時の移動手段はほとんどバイクか電車。滅多に歩くことなどない。世界一周旅行をしていた時も基本的に移動はバス、列車、船、飛行機だったし、そもそも長距離を歩いた経験など全然ないのだ。その上、慢性的な運動不足かつ運動嫌いときているからタチが悪い。今年の8月から市ヶ谷にあるスポーツクラブの会員になったのだが、2ヵ月で辞めてしまった。会員期間の間に通ったのはわずかに3回のみ…。入会金と毎月の会費計約2万円を無駄にした。出発前にもうちょっと身体を鍛えておけばよかった…と思っても後の祭りである。でも一般的な30代後半の会社員の現実なんて僕とそう大差ないんじゃないだろうか。もう少しはマシかなあ。でもまあ、そんな36歳慢性運動不足・軟弱・体力なしの僕が台湾一周1100キロを無事歩いて一周できるかってことに興味を持ちつつ今後もこの連載を読み続けてもらえたら嬉しい。

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中正南路のロータリーにて国民党支持のオジサンと。「ワシは昔日本と闘ったから日本は嫌いだ。アンタは平和は好きか?なら過去のことは水に流そうじゃないか。大切なのはこれからだからね。」

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「将来はジャーナリストになりたいの」総統府近くで出会った笑顔の素敵な女の子。

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総統府。日本統治時代の1919年に完成した旧台湾総督府。

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西門町。元々は日本が大好きな人たち「哈日族」のメッカとして知られていたが、今や「韓流」に押され気味。原宿同様ティーンエイジャーが多い。

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本日のゴール西門小学校着。

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西門小学校は来年で創立90周年。創立当時は台北第五寿尋常小学校と呼ばれ、その後、台北城北尋常小学校、台北市寿尋常小学校と何度も校名を変えている。終戦を迎えるまでは日本人専用の小学校だった。

今日のゴールは西門小学校。「台湾にある日本統治時代から残る歴史ある小学校を訪ねてみたい」という僕の希望を聞いて、Joelが紹介してくれた学校だ。実は彼はこの小学校の卒業生でもある。校門をくぐると、先に車で来ていたJoelと呉さん、そして西門小学校の方校長、陳主任の4人が出迎えてくれた。方校長とは電話で一度話したことがあったが、電話の声から受けた印象通りとても優しそうな人だ。
方校長の片腕でとても快活な陳主任に連れて行かれたところは音楽室。何が始まるのかと思いきや、西門小学校の太鼓部の子供たちが演奏で出迎えてくれた。

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「さあ、一緒に加わって!」陳主任に催されて僕も太鼓を手に踊ることに。子供たちの笑顔に誘われ踊り始めるとそれまでの疲れが嘘の様に吹き飛んだ。

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太鼓部の子供たちと一緒にパシャリ!

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方校長、陳主任、Joelと4人で夕食。実は今日10月20日は方校長の誕生日だったのだ。「方校長、生日快楽!誕生日おめでとう!」

思いがけない太鼓部の出迎えにも感激したが、更なる嬉しいサプライズ!方校長の取り計らいで西門小学校の向かいにあるホテルを用意してくれたのだ。「私はね、日本には特別思い入れがあるの。私の誕生日にこれから台湾を徒歩で一周しようっていう日本人が最初に寄ってくれたんだから嬉しいわよ。」母親のような優しいまなざしでそう言われると思わずウルウルしそうになる。
 来年の西門小学校創立90周年式典には日本の敗戦で帰国し、西門小学校を卒業することができなかった日本人30人とその近親者計100人ほどが招かれるという。
「戦争のせいで卒業できなかったお年寄りたちにぜひ卒業証書を手渡してあげたくて。彼らの喜ぶ顔が見たいの」そんな言葉からも方校長の人柄がうかがえる。

「フミオはやっぱり運がいいよ。次々にいい人たちが現れるからね。西門小学校に最初に来たのは大正解だったでしょ?僕の母校にあんなに素敵な校長先生がいるってことが、とても光栄だよ。」Joelもとても嬉しそうだ。

台湾徒歩一周旅行の最初の長い一日が終わった。明日はどんな出会いがあるのだろう。興奮がなかなか冷めず午前2時過ぎようやく眠りについた。

2004年10月20日

記者会見!そしてついに出発!(前編)

いよいよ徒歩旅行出発の日。その前にまずはLa new http://www.larnew.com.tw/first.htm
信義路店での記者会見を終えなければならない。僕の通訳を担当してくれるJoelと一緒にドキドキしながらLa newへ向かう。
「取材を受ける時は自然体でね。あまりカメラを意識しないように。」Joelの言うことはもっともなのだが、やはり緊張してしまう
記者会見開始予定時間の14時に来たのはテレビ1局と新聞数社。La newの広報部から聞いていたのはテレビ5局、新聞5社と聞いていたので、意外に少ないなと思いつつインタビュー開始。

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リクエストにあわせていろいろポーズを作る。

まずは台湾のメジャーテレビ局の一つ台視http://www.ttv.com.tw/から。キレイな女性インタビュアーから、台湾徒歩一周旅行をするに至った経緯や世界一周旅行をした感想などいくつか質問を受ける。質問に一つ一つ答えているうちに、いつの間にか店内の人垣がどんどん増えていることに気がついた。

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いつの間にかどんどんテレビカメラの数が増えている!

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初の囲み取材体験!6本のマイクを前にビビリながら応答。

気がつけばテレビは台視、中視、民視、TVBS、中天、三立、非凡など7局、新聞が中国時報、民生報、自由時報、蘋果日報、聯合報など5社、合計12ものメディアが取材に来ている。記者会見の開始時間はいかにも台湾らしくかなりアバウトなものだったのだ。
6本のマイクを眼前に突き出され、インタビューに答えるのはかなりのプレッシャーだ。通訳のJoelは中華テレビの日本支局長を務めていただけに余裕の表情。彼の落ち着いたサポートとオリジナル以上に優れた中国語訳でなんとか無事に記者会見を終えることができた。他にも台南YMCAで日本語を教えていた時の学生で今は台北で働く呉さん、台湾観光協会の陳さん、徐さんも応援にかけつけてくれた。本当に「持つべきものは良き友」だ。みんなありがとう!!!

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取材を終えて。左から台湾観光協会の徐さん、陳さん、中国時報の陳さん、La newの郭副総経理、僕、La newの黄さん、YMCA元日本語学生の呉さん、蘋果日報の鐘さん。みなさんお世話になりました!

2004年10月13日

La new

チャイナトラストの黄さんからの紹介で、台湾最大の靴メーカーLa newの劉会長に会うことになった。La newはここ数年で急成長し、現在は台湾内に259店舗のチェーン店を抱えている。なぜLa newの会長に会うことになったのかと言うと、僕が世界一周した時にニューバランスの靴を使っていたという話しをJoelにしたからだ。出発する前に原宿にあるお店に靴を寄贈した話しをした途端、Joelが呆れた顔をして言った。「その靴ってタダであげてきたの?靴も自分のお金で買って来たって?!そりゃひどすぎる!台湾のメーカーだったら、必ず協賛してくれるよ。」Joelがその話をチャイナトラストの黄さんに話し、彼からの紹介でLa newの会長に会うことにとんとん拍子で決まってしまった。

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La new本社。向かい合わせになった靴が牛の顔を作っている。

La new本社に着くと、劉会長夫人自らが社内を案内してくれた。La newは元々は玩具メーカーだったそうで、かつては自転車やバイクの模型、ダンシングサンタクロースなどを作っていたこともあるらしい。アメリカ、メキシコ、ベトナムに関連会社がある。面白いのは同じ工場で、時期によって玩具を作ったり扇風機も作ったりするのだそうだ。

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La newベアーズというプロ野球チームまで持っている

La newはアフターサービスの徹底振りと、個人に合わせたオーダーメードが評価され急成長した。社内にある「足研究所」には、足の形を3D測定する機械や歩き方の歪を計測する機械など最新鋭機器がズラリと並ぶ。将来的にはこの研究所に見学した人たちの足を測定して見学が終わったらオーダーメイドした靴を渡せるような施設にしたいとのことだった。

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足の形を3D計測する機械

La newの社内をあちこち見学した後、ついに劉会長と面会。どんな人かと思ったら、想像したよりもずっと若々しくとても気さくな方だった。徒歩旅行の企画について説明するとほぼ即決で僕の旅をサポートしてくれることを約束してくれた。劉会長は高雄の出身。いかにも南部の人らしく人情味のある人だった。La newはプロ野球チーム以外にも、卓球チームを作ったり、年に4回健康ウォーキング大会を行なったり、国内外で登山や砂漠横断などのイベントを主催している。
「企業は社会に貢献しなければならない。冬山登山用の退避小屋を作ってるのもそういう理由からだよ。一つ作るだけで600万ほどかかるんだけど、それでもしかすると人の命が助かるかもしれない。今回の君の徒歩旅行を通して少しでも多くの日本人が台湾に関心を持ってくれるんだったらそれでいい。台湾の良いところを少しでも多く伝えてほしい。僕も新疆のタクラマカン砂漠を歩いて横断したり、台湾の中央山脈を縦断登山したりいろんなことに挑戦したよ。でも身体の安全を確保することが一番大切だ。La newの259店舗のネットワークを使って、できる限り君の旅のサポートをするよ。」チャイナトラストの黄さんに引き続き、またしても有難い言葉!台湾の経営者はなんと心が広いのだろう。

2004年10月12日

思い出のレストラン

上海でコンサルタント業を営むJoel、台南から遊びに来た元台南YMCA学生の黄さん、そして朝日新聞台北支局の楊さんと4人でランチ。台北駅前にある新光三越44Fの中華レストラン。2年前、世界一周旅行に出て最初に来た台湾。その時も楊さんにこのレストランに連れてきてもらった。思い出のレストランだ。
「ここはね。眺めはいいんだけど、サービスはあまりよくないのよ。でもいつ来ても人はあまり多くないから、ゆっくり話をするにはいいところなのよ。」楊さんが指摘する通り、ロボットみたいなギョロ目の従業員は確かにあまり愛想良くなかった。

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新光三越44Fから遥かに陽明山と淡水河を望む

楊さんに今回の旅の趣旨を説明したところ、「日本語教育を受けたお年寄りの話しを聞きたいんだったら『百年学校』という本があるから読んでみたら?」と、一冊の本を薦められた。なんでもその本は日本統治時代に建てられた小学校を記録した本だという。その後本屋で探してみたら、これがとても面白い!台湾全土、56ヵ所の100年以上の歴史を持つ小学校を詳しく紹介していて、日本と台湾との深い結びつきを改めて知ることになった。僕の両親は共に教師だったし、僕自身台湾で2年間日本語教師をしていた経験もある。台湾には「教師節」という先生に感謝する日があることを知り、日本よりも教師と学生との結びつきが強いことを身をもって知った。以前から台湾の学校教育の現場に興味を持っていたのだが、台湾徒歩旅行の行程の中にこうした百年学校を周ってみるのも面白そうだ。

食後、朝日新聞台北支局をちょっとだけ見学した後、チャイナトラストホテル(中信大飯店)グループ会長の黄さんに会いに行く。チャイナトラストwww.chinatrust-hotel.comは30年の歴史を持ち、台湾と中国、アメリカに15のホテルを展開している。台湾では最大規模のホテルグループだ。黄さんとはJoelの紹介で東京で通訳を手伝ったのがきっかけで知り合った。世界一周旅行をした時、台湾には最初と最後の2度立ち寄ったのだが、2度ともチャイナトラストホテルに無料で招待していただき、彼の息子のデビッドにもアメリカに行った時にお世話になった。僕にとっては親子そろって恩人である。
「フミオ!また台北で会えるとはね。今度は何しに来たんだい?」いつも変わらぬ温和な笑顔。優しい目。黄さんに会うといつも僕は「大人」(たいじん)という言葉を思い出す。なんというか徳の高さが表情や身のこなし、言葉の端々からにじみ出るような感じなのだ。チャイナトラストの本部が引越ししてから初めて彼のオフィスに来たのだが、彼のデスクの上に飾ってある最愛の家族の写真は一緒だった。いかにも家族思いの黄さんらしい。
 台湾徒歩一周旅行の話をするとさすがにちょっと驚いた様子だった。「ビックリしたけど、また新しい旅に挑戦するんだね。私に出来ることがあったら何でも相談しなさい。私の携帯は24時間いつでも電源が入ってるから、台湾のどこにいても電話をもらって2時間以内に助けに行けるよ。」いつもながら何とも心強い言葉!黄さん本当にありがとう!

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チャイナトラストホテルグループ会長の黄さん

2004年10月11日

台湾へ

[台湾元1元(NT$1)=3.34円]
茜色をした夕陽の残影が地平線を鮮やかに浮かび上がらせている。薄墨色の雲の切れ間から眼下に中正国際空港の誘導灯が見えてきた。
「ただいま台湾!」半年振りの台湾。これからまた新しい旅が始まるのだ。今回の旅の目的は台湾徒歩一周。台北からスタートし、沿岸の道を進み3ヶ月で約1100キロの行程を周る予定だ。

中正空港では台湾観光マスコットの阿茶(アチャ)が出迎えてくれる。
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「なんで台湾?なんで歩きなの?」もっともな質問だ。その主な理由は下記の通り。
●世界各地で受けた台湾華僑たちの厚意に徒歩で一周することによって感謝の意を示したい。
●近いけどまだよく知られていない台湾をもっと日本人に知って欲しい。
●歩いて旅をする僕を通して、より多くの台湾の人々にも「日本」そして「日本人」に関心をもってほしい。
●かつて日本語教育を受けた台湾のお年寄りたちの話を聞いてみたい。
●ついでに日ごろの運動不足を解消したい。

2002年11月から17ヶ月かけて僕は世界一周の旅をした。その間、北米、中米、南米、アフリカ、ヨーロッパ、ロシアなど50カ国を訪れた。長い旅の間には何度か危険を感じることもあった。現地の人たちにずいぶん助けてもらったが、特にお世話になったのが世界各地で暮らす華僑の人たち。中でもベリーズ、ブラジル、アルゼンチン、南アフリカなどでは数多くの台湾華僑のお世話になった。その土地に暮らす者だからこそ知りうる危険情報を教えてもらったり、宿や食事を提供してもらったり、車で案内してもらったりと、家族の一員のように迎えてもらった。今回徒歩というちょっとキツイ手段を用いることにより、海外でお世話になった多くの台湾人たちに僕なりの感謝の意を示したいと思う。
上にいくつか理由を書いたが、僕は日本にもっと多くの台湾好きな日本人を増やしたい。日本にもっと台湾に関心を興味をもってほしいと思っている。50年に渡る日本による統治の歴史を持ちつつも、その親日度の高さは世界一と言っても過言ではない台湾。日本の最西端の与那国島からわずか110キロの距離にある台湾。日本と台湾の距離はとても近いが、台湾における高い日本への関心度に比べ、日本の台湾に対する認識のレベルはまだまだ低い。
僕は94年から96年までの2年間を台湾の台南で日本語教師として過ごした。人懐こい人々。篤い人情。いつも笑顔で温かく迎えてくれる台湾。台湾は僕にとって第二の心の故郷になった。
日本から台湾へ旅行に来る場合の標準滞在日数は3泊4日。台北で故宮博物院や中正紀念堂を見て、花蓮で太魯閣の渓谷を見て、夜市に行き屋台料理を食べて台湾茶を飲んで帰る…というのが一般的だ。だが、僕はもっと日本の人たちにこの地に暮らす台湾の人たち、世界一親日で、時にはおせっかい過ぎるほどに世話好きで人情味溢れる彼らのことを知って欲しいと思っている。
17ヶ月間で50カ国を周った世界一周旅行は世界遺産などの観光ポイントを巡るのに執心し、現地に暮らす人々との触れ合いは充分とはいえなかった。今回の旅は「徒歩」という最もスローな移動手段を用いることにより、より多くの台湾に暮らす普通の人々と交流したいと思っている。僕が調べた限りでは徒歩で台湾を一周した日本人はいまだかつていないようだ。歩いて旅をする僕を通して、少しでも多くの台湾の人々が「日本」そして「日本人」に対しても関心をもってもらえたら嬉しい。そしてこの連載を通して、ガイドブックには描かれない台湾の姿、市井に暮らす台湾人の姿や生の声を伝えていきたい。日本と台湾の心の距離が少しでも近づく、その小さなきっかけを作る旅にしたいと思っている。

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空港から台北駅までは国光号のバスが出ている。NT$120(約400円)

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台北駅の側に怪しく聳え立つ新光三越

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今晩の宿Happy Family twoのベッド。なんだかドラエモンの寝床みたい。NT$300(約1000円)

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Happy Family Twoの共用ラウンジ。一応NHKも見られる。


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