2004年11月18日

檳榔(ビンロウ)ガール 台南市内

 檳榔(ビンロウ)。檳榔樹と呼ばれる椰子の木に似た樹になる実で、石灰と一緒に噛むと反応で汁が赤く染まる。実に含まれるアルカロイド系の成分によって覚醒作用があり、長距離トラックの運転手などの必需品となっている。道のあちこちで真っ赤な血の跡みたいなものをよく見かけるのだが、これが檳榔愛好者が口から吐き出す檳榔の汁。吐き出すところなんか見てるとまさに吐血そのものでかなりキモチ悪い。

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檳榔(ビンロウ)の実。これに石灰を挟んでキンマの葉で巻く。ビンロウは依存性があり、多用すると口腔癌を誘発する可能性がある。


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檳榔(ビンロウ)はナゼか日本のグラビアアイドルの写真が印刷された箱に入れられ売られている。何百種類もの箱があるので、コレクターとかいそう…。

 駅のキオスク位の大きさの檳榔ショップが道のあちこちに並んでるのだが、この売り子のほとんどが若くてカワイイ女の子。(たまに無愛想なオッサンやオバサンが売ってる場合もあるけど。)
 毎日延々道を歩いていると、カワイイ檳榔ガールとのつかの間の語らいが日々の楽しみの一つになったりする。檳榔ショップでは水や栄養ドリンクなども売ってるので、コンビニなどで買うよりもついついカワイイ女の子がいる方で買ってしまうのが男の悲しい性なのである。

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「いつか日本に遊びに行きたいなー。」という檳榔売りの兵さん(18)。ドライバーがついついよそ見をして事故を起こした例もあるとか。最近は規制が激しくなり以前より露出が少なくなったという話だが、以前はどんなカッコしてたんだ?!

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檳榔ショップ。中国語読みで「カワイイ」と書いてある。

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こっちは「オバサン檳榔」。ホントに無愛想なオバサンが売ってた。

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11時。忠義小学校着。忠義小は日本統治時代には末広小学校と呼ばれた。忠義小学校内にある「武徳殿」は1936年建立。当時は柔道、剣道、弓道などをここで学んでいた。台湾には他にも台中、彰化、高雄にもこのような日本武道を学んだ施設が残っているが武徳殿は現存する中では最大規模のものである。

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忠義小のシンボルにもなっているガジュマルの木。高さ20m近い。

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「どうぞ!ありがとう!すみません!を言いましょう!」忠義小のスローガン。

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11時40分。立人小学校着。地元の人に言わせると台湾一美しいデザインの学校とのことだが、実際今まで見た小学校の中では一番秀逸なデザインだと思った。1896年創立の立人小は今年で106周年を迎える。日本統治時代には宝公学校と呼ばれた。

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校内に残る教育勅語を保管するために使った吉田光金庫店製の金庫。日本にも今はほとんど残ってないのでは。

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かつての日本人を含む卒業生たちが植樹したガジュマルの木。立人小の在校生が今も大切に守っている。

2004年11月17日

台南県善化→新市→台南市 ピンポンパンと小市民

午前8時。台南市郊外にある長安小学校へ。元々この学校に行く予定は全然なかったのだが、新聞の記事を読んで僕を知ったという長安小の王主任の招きで立ち寄ることになった。今年44歳になるという陳校長と王主任に連れられてグラウンドに向かうと既に700人の全校生徒が勢ぞろい。男の子は緑と白、女の子は赤と白の帽子をみんな被っていて、その姿は僕に往年の名子供番組「ピンポンパン」を思い出させた。ピンポンパンのお姉さんは今は何やってるんだろう…などと他のことを考えてる間に陳校長が僕の紹介をしてくれ、
その後1時間ほど子供たちと語らう。

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700人の生徒たちに僕を紹介する陳校長。

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ピンポンパンキャップのカワイイ子供たち。

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この長安小が29校目の訪問先。既に1万人近い子供たちと出会ったことになる。きっとあっという間に僕は彼らの記憶の中から消えてしまうんだろうけど、いつの日か大人になった彼らと再会してみたいものだ。

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校門に掲げられた紹介文。「日本小市民富樫史生 徒歩環島台湾一周80天」
小市民という言葉がやけに気に入った。ホントにその通りです。

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僕を長安小に招いてくれた王主任(左)と陳校長。

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AM10時。再び19甲号線を南に向かって歩き新市へ向かう。途中台湾でも珍しくなった牛車に遭遇。こんな風景もどんどん消えていくのかと思うとちょっと寂しい。

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台湾西岸部の都市部の水質汚染はかなり深刻。歩いていると度々真っ黒に染まった異臭を放つ河を見かける。

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新市で知り合った李さん(27)。日本人と直接話すのは初めてだという彼はオレンジジュースを差し入れに来てくれた。カラカラに乾いた喉に冷たいジュースと彼の優しさが染みわたる。

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台湾でもヨン様は大人気!そもそも日本で使われている「韓流」という言葉は台湾生まれの外来語。寒波のことを台湾では「寒流」(HanLiu)と呼ぶが、発音が同じ「韓流」(HanLiu)に引っ掛けて出来た言葉なのだ。

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15時。新市にある「奶油珈琲Butter Coffee」で遅い昼食。バターコーヒーという名前が気になるがホントにバターが入ってたらマズそう。店長は阿美族の人で、プロ野球チーム「統一ライオンズ」の大ファン。店内には選手からもらったユニフォームやサインがあちこちに飾られていた。

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Butter Coffee店長の息子たち。

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16時半。ついに台南市到着!日本語を教えていた時の学生だった王さんが自転車で出迎えてくれた。10年ぶりの感動の再会である。

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いつの間にかカワイイ奥さんをもらって一児のお父さんになってた王さん。とっても幸せそう。「ずっと日本語使ってなかったので下手になりました。」

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20時。これまた10年前の日本語クラスのみんなと再会!懐かしい面々とビールを飲みながら思い出話に花が咲く。台南に帰って来たんだなーと嬉しさがジワジワと広がってきた。

2004年11月16日

台南県下営→麻豆→台南県善化 文旦とCD-ROM

省道19甲号線を下営から南へ進み台南県麻豆へ。麻豆と言えば文旦。文旦と言えば麻豆というくらいに有名な麻豆文旦。人の頭ほどもあるこの巨大な柑橘系の果物は日本でも九州や四国で栽培されている。果肉は肉厚で口に入れると爽やかな香りと上品な甘みが口中に広がる。台湾では中秋節の時季になると果物屋の店頭にこの文旦が山のように並ぶ。黄色く真ん丸とした文旦は満月を連想させ中秋の名月を眺めつつこれを頬張るのもオツである。

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売り子のオジサンの頭よりもデカイ麻豆文旦。文旦のシーズンもそろそろ終わり。

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麻豆から善化へと架かる麻善大橋。

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橋の欄干には麻豆と善化の特産である「文旦」と「CD-ROM」のレリーフが交互に並んでいた。しかし如何なものかなーこのデザイン…。100m以上これが続いてるんだから。

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長方形の定規みたいなのが「SDRAM」。丸いのにはしっかり「CD-RW」の文字が刻まれていた。

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16時40分善化着。不思議な顔立ちをした犬としばらくにらめっこ。ビクターの犬のようにピクリとも動かなかった。

2004年11月15日

台南県新営→台南県下営 Let’s speak English!

 朝8時半、新民小学校の朝会に出席。5年生の子供たちの英語劇「三匹の子豚」の発表を見学。彼らの英語のレベルの高さに驚かされた。みんなとてもイキイキと演技していて、発音などは日本の一般的な大学生とは比較にならないほど素晴らしかった。
 児童を対象にした英語教育については賛否両論があるが、正しい発音を身につけるという点ではやはり早いうちから始めた方がいいんじゃないだろうか。新民小学校では子供たちが楽しみながら英語を覚えられるようゲームやダンスなども交えて生徒が飽きないカリキュラムを組んでいるとのこと。実際の英語の授業も見せてもらったのだが、みんな笑顔でのびのびと英語を学んでいる姿が印象的だった。
 台湾では2001年9月から公立小学校での英語教育が必修科目になった。教育部(日本の文部科学省に当たる)の方針では今までは小学5年生から英語の授業を始めていたのを今年からは小学3年生からに変更するという。しかし、実際に各小学校の先生に話しを聞いてみると、既に多くの学校で低学年からの英語教育を始めているのが現状だった。台北市内の小学校のほとんどは小学1年から英語教育を始めており、その動きは各地方へと波及している。都市部では幼稚園からの英語レッスンを取り入れている所が多く、英語教育の低年齢化にどんどん拍車がかかっているようだ。台湾の児童英語ブームはまだまだ加速化しそうである。

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三匹の子豚の英語劇の発表会。子供たち英語の発音の上手さに舌を巻く。

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9時半。休み時間に人だかりができてたのでなんだろうと思って行ってみたら、朝食を食べて来なかった子供たちに包子や豆乳などを売っているところだった。校長先生の話ではお腹が減って集中できない子供たちのために始めたサービスとのこと。

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新民小で英語教育と共に力を入れているのがコンピュータ教育。Wordで作文の練習中。

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「三匹の子ブタ」の英語劇の指導をした先生。アメリカで英語教育の修士号を取って帰国したばかりとのこと。

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新民小の次は昨日知り合った段先生のいる安渓小学校へ。

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今年で創立90周年を迎える安渓小には貴重な歴史資料がたくさん残っていた。中でも興味深かったのが北白川宮能久親王に関する資料。親王は安渓に住む道士の家で静養中に亡くなったとのこと。当時は親王の住む家の前を通る際は皆

敬礼をして通ったそうだ。

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安渓小の子供たち250名全員と学年ごとに記念撮影。

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子供たちが「十八羅漢鼓術」という太鼓を披露してくれた。太鼓と武術と舞いが一緒になっている見事な演奏だった。いつか海外公演するのが夢とのこと。

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安渓小の段先生たちと一緒に昼食。野菜たっぷりのヘルシーな鍋料理。左の女性が校長先生。

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火鍋料理が美味しい「麻布厨房」の店長(右)とその弟。

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15時半。省道19甲号線を新営から下営に向かう途中、妙なオジサンと遭遇。何してるのかと思ったら古くなった信号機の交換をしているとのこと。驚いたことに全部一人でやってるのだそうだ。世の中いろんな職業があるもんだ。

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「信号交換屋」の蔡さん(36)。「女房に逃げられちゃってねえ。子供を一人で育てるのは大変だよ。オレの嫁さんは都会育ちだったから田舎暮らしは性に合わなかったんだろうなあ。」

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17時。段先生がわざわざ自転車で僕を追って応援にかけつけてくれた。多謝!段先生!

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17時20分。台南県下営着。夕陽が沈んでいく。本日はここまで!


2004年11月14日

嘉義県水上→台南県新営 旅心(たびごころ)

 「君は日本人?なんでこんなところを歩いてるの?」省道1号線を新営に向かって歩いている時のこと、スクーターに乗った男の人が突然声をかけてきた。それが段先生だった。「歩いて台湾一周?!台北から台南まで歩いて来た?そりゃ面白い!ぜひ話しを聞かせてよ。僕は学生時代に自転車で台湾を一周したことがあってね。でも歩いて周ろうとは考えたことさえなかったよ。」
段先生は台南県の安渓小学校の先生をしていて、今日はちょうどジョギングのためにここまでやって来たとのこと。
「いやあウチの家内とケンカしちゃってねえ。家に居ヅライから飛び出してきたんだけど、まさかこんなところで君みたいな日本人と会えるとは思わなかったよ。」段先生はとにかくよくしゃべる。結婚して一年になること。今は小学校で教鞭をとる傍ら、社会学の博士課程にいること。旅好きで何度も中国大陸を訪れていること。来年は自転車で中国を旅しようと計画していること…。気がつけばあっという間に5キロ以上話をしながら一緒に歩いてしまった。彼も僕も同じ種類の人間なのだ。心の中に「旅心」(トラベルマインド)ともいうべき漂泊の思いが常に心の中に息衝いている。
「西海岸は歩くのはラクだけど、問題は屏東県から宜蘭県までの東側だよ。いくつか難関があるから、後でポイントを教えてあげるよ。」自転車で台湾を一周したことのある段先生からのアドバイスは願ってもないチャンス。土砂崩れや交通事故が多発する危険な場所が多い東側ルートの徒歩の旅には大きな不安を抱いていたのだが、段先生の登場で前途が急に明るくなってきたような気がした。


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1933年に造られた嘉義駅。昨日のゴール地点である嘉義県水上までは電車に乗って戻ることにする。


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駅構内に掲げられた「空襲時の避難ルート」を示す地図。
そういえば10年前はよく空襲避難訓練とかやってたけど、最近はやってないんだろうか?


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韓国DAEWOO社製の電車。DAEWOOって車のメーカーだとばかり思ってた。


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長閑な鈍行電車に揺られ嘉義県水上へと向かう。


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交通量の多い省道1号線を歩くのに飽きたので、細い農道を歩く。
長閑な田園風景が延々続く。


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再び省道1号線に合流。新営まであと11キロ。


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省道1号線に沿って咲く「羊蹄甲」の花。


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ネズミ捕りに捕まった運の悪い車。


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15時。映画のセットのような木造の小さな駅舎「後壁駅」で小休止。


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「乗っていきなよ!」車に乗った家族連れが声をかけてくれた。
歩いて台湾を一周しているので車には乗れないと伝えると「これ食べて頑張ってね!」と大きなグァバを2つ手渡してくれた。
優しい心遣いに思わず涙が出そうになった。


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安渓小学校の段先生。日本の俳優で彼にそっくりな人がいるんだけど名前が思い出せない。
偶然傍を通りかかったのが縁で、新営までスクーターで伴走してくれた。
「昔はもっと痩せてて自転車で台湾を一周したりしてたんだけどなあ。」


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新営まで僕の伴走をしてくれた段先生が別れ際に詩を詠んでくれた。


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僕の名前を使って詩を作ってくれるあたりがクール。


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18時。新民小学校着。


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新民小学校の外壁に掲げられた「麻薬を拒否しよう」という横断幕。
「HIGH(ハイ)」と「害(ハイ)」がちゃんと韻を踏んでる。
「ハイになりたいだけで、自分を害する(傷つける)な。自分を大切にして麻薬を拒絶しよう。」
小学生に対するメッセージにしてはかなり過激。


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夕食後、林校長の息子の冠延君と夜市へ繰り出す。
金魚すくいは日本と同じ。


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ピンポン玉を投げてワクの中に入れることができると点数に応じて賞品がもらえるゲーム。


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日本の味発見!台湾でも大人気の章魚小丸子=タコ焼き。


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22時。
段先生が約束通り新民小まで僕を訪ねて会いに来てくれた。
危険なルート、東海岸に住む彼の友人などを紹介してもらう。
旅にまつわる話をしているうちに気がつけばもう日付が変わっていた。

2004年11月13日

嘉義市→嘉義県水上 嘉義神社で法輪功!

 交通量の多い市内を歩くのは結構しんどい。交通量の多い省道1号線を車の排気ガスにまみれて歩くのに疲れてしまった。今日は嘉義市内から9キロほど離れた嘉義県水上で歩くのを切り上げ、電車に乗って再び嘉義市内に戻る。
 嘉義市で見ておきたいと思っていたのが嘉義公園内にある旧嘉義神社跡。緑の多い公園を奥へ奥へと歩いていくと、厳しい顔をした立派な狛犬たちが僕を出迎えてくれた。鳥居こそ今はなくなってしまったが、参道沿いには大正期に作られた古い石灯籠が立ち並んでいて当時の面影を残している。極めつけは境内に残る旧社務所。阿里山で切り出した檜(ヒノキ)で造られた書院造の荘厳な木造建築だ。現在は史跡資料館として使われている。しかし、来るのが遅くなりすぎて中に入ることはできなかった。残念!

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狛犬「阿」(あ)

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狛犬「吽」(うん)

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ちょっと強面(コワモテ)バージョンの狛犬。

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大正9年製の石灯籠。

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元々はこの辺りに鳥居があった。今は忠烈祠になっていて戦争で亡くなった人たちが祀られている。今日はボーイ&ガールスカウトたちのイベントで境内は派手なユニフォームに身を包んだ子供たちで賑わっていた。

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現在は嘉義史跡資料館として使われている社務所は1943年(昭和18年)に建てられた。閉館時間は事前にチェックしておきましょう。

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真剣な顔をして何やってるんだろう…と思ったら、なんと「法輪功」。http://www.falundafa-jp.net/ 中国大陸ではオウム真理教並みのカルト教団とみなされ粛清の対象となっている「法輪功」。しかし、台湾では禁止されることもなく支持者が多い。道を歩いてると「法輪大法好!」の看板をよく見かける。

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今晩の夕食は「貴族世家牛排」の特製猪排NT$170(約570円)。味の方はイマイチ。

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AM0:40夜更かししてたら腹が減ったので外で夜食。嘉義中信大飯店の目の前の店で食べた素食湯麺NT$45。(約150円)肉を使わないベジタリアン向けのあっさりした味付けのタンメン。じっくりと煮込んだ大根が美味い!

2004年11月12日

教育部?!

 朝目が覚めると、ドア下の隙間から朝刊と数枚の紙が差し込んであるのに気がついた。それは西門小学校から届いたFAXで、台湾全土の学校のリストで、50校ほどの学校名、校長名、連絡先が記入してあった。
 タイトルを見て思わず目が点になってしまった。「富樫史生参訪学校行程」と書いてある。いったいいつの間にそんなスケジュールが組まれてしまったんだ?すぐに送信元の西門小学校の陳主任に電話を入れた。
「あれはね。私たちが決めたんじゃないのよ。教育部(日本の文部科学省に当たる)が作ったリストなの。あなたのやってることは既に一番上の方まで動かしてるのよ。わかってる?」陳主任は早口にまくし立てると、「今から会議だから。じゃあね!」と言うが早いか電話を切ってしまった。
 教育部が作ったリスト?いつの間にか僕の旅は教育部後援の旅になってしまったらしい。正直言って困ってしまった。なんだか話しがどんどん大げさになってしまっている。しばらく呆然と立ち尽くしていると携帯が鳴った。上海のJoelからだ。早速FAXの件を話す。
「いいじゃない。教育部がサポートしてくれるんだったら心強いよ。学校だって全部必ず行かなければならないってわけでもないだろうし。出来る範囲でその話に乗っちゃえばいいじゃん。」なるほど。彼の言うことも一理ある。日本にいたら、「文部科学省後援の旅」なんて絶対できないだろうし、これもまた一つの縁かもしれない。行雲流水。流れに逆らわずに行き着くところまで行ってみよう。

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嘉義市内にある垂楊小学校。http://www.cyes.cy.edu.tw/ 学校の敷地面積がかなり広く、校舎も豪華。

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校内にはなぜか二宮金次郎の彫像が!

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校庭にある日本統治時代からの遺物。

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校庭の一角にある「若葉園」は日本人卒業生からの寄付金で作られた。ここにも二宮金次郎が立っている。垂楊小学校の旧名「若葉小学校」に由来する。

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垂楊小は野球の強豪として知られている。真っ黒に日焼けした野球少年たちが熱心に練習していた。

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「学校をもっと市民に開放し、交流の場にしたいですね。」垂楊小学校の陳栄昌校長は45歳。見ての通りのかなりの男前。垂楊小では言語教育、美術教育、コンピュータ教育、野球の4つに特に力を入れている。

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陳校長と一緒に給食を食べる。とても懐かしい味がした。

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中国信託大飯店をチェックアウトし、嘉義教師会館に引っ越す。一泊500元。

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教師会館のマスコット犬。柴犬は台湾では人気が高い。

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夕食は大林中学校の楊校長(55)と共に食べる。真っ赤なネクタイが似合うダンディな楊校長は西門小学校の方校長の同級生。学生時代は陸上競技で全国2位になったこともある猛者。愛車がイタリアの名車ランチアというのがシブイ!

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楊校長(左)と志航小学校の李校長。李校長もまた西門小の方校長の先輩。二人は僕がきっかけで初めて会ったとのこと。共通の知り合いが多いようで即意気投合していた。

2004年11月11日

雲林県北港→新港→嘉義 越南新娘

 「漁村や農村では結婚相手を探すのは大変だよ。だからこの辺りでは外国から来た花嫁が少なくない。でもコミュニケーションがうまくいかなくて離婚に至るケースが多いんだ。」昨日の歓迎会の時に楊校長がそんな話をしていたが、実際この辺の村では「越南新娘」(ベトナム花嫁)、「大陸新娘」(大陸花嫁)といった国際結婚仲介業の看板をよく見かける。

 ラジオのニュースでも、今年に入ってから10月までに結婚したカップルは10万5630組、その一方で離婚したカップルは約5万2283組にも及ぶことを伝えていた。2組が結婚しているうちに1組離婚していくわけだからものすごい割合だ。毎日170組以上の夫婦が離婚しているらしい。国際結婚仲介業の看板の側には離婚調停の看板、そして消費者金融の看板という具合に仲良く並んでいることが多い。

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「ベトナム花嫁」お見合いNT$2万(約6万8000円)、結婚NT$15万(約51万円)で全て込み!

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「離婚」の文字があちこちの壁に書かれていた。

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身分証があれば5万まで貸します!By陳太太。

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10万(34万円)借りて、一ヶ月700元(月2380円)の利子だから良心的な方?
消費者金融系のポスターのモデルさんは例外なく美人。(これは日本も同じか。)

 裕福な暮らしに憧れてやって来た外国人花嫁が実際に台湾人に嫁いでみたら、ダンナの勤める会社は景気が悪くて破綻。消費者金融からお金を借りて生活する羽目になり、金の切れ目が縁の切れ目。挙句の果ては離婚の調停に頼る…と、これらは全て関連しているのだ。「風が吹けば桶屋が儲かる」式に言うと、「景気が悪くなると離婚調停屋が儲かる」ということになるかもしれない。

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午前11時。北港大橋を渡る。この橋を超えれば嘉義県に入る。

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北港大橋からの眺め。対岸(左手)が嘉義県で右手が雲林県。

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橋を渡っている途中で蛇に遭遇!かわいそうなことに既に息絶えていた。合掌。

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新港に向かう道沿いには「菱角」を売るオバチャンたちが並んでいる。

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内湖小学校の守衛を勤める林さんがスクーターで会いに来てくれたので、一緒に昼食を食べる。林さんは今年21歳。元々はプログラマーだったが現在は替代役中。任期は1年8ヵ月だが、今月で5ヶ月目になるそうだ。

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1811年に建てられた新港奉天宮も現在改装中。北港の媽祖廟同様外はシートで覆われていた。

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奉天宮の媽祖様に旅の無事を祈る。

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奉天宮に参拝した後、また一路159号線を南下。途中見かけたランボルギーニ製のトラクター。ちょっと乗ってみたかった。

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17時30分。ようやく嘉義市内に入る。立法院選挙まであとひと月。「阿扁(陳水扁)を信じて、改革を堅持しよう!」

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19時。今晩宿泊する嘉義中信大飯店着。http://www.chinatrust-hotel.com孫総経理(右)と宋さんが出迎えてくれた。孫総経理はブラジルに1年、パラグアイやボリビア、ペルー、チリなどにも住んでいたことがあり、南米話で大いに盛り上がる。

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嘉義中信大飯店自慢の点心。飲茶で有名な高雄中信大飯店同様ウマイ!

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嘉義名物といえばやっぱりコレ!嘉義火鶏肉飯。火鶏とは七面鳥のこと。タクアンとのコンビネーションが絶妙です!

2004年11月10日

雲林県四湖郷飛沙→雲林県北港 日本三大珍味

「日本三大珍味」と聞かれてその3つの名前がすぐに思いつくだろうか?「世界三大珍味」がトリュフ、フォアグラ、キャビアだと答えられる人でも、「日本三大珍味」となると、ちょっと悩んでしまうんじゃないだろうか。答えは「からすみ、このわた、うに」である。
からすみは鯔(ボラ)の卵を塩漬けした後、天日で干した物だ。その形状が唐(中国)の墨の形に似ていたことから「唐墨」と呼ばれるようになった。日本統治時代に「からすみ」は台湾に渡り台湾南部でも作られるようになった。台湾での呼び名はカラスが烏(カラス)になり、魚の子であることから、「烏魚子」。見事な誤訳だが、思わず「山田君、座布団一枚持って行って!」と言いたくなってしまう。

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鯔(ボラ)の卵をブタの腸で包み3日間ほど天日で干す。ボラは台湾産のほかにブラジル産のものを使うこともある。1つNT$1000(約3400円)〜NT$4000(約13000円)くらい。

ついでに「このわた」の名前の謂れも傑作である。ちなみに「このわた」はナマコの腸を塩辛にしたものだ。
その昔尾張の殿様が江戸の将軍に「このわた」を献上した時のこと。
将軍:「コレは美味い!世にも珍しい塩辛じゃが、これは何のハラワタを使っているのか?」
尾張の殿様:「このワタは…」と言ったまま口ごもってしまった。何のワタなのか知らなかったのだ。しかし、将軍はそれが名前だと勘違いしてしまった。
「そうか。このわたというのか!今後もまたヨロシク頼むぞ!」という訳で、「このわた」の名が付いたという。

 世の中にはヘンな名前の由来というのがたくさんあって、その中でも有名なのはカンガルーだろう。キャプテン・クックがオーストラリアに初めて上陸した時、今まで見たこともない変わった動物を目にして「あの動物は何だ?」と原住民のアボリジニーに聞いた。
「知らない。分からない」という意味で「カンガルー」と答えたところ、それがそのまま名前になってしまったという話しだ。「このわた」も「カンガルー」もホントは別の名前があったのかもしれないが、今となっては知る由もない。

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カラスミ以外ではウナギの養殖も盛ん。日本人は小型のウナギ、香港人は大型のウナギを好むそうだ。

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昨晩泊めてもらった内湖小学校 の王立宏(ワン・リーホン)校長は35歳!名前が台湾の有名なアイドル歌手と同じ発音。そんなこともあってか歌って踊れる芸達者な校長先生だ。

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子供たちが練習しているカンフーダンスはワン・リーホン校長が振り付け指導したもの。

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口湖郷を案内してくれた口湖小学校の楊昆盛校長。(中央)

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一面に広がる菜の花畑を眺めつつ、155号線を北港へと向かう。

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今日もまたドリンク剤のお世話に。その名も「元気百倍」!

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17時。菜の花畑に日が沈む。

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17時50分、北港の朝天宮着。残念ながら改修中で建物の周囲には囲いがしてあった。

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朝天宮の御神体は媽祖様。媽祖誕生の3月23日までの参拝期間には20〜30万人が訪れる。

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口湖小学校の楊校長主催の歓迎夕食会には雲林県内の多数の教育関係者が集まった。「我々海辺に生きる人間は皆人情味があって、明るくて、世話好きなんだよ。」楊校長、王校長、大歓待をしていただき有難うございました!

2004年11月09日

雲林県麥寮→雲林県四湖郷飛沙 首を吊る猫

昨日から歩く時に右足の甲に鈍痛が走るようになった。一歩足を踏み出す度に筋がジワジワと痛み出す。両足の小指の先にはマメができ、首から肩の辺りもかなり凝ってるし、寝起きには腰も痛む。身体のあちこちにガタがきてるようだ。たまたま昨日知り合った寶如さんの友達の佩婷さんが、すぐ近くにある中医診療所で働いてるので診てもらうことにした。
隆安中醫診所は内科、婦人科、小児科疾患に対応していて、漢方薬の処方、鍼灸、推拿、接骨、整体などの診療を行なっている。台湾ではこの種の中医診療所は至ってポピュラーなようだ。
「身体にずいぶん疲れがたまってきてますね。できるだけ体を休めてください。」脈を取ったり患部を触診した後、張先生がそう言った。「ビザの関係であまりゆっくり休んでる時間はないんです。」そう告げると、張先生は仕方がないという顔をしながら、針治療、温熱治療、推拿を合わせて応急措置をしてくれた。これでなんとか急場は凌げそうだ。

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隆安中醫診所の張先生

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次々に針が打たれていく。

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両肩にも6本の針が打たれ、患部を遠赤外線で温めてくれた。

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推拿担当の先生。グイグイと患部に指を食込ませていく。メチャクチャ痛かった…。

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なんとも痛々しい右足。でも患部に貼られた漢方薬配合の湿布がけっこう気持ちいい。

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寶如さんの友達の佩婷さん。カワイイ看護婦さんの笑顔で元気ハツラツ?

治療の後、9時半から中国時報の取材を受ける。取材に来たのは許さんという女性記者。ちょっと驚いたのは彼女が子連れで取材に来たこと。台湾三大新聞の中国時報の記者が子連れで取材っていうのは見ていて微笑ましかった。日本でも女性が気楽に子連れで職場に行ったりできるようになれば、女性の社会進出ももっとしやすくなるんだろうけど。

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翌日の中国時報に掲載された写真。新潟地震の被災者を応援する意味と、台湾の人たちにも日本での災害に関心を持って欲しいという願いからデイパックにメッセージを付けてみた。

省道17号線を麥寮郷から台西方面に向かって歩いている時、それは突然視界に飛び込んできた。一瞬我が目を疑った。樹の上に猫が首をくくられ吊らされていたのだ。なんてヒドイことをするヤツがいるんだろう!この辺りは牧歌的な風景が続く長閑な田舎町なだけに、こんな惨いことをする奴がいるということが信じられなかった。季節外れのクリスマスツリーのデコレーションのように哀しく風に揺れる白い猫。僕は手を合わせ足早にその場を通り過ぎた。

台湾の道には死が溢れている。車に轢かれた犬、猫、ネズミ、鳥などの死体。それらが誰にも片付けられることなく、道路上にいつまでも放置され続ける。最初は立体だったそれが、車に何度も轢き潰され、強烈な陽射しに晒され、やがて2次元世界の住人になる。そして最後には風塵に帰するのだ。一日に何体もそういった様々な死体を目にしていると、だんだん自分が生き物の死に無関心になっていくようで怖くなる。そんな僕にもあの風に揺れる首吊り猫は相当な衝撃だった。
 それから1時間後。橋を渡っている最中、ふと川面に視線を向けると、今度は犬のドザエモンが…。首吊り猫の後は溺死した犬。どんどん気分がブルーになってきた。

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すっかり2次元化したネズミ。ふと『ど根性ガエル』を思い出す。

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途中で出会った犬。車に気をつけてねー!

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民進党のシンボルカラーの緑色を台湾の国旗の晴天白日満地紅旗にミックスした珍しい旗。
台湾では唯一雲林県のこの一帯でしか見られないらしい。

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美味そうに草を食べているヤギの群れ。長閑だ。

17時半本日のゴール雲林県四湖郷にある内湖小学校着。今晩はこの学校の教員用宿舎に泊まらせてもらうことになった。宿舎に荷物を入れてホッと一息入れていると携帯が鳴った。台南の大仏堂の洪さんからだった。今日は首吊った猫を見たり、溺死した犬を見たりして不吉な一日だったという話をしたところ、いきなり洪さんが大笑いした。
「それはね『死猫吊樹頭、死狗放水流』って言って台湾の古い風習なんですよ。今じゃほとんど誰もやらないけど、まだそんなことやってる所があるんだ!」
 聞くところによると、それは中国の福建省から伝わった風習なのだそうだ。猫はキゲンがいいと喉をゴロゴロと鳴らすが、昔の人はこの音を喘息の音に似ていると考えたらしい。そこで、死んだ猫の首をしばって、病気が口から広がらないようにしたのだという。人々は猫が祟ることを怖れ、死後49日間は首を吊ってぶら下げるのだそうだ。(そんなことしたらますます化けて出てきそうだけど。)
 犬の場合も、土葬すると犬が大地の気を吸って蘇り人に祟ると思われている。水葬すればやがて成仏し、転生して飼い主に福をもたらすのだそうだ。
 何はともあれ、あの猫が首を縛られ殺されたのではないということがわかっただけでも気分がずいぶんラクになった。でも49日間も樹の上に晒し者になる猫のことを思うとやはり不憫だよなあ。

2004年11月08日

彰化県芳苑→雲林県麥寮 芳苑スクーターツアー

南投での休日を終え、再び芳苑へ。10時に芳苑小学校の廖校長と会う約束をしていたのだが、南投から芳苑までは洪さんのお兄さんが車で送ってくれた。
芳苑小学校は今年創立89年。学生数は全部で206人の小規模な小学校だ。
 「会うのを楽しみに待ってましたよ。今から全生徒をグラウンドに集めて紹介しますね。それから芳苑社区内を案内しますよ。」笑顔の素敵な廖校長は今年50歳。実際の年齢よりももっとずっと若く見える。校長と一緒に校庭に向かうと、真っ黒に日焼けした子供たちが勢揃いしていた。

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子供たちに僕を紹介する廖校長。

校長は子供たちに、僕が世界一周をしたことや今台湾を歩いて一周していることを子供たちに分かりやすく説明してくれた。笑顔を絶やさずに子供たちの目の高さで優しく語りかける廖校長の姿はとても好感が持てた。

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元気な子供たちと一緒に。

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結局生徒全員と一緒に記念写真を撮ることに。

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腕白坊主たち。

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「サインして〜!」なんで僕のサインなんかが欲しいのかわからないけど、ちょっと嬉しい。

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子供たちが独楽のパフォーマンスを見せてくれた。

「私が芳苑社区内を案内しますよ。」しばらくすると、廖校長がスクーターに乗って戻ってきた。「狭い道を移動するにはスクーターが一番ですよ。さあ、後ろに乗って!」台湾の都市部は基本的にヘルメットを被らなければならないが、地方はあまり厳しくないみたいで、校長も僕もノーヘルに二人乗りで芳苑社区内探検ツアーにスタート。校長先生自らがスクーターを運転して案内してくれるなんて、日本ではありえないシチュエーションだろう。芳苑の町は狭い路地が縦横に走っていて、確かに移動はスクーターが一番便利だった。芳苑は牛車がまだ現役で活躍していたり、古い街並みがそのまま残っていたりして、時が止まったままのようなのどかな町だった。

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廖校長の運転するスクーターに乗って、芳苑ツアーにスタート。

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牡蠣の選別をするオバチャンたち。

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丸い巨大な甕状の建物は米の保管場所。昔はどこの家にもあったらしいが、今はほとんど残っていない。

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古い家屋があちこちに残る。

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突然フラリと立ち寄ったのだが、お茶をご馳走してくれた。

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「この井戸はまだ現役だよ。昔はこの一つの井戸で200人を養ったものさ。みんな家族みたいなもんだよ。この井戸の水をちゃんと汲めるようにならないと女は結婚できなかったんだよ。」

「芳苑はあまり豊かとはいえないさびれた漁村ですが、町のみんなはとても仲がいいんですよ。みんなで協力しあって、ボランティアで樹を植えたりして町の環境改善に努力しています。学校も町の人たちとは積極的に意見を交換していて、地域の中で改善できる部分はないかいつも話し合っています。私たちは子供たちの心の教育に力を入れていますが、思いやりの心を養い、命の大切さを知ってもらうために道徳教育や環境教育を重視しています。その為には地域の人たちとの連携が大切なんです。」スクーターを運転しながら廖校長はそう語った。

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12時。先生たちと一緒に給食を食べる。芳苑小学校の給食は8年連続で県内No.1の座を獲得している。確かにどの料理も美味しかった!

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13時半芳苑小学校出発。学校前の道路には落花生が一面に干してあった。

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今日の目的地は雲林県麥寮。これから22km歩かなければならない。

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それから約30分後。2キロしか歩いてないのに麥寮までの距離が一気に9キロも短縮されてしまった。以前もこんな表示ミスがあったのだが、台湾の標識ってかなりいい加減だ。

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路肩に観光バスが2台も停まっていたので、何かと思って見てみたら葬式だった。

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今日もまた陽射しが強くとにかく暑い!夏バテ防止にこの一本。コレは初めて見るタイプで、栄養ドリンクとビタミン剤がセットになって売られていた。NT$30(約100円)

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雑貨屋のオバチャン。いい笑顔してる!

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16時45分。濁水渓に架かる西濱大橋とい長―い橋を渡る。橋の対岸は雲林県だ。

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17時半。水を買いに入ったビンロウ屋さんで仲良くなった二人組。「まー、まずは一杯飲んでいきなよ!」

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今晩は台南の黄さんに紹介してもらった雲林の虎尾に住む大春さん&寶如さん夫妻の家に泊めてもらうことに。大春さんは1Fでバイクのパーツショップを経営していて、2Fでは寶如さんがカントリードールの教室を開いている。

2004年11月07日

ナージャの治療師  「雕漆」失われたアート

「せっかくの日曜だし、一日くらい休んで南投の家に遊びにおいでよ。」徒歩旅行を始めてから20日ほど経ち、ちょっと気分転換したいなーと思ってた僕には洪さんからの申し出は正に渡りに船だった。洪さんは僕が台南で10年前に日本語教師をしていた時のホームステイ先。歳も近いし兄弟のように仲良くしている。彼は「大仏堂」という仏像や仏教美術品等を取り扱う会社の若社長。仏像なんて扱ってるだけあって、洪さん本人もまるで仏様のような温和な好青年だ。今回歩くコースからは内陸部にある南投県だけが外れているだけに、このまま寄らないのも忍びがたい。南投に連れて行ってもらえるなら距離的に南投県に最接近している今日が一番都合が良かった。


台南から洪さんが車で迎えに来てくれるのを待つ間、普天宮の廟内をブラブラしていると中で推拿治療をしているオバサンを発見!
推拿(すいな)とは中国では鍼灸、漢方と並ぶ三大医療の一つ。総合的な整体療法でここ台湾でもポピュラーな治療法だ。
実は僕は台湾に来る直前まで日本の推拿治療の第一人者の孫維良先生のもとで2ヶ月ほど推拿の勉強をしていたことがある。推拿治療をしている東京中医学研究所のすぐ隣には足つぼ&薬茶の店「胡同」(フートン)があり、「胡同」で教えてもらった足つぼの基礎知識と合わせて、今回の徒歩旅行で疲れた足のケアには相当役立った。
 もっとも自分で治療するには限界があるし、そもそも専門家にやってもらうのと素人の付け焼刃とでは雲泥の差。とりあえず張さんというプロレスラーみたいなゴツイおばちゃんに治療してもらうことにする。
 張さんは巫女としても有名なのだそうで、テレビにも紹介されたことがあるらしい。彼女は推拿以外にもグヮーシャー治療という靴ベラ状のモノで患部を赤くなるまでこする療法も混ぜながら30分ほどかけて治療してくれた。推拿の時もグヮーシャーの時も自家製だという生姜や薬草を調合したクリームを患部に塗ってくれるのだが、これがなかなかスーっとして気持ちよかった。なんでも張さんには三太子の霊が憑いていて、治療は彼女がするというより三太子が行なっているんだとか。ちなみに三太子とは中国アニメの名作『ナージャと竜王』(「ナージャ海を騒がす」とも呼ばれている。)のナージャという子供の神様のことである。こんな話しを聞くとビックリするのだが、台湾ではこういう神憑り的な話はよくあることなのだ。ちなみに、この話を後で台湾人の友達にしたところ「三太子ってのは一番演じやすいからねえ。子供のフリしてればいいわけだから。」と、ほとんど信じてない様子だった。僕にとっては多少よくなってくれさえすればどちらでも構わないんだけどね。

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治療を行なう張さん。

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三太子の張さんは普天宮の名物オバサン。わざわざ治療を受けに来る人も多い。

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芳苑から南投に向かう途中で立ち寄った田尾公路花園。

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週末ということもあって、花を求めて多くの観光客が来ていた。

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カワイイ色鮮やかなサボテンたち。

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コレ、蜂蜜と一緒に食べると美味しいんですよね。

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人集まるところに屋台あり。スパイスをたっぷりまぶして揚げたエンリギ。一袋50元。香ばしくて美味!

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午後6時過ぎ、南投県草屯着。洪さんオススメの屋台のお店へ。

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料理の名前は忘れたけど、野菜たっぷりの巨大な揚げ餃子みたいな料理。美味かったです。

草屯の洪さんの家に着くと、洪家自慢の「雕漆」のコレクションを見せてくれた。話しは以前から聞いてはいたのだが、まるで美術館さながら!「雕漆」の技術の巧緻さには目を見張るばかりだった。「雕漆」というのは中国の皇帝や貴族が好んだ漆の工芸品で、この悠久の歴史を持つ工芸技術は既に中国大陸からも滅失してしまった。この「雕漆」のコレクションは北京雕漆廠が制作したもので、現在は博物館以外では滅多に見られないものなのだそうだ。一点作るのに数年かかるとのこと。いい目の保養になりました!ちなみに、洪さんはコレらの販売もしているそうなので、興味ある方はお問い合わせくださいませ。

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雕漆のコレクションに囲まれご満悦の洪さん。

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この獅子は僕の身長近い大きさがあるのだが、漆製なので意外に軽い。

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近づいてみると、かなり細かく彫刻されているのがわかる。

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2004年11月06日

彰化県鹿港→彰化県芳苑 電脳化する子供たち 観音タクシー

徒歩旅行で毎回大変なのが宿探し。台北を出てからというもの、西門小学校の方校長や陳主任の事前連絡のお陰でスムーズに学校を泊まり歩くことができた。しかし、彰化から雲林にかけては宿泊先がなかなか見つからず四苦八苦。そんな僕を見かねて東京で働いている台北出身の林さんが宿探しを手伝ってくれた。JoelのHPを見て  窮状を知ったとのこと。Joel→東京の林さん→台北の林さんのお父さん→お父さんの友人という過程を経て、最終的に鹿港在住の施さんの紹介で宿を見つけることができた。今回の徒歩一周旅行は本当に多くの人たちに支えられているのだ。いつも僕を支えてくれている皆に改めて感謝します!

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鹿港でお世話になった施さん。

施さんは2002年2月に文開小学校を退職。今は病気の奥さんの看病をしている。
「家にはタイ人のお手伝いさんがいるから妻の面倒を見てくれるし、たまにはこうやって家を離れて気分転換をするのもいいもんだよ。」かつて勤めた文開小学校の中を案内しながら、施さんはそう言った。
「ウチの学校には各教室にそれぞれパソコンが設置されていてね。クラスごとにHPがあるんだよ。先生たちがパソコンに精通していて、文開は2年連続で国際インターネット博覧会で金メダルを獲ってるんだよ。」僕はそんな博覧会があることさえ知らなかった。台湾ではほとんどの小学生がメールアドレスを持っているし、かなり早いうちからコンピュータの使い方を勉強している。日本の小学生も今はそんなに電脳化が進んでいるのだろうか。

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広いグラウンドのある文開小学校。

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施さん(中央)とかつての同僚たち。

鹿港を後にし、再び17号線を南下。一路芳苑へと向かう。沿道には様々な花が咲き乱れ目を楽しませてくれる。こんな道だと歩いていて本当に気持ちいい。だが、悲しいことに花の名前がほとんどわからない。中国語名、日本語名、もし知ってたら教えてください。

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名前を尋ねたら「麺包花」と教えてもらったけど。和名はなんだろう?街路樹として17号線沿いに多数植えられていた。

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昼飯に食べた漢宝園のコンロウ飯セットNT$50(約160円)じっくり煮込まれたプリンプリンしたお肉と煮大根が美味!

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海産物を運ぶカワイイ三輪バイク。浅瀬ならそのまま走れる。

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交通安全の標語。「道路は虎の口の如し。」その通り!気をつけないと。

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自転車に乗った女性に突然話しかけられる。「こんなに暑いのに、ずっと歩いてて疲れない?」「暑いし、足も痛むし、疲れるけど面白いよ。」「ふーん。」

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今日も気温は30度以上!疲れた時に助けてくれるのコレ。いかにも効きそうな朝鮮人参ドリンクNT$20(約65円)

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車道に落ちていた美しい木彫りの観音像。このまま見捨てておくのも不憫だと思い拾ってしまった。

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4階建ての豪華な芳苑白馬峯普天宮。4階は参拝者が宿泊できる施設になっている。

午後4時芳苑着。元々は芳苑小学校に泊まれると聞いていたのだが、学校ではなくて近くにある「普天宮」という大きな廟内に併設された宿に泊めてもらえることになった。この辺りではとても有名な廟らしく、鹿港から来る途中に度々「普天宮」の看板を見かけた。
「この廟では何を祀ってるんですか?」
「芳苑も海を生業としている町だからね。媽祖様がご神体だよ。でもね、ここには面白いものがあるんだよ。」そう言って、廟の管理人が連れて行ってくれたのは「壁浮観音佛祖」と書かれた壁の前。
「あの壁の染み、観音像に似てないかい?」
なるほど確かに似ていると言われれば似てないこともない。なんでもこの観音像の染みは3年ほど前に突如現れたのだそうだ。元々ここの廟の3階には観音様を祭ることになっていたのだそうで、そのこととも関連があるとのこと。

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壁の中央にうっすら浮かんでいるのが「壁浮観音佛祖」

「そういえば、ここに来る途中で、観音様の木彫像を拾ったんですよ。よかったらここの廟に置いていただけませんか?」きっとここに置いてもらうのが一番だろう。そう思いカバンの中から観音像を取り出して「普天宮」の管理者に手渡した。
「あんたはこの観音様に選ばれたんだよ。きっとこの仏像は最初からここに来たかったんだ。君はタクシーみたいに、観音様を乗せて来たってわけさ。」管理人のオジサンは仏像をうやうやしく手にしながらそう言った。

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「普天宮」管理組合の皆さん。

2004年11月05日

彰化県伸港→彰化県鹿港 シャオリンの包子(バオズ)

「いつかね本場の包子(バオズ)を日本のみんなに食べさせてやりたいんですよ。これが本物の味なんだよって。」台南YMCAで日本語教師をしていた時の元同僚の小林(シャオリン)先生から、そんな話を聞いたのは彼此5年以上前になる。その当時彼は多摩にある老舗の日本酒メーカーで地ビールを作っていたので、いきなり包子の話を聞いた時は正直かなり驚いた。「僕も台湾に2年いたし、台湾のよさをもっと日本人に伝えたいんです。鹿港(ルーガン)で食べた包子の味、あの感動を一人でも多くの人に味わって欲しいんですよ。」いつか包子の店を作りたいと熱く夢を語るシャオリン先生の言葉に僕も胸が熱くなったことをよく覚えている。
 それからしばらくして、台湾の友達からシャオリン先生が鹿港の包子屋で修行しているらしいという話を聞いた。日本から来た青年が鹿港で最も有名な老舗の包子屋に三顧の礼をもって修行を認めさせたというニュースは現地のマスコミに大きくとりあげられたのだそうだ。
シャオリンは夢を実現させるために既に動き始めている。「僕も頑張ろう!」彼の勇気と行動力は世界一周旅行に出発する直前だった僕にも少なからぬ影響を与えた。
2003年秋、僕が旅をしている間にシャオリン先生は世田谷に小さな包子屋を開いた。店は修行の地に敬意を払って「鹿港」と名づけられた。開店直後から口コミでどんどんお客が増え、シャオリンの作る包子は瞬く間に評判となり行列の絶えない店になった。

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200年近い歴史のある老舗「振味珍」

振味珍。そこがシャオリンの修行した店だ。「阿振肉包」と赤地に白い大文字で書かれた看板が夕闇に浮かんでいる。
「シャオリンの友達なんですが、老板(ラオバン)はいますか?」お店の人に事情を話すと、店の奥から老板が出てきた。台南で日本語教師をしていた時の元同僚であること、今は徒歩で台湾を一周していることを伝えると、老板は僕の来店をとても歓迎してくれ家族やお店のスタッフを一人一人紹介してくれた。
「ウチの店は200年近い歴史があるんだよ。最初にシャオリンが入門したいって店に来た時は冗談かと思ったよ。ウチじゃ弟子はほとんど取らないし、ましてや外国人だしね。でもシャオリンは本気だった。何度も断ったのにそれでも諦めなかった。「三顧之礼」以上に礼儀を尽くして頼み込んできたんだよ。4度目か5度目に店に来た時についに折れたね。
負けたよ。シャオリンには。」そう語る老板の顔はとても嬉しそうだった。

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老板(左から2番目)と「振味珍」ファミリー。

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明後日11月7日は「鹿港」の開店一周年記念日。老板から電話でシャオリンにお祝いメッセージを伝えてもらう。

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老板のお母さんは日本語を流暢に話す。「一日に包子はいくつくらい売れてるの?800個から1000個くらい?ふーん。なかなかやるじゃないの。これからも頑張りなさいよ。」

「もうウチの包子は食べたかい?まだ食べてないの?ちょっと待ってなさい。」そう言うと老板は奥さんに蒸したての肉包(ロウバオ)と饅頭(マントウ)を持ってこさせた。いよいよシャオリンを唸らせた包子とご対面である。
 アツアツの肉包(肉まん)をガブリと喰らいつく。おお!これは‥。皮はモチモチした心地よい弾力ときめ細かさがあり、ほんのりとした甘みがある。中身のお肉もジューシーで口の中で皮とほどよく混じり合いなんとも絶妙にウマイ!この味、これがシャオリンを虜にした味なのか!

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アツアツの肉包!きめ細かく滑らかでモチモチした皮の部分がなんとも秀逸!

実を言うと、僕はまだシャオリンの作った包子は食べたことがない。でも日本語教師をしていた頃からずっと変わりのない彼の誠実な人柄、地ビールを作っていた頃の物作りへの深いこだわりはよく知っている。だから、シャオリンの作る包子は「振味珍」の200年の伝統の上に更にシャオリンの持ち味が加味されたモノになっているのだろうなとは想像できるのだ。
 シャオリンが伝えたかった台湾の良さ。きっと彼が作る包子の中にはそんな想いがいっぱいつまっているはずだ。方法は異なるが、僕もシャオリンも思いは同じ。要は日本人にもっと台湾の良さを知って欲しいと思っているのだ。
「百聞不如一見」と言うが、食べ物に関して言えば、「百聞不如一口」。美味いモノは説明はいらない。僕も日本に戻ったら、すぐにシャオリンの包子を食べに行かなきゃ。

「鹿港」東京都世田谷区3-1-12 TEL:03-5799-3031
「振味珍」彰化県鹿港鎮中山路71号 TEL:04-777-2754

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鹿港と言えば、天后宮。日中は多くの参拝客で賑わう。

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300年に渡って毎日線香の煙に燻されて顔が真っ黒になった御神体の媽祖像。

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他の町から里帰りしてきた媽祖像。鹿港ではこういった光景をよく見かける。

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ノスタルジックなテーマレストラン「童年往時」。

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店内至るところに古い映画ポスターや看板が飾ってある。

2004年11月04日

台中県梧棲→彰化県伸港 「兵役」と「替代役」 Stinky Road&Dangerous Bridge

朝6時半、ガサゴソという音で目が覚めた。「ゴメンゴメン。起こしちゃったね。まだ寝てていいんだよ。」2段ベッドの上に寝ていた頼さんが気まずそうに僕の顔を覗き込む。昨晩は梧棲小学校の守衛室に泊めてもらったのだ。頼さんは「替代役」として梧棲小学校に勤めている。台湾では男性の場合20歳になると1年8ヶ月の兵役の義務があるのだが、軍務に就く以外に「替代役」と呼ばれる兵役外の奉仕活動に就く場合もある。学校や刑務所などで守衛として働いたり、警察や消防