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●前回までのあらすじ
我が輩はミオである。作家のはしくれだ。年齢は43歳。最近、ネットで遊ぶことを覚えてしまった。「一日恋人」と称して、デートした相手は、サイトで知り合った、20歳年下の大学生・ゾラ。一日で終わるはずの関係が、いつしか本物の恋人同士になって……。
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「第20話 ちいさな別れ」
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「これ、だめ」
ゾラは、私が長い時間かかって書いた履歴書を、ちらっと見て突き返した。
「なに?この経歴」
なにって言われても――――。
「それが私の、職歴だから」
「フツーに働いたこと、ないの?」
長かった夏休みは終わり、ゾラはアルバイトをしながら、また大学に通い始めていた。私はというと、著述業を再開するタイミングをつかめないまま、アルバイトの面接を受け続けている。落ちた面接は、ついに30を越えた。家賃は半年間、滞納していた。
「やめたほうがいいよ、こういう書きかた」
ゾラの住む早稲田の寮は、秋の気配が色濃く、カーテンのない窓に、紅葉の葉影が映る。
「だって、事実なんだもの」
「事実だとしても……ほら、ふざけてると思われるから」
今は身の回りの「お宝」を、ネットオークションで売って、食いつないでいた。和装用品、ヴィンテージトイ、アメリカ雑貨、絶版本、レアな昔のアイドル雑誌、ゲームデータ――――こういう事態になるのなら、2ケ月前に私を捜しに来た編集者の原稿を、無収入のまま書き始めればよかったのだ。そうすれば今頃、まとまった原稿料が入ってきて、次の作品も書け、元の暮らしに戻れたのに。
ゾラは、吸い殻であふれそうな灰皿にタバコをぎゅっ、と押しつけ、2本目に火をつけた。当たり障りのない履歴書の書き方を教えながら、私のダメっぷりを、どこかで楽しんでいるような気もする。
「嘘つきたくないっていっても、たかだかバイトだろ。向こうはそんな濃密な関係、望んでねぇって」
毛穴が目立っていたゾラの肌は、最近、引き締まってきた。家の中にいるだけの日でも、整髪料で髪をかっこよく整える余裕がでてきた。昨日の英語の試験の評価で、パーフェクトをとったという彼の横顔は、オスとしての自信を取り戻しはじめ、生き生きと輝いていた。
たとえばさ――――と、言いながらゾラは、大学ノートの余白に『輸入雑貨店勤務、自家培煎珈琲店店員』と、書いた。
「こんなふうに書いておけば、同じ『落ちる』にしても、履歴書の書き方が原因じゃなくなるから、大丈夫だよ」
へんな励まし方――――。
「でも」と、私は言った。
「もし、その仕事のこと、突っ込まれたら、ちゃんと答えられる自信ない。結局、ごめんなさい、嘘ついてましたって、言わなきゃいけなくなりそう」
私の顔をじーっと見ていたゾラが、ためいきと一緒に、タバコのけむりを吐き出した。
「もう働くの、やめたら?」
そのひとことは、哀しい力を持っていた。私は、茫然となった。
「死ねっていうワケ?」
ゾラの顔が、最後まで私の根幹を否定し続けた元彼と、きれいに重なった。
「誰もそんなこと、言ってねぇし」
まばたきをした途端、ずっと目の中にためこんでいた涙が、うっかりはみ出した。ぱたん、と、大きな音をたて、それは書きかけの履歴書の上に落ちた。
「あー、泣いてる」
ゾラは私を指さし、笑い出した。
バカにされた。私は、敷きっ放しの布団に倒れ込み、わーっと泣き出した。
「私、この先、生きてけないかもしれない」
ゾラは「えーへへー」と、ほくそ笑みながら、私の布団に近づいてきた。しくしく泣いている私のスカートを、頭の上までめくり上げると、このボケが。と、言った。
「俺が、働くってことだよ」
お尻をぺちっと叩かれた。
「作品だけ書いてなさい、ってこと」
ワンテンポ遅れて、ゾラの真意を飲み込んだ私は、
「ほんとっ?」
と、飛び起きた。今まで考えてもみなかった選択肢が、この世にいきなり出現した。叶ったとしたら、天国だ。
ゾラは、得々と言った。
「俺を、年金代わりと思ってくれよ」
年金か――――。
喜ばせられてくやしいので、私は、冷ややかに返した。
「じゃあ、アテにならないね」
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翌朝、巨大なクモが寮の廊下を徘徊する夢にうなされ、私は目覚めた。
ごそっ、かさっ、がしゃがしゃがしゃ。
頭の隣には、こたつテーブルがあって、夢の中で聞いたクモの足音がしている。なんの音かと思いきや、ゾラが出の悪いボールペンを握りしめ、猛スピードで履歴書を書いている音だった。
そういえば今日、バイトの面接受けに行くとか言ってたな――――。
まだ寝たふりをしながら私は、ゾラの死にもの狂いの形相を、下から観察していた。面接の出発直前に、履歴書を殴り書きする人。不思議な光景だった。
「平成7年……いや、8年か……」
なにかぶつぶつ言っている。なんでゆうべのうちに、やっておかなかったのだろう。私はふとんに横になったまま、ゾラの一部始終をしげしげと眺めていた。
ゾラが面接に行ったので、年金の話を自慢しようと思い、母に電話をかけた。
――――「今日も面接行ったの?ハンサムさんって、頼もしい子ね」
母はひと通り喜んだあと、触られたくないほうの話題に食いついてきた。
――――「あんた、昔から仕事断られてたでしょ。歳だけのせいじゃないと思うよ」
やっぱり?
――――「あんた、違和感があるからね。存在感っていうほど、いいものじゃなくて。あれに似てる。ほら、アレよアレ」
あれじゃわからんよ。
先にくる言葉を考えていると、母は爽やかな声で「口内炎」と、言った。
――――「あるとき口の中が、変な感じになって」
もう、いいです。
――――「忙しいのに、存在を主張してきて。邪魔されるんだよねぇ」
無能扱いされ、憤慨した私は、自分がいかに作業の飲み込みが早いかを、話しはじめた。
「私、巫女さんのバイトしたことあったでしょ?」
――――「あった、あった。真っ赤な袴に憧れてエントリーしたのに、裏方段階でクビになったやつだよね?」
巫女さんになる女は、年越し前に神社の中の掃除をしたり、瓶に御神酒を詰めたり、羽魔矢を作る作業を一週間くらいさせられる。羽魔矢のノルマは、一日ひとり800本だった。
「私、2000本も作ったのよ」
出来は完璧。余裕で、他の人のぶんも手伝ったりしていた。それなのに私は、クビになった。
「運が悪いっていうか。たまたま休憩してるときに限って、婦長さんが見回りに来るの」
――――「あんた、バカだねぇ。リーダーが見回りに来たときは、忙しそうなフリしなきゃいけないのよ。リーダーの機嫌損ねちゃだめよ」
そうか――――。
仕事のことしか、考えてなかった。
――――「あんたの立ち回りの下手さ加減は、親譲りだよ。あたしもね、バイトらしく振る舞うのがヘタだったからさ」
母の言葉は、ひどく腑に落ちた。
バイトらしい、振る舞い。
年齢制限は、そのためにあるのだろうか。
世の中は、難しい。
「でもあんたには、ゾラ年金があるから。よかったねぇ、いいひとが現れて」
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ところが、年金が夜中に突然、騒ぎだした。
「明日バイトなのに、ネクタイがない」
モデルルームの、案内人。ビジネススーツスタイルで、プラカードを持って路肩に立つバイトらしい。格好が仕事みたいなものだ。
「ビジュアル系のバンドやってる友達に借りるつもりだったんだけど、ライブの打ち上げやってるみたいで、朝まで、捕まんなさそう」
ねぇねぇっ――――。
事態の割に、ゾラはさほど深刻でもない表情で、言った。
「持ってないよね?」
私は、呆れ果てていた。
「持ってるわけないじゃない」
今、夜中の1時だ。バイトは朝の7時に出発しないと、間に合わない。
「なんで、昨日のうちに用意しておかなかったの?」
ゾラという生物の特徴が、またひとつ解明された。ぎりぎり直前になって、準備を始めることを好む。
「ネクタイに似たものって、なんかあったかなぁ」
ゾラが背中を丸め、部屋のあちこちを漁りはじめたので、私は胸騒ぎをおぼえた。
「着ていく予定のスーツ、見せて」
ゾラが指さす方向の壁に、カバーをかけたスーツがぶら下がっていた。開けてみたが、まともなスーツだった。
「靴は皮靴に見える、黒のスニーカー」
「見せて」
一階に降りると、この寮に住む学生たちの靴が突っ込まれている、大きなげた箱があった。ゾラの言うスニーカーは、ちっとも皮靴に見えなかった。
「俺には、皮靴に見えるんだけどなぁ」
「あなたが近眼だからでしょ」
「人の目は、プラカードに集中するから」
「いや、目立ちますって」
誰かの靴を拝借しようにも、スニーカーかスリッパしかない。しかも、こんな時間だ。
「そろそろ、寝なきゃいけないしなー」
呆れ続けて、思考が停止しはじめた私は、二階の部屋に戻って、画家の女ともだちの携帯に電話をした。
「そうよ、靴。描いてくれないかしら?」
キャンバスは、人間の足よ。
隣でゾラが、おいおい、と、言った。
「断られちゃった」
ワラジなら描けるけど、って。
ビジネスシューズの場合は、つま先の処理が難しいらしい。リアルに見せるには、あらかじめパテでつま先をひとつにまとめたりして、下地を作らなければいけない。私の頭の中は、ゾラにちゃんとした靴を履かせたい思いでいっぱいだった。
私の説明を、呆れ顔で聞いていたゾラが、ついに口を開いた。
「なに考えてんの?」
ゾラは、憤慨しながら言った。
「ミオは俺が、絵も描けないし工作もできないロクデナシだと、思ってるんだろう」
あ、そっちか。
じゃあ描いて。と、紙を差し出し、
「お題は、鳥」
と、言うと、ゾラは少し考えて、鳥の絵をさらさらと書いた。
「足が、4本あるわよ」
カーン、失格――――。
ていうか。こんなことしてる場合じゃないかも。ゾラは本格的にあわてだした。
「今から、歩きで新宿のドン・キホーテに行けば、ネクタイも靴も、手に入るんだけど」
お金がない。
ゾラは私の目を、じっと見つめた。
「私から借りないでよ」
「俺は年金だって言ったでしょ、将来返ってくるんだから、少し先行投資してよ」
「ふたこと目には、俺は年金。あやしいわねぇ。おれおれ年金って呼んじゃうよ」
私は畳の上で、財布を逆さに振ってみせた。
「ただいまの所持金、52円。カップラーメンのハーフサイズも買えないわね」
「次は、いつお金入ってくるのかな?」
「それは私にとって、最大の謎ね。ネットオークションに出品してる商品が、売れてくれれば……」
「ここまで金のないおばさん、初めて」
「おばさんて言ったな!」
「いいじゃん、おば萌えなんだから」
そういえば、と、私は言った。
「おサイフケータイの中に、千円入ってる」
朝がきてゾラは、私がコンビニで買ってあげたネクタイをしめ、ビジネススーツのズボンの下に、黒のロングブーツを履いて、バイトに向かった。
「うん、そっちのほうがよっぽど、皮靴に見えるよ」
「脱ぐとこ見られたら、マヌケだけどね」
初めて見たゾラのスーツ姿は、凛々しかった。
「社会人、って感じね」
高田馬場駅まで見送りに来てしまった私の髪を、ゾラはやさしく撫でながら言った。
「少しくらいの蓄えは、持っておきなちゃいよ」
はい――――。
ゾラも私も、のんびりした性格だ。よく今まで、殺伐とした東京なんかに、暮らして来られたものだと思う。
「終わったら、メールするから。日払で結構入るから、帰りに焼きトンでも食おうぜ」
ずっとつないでいた手が、離れた。
人でごった返す改札をくぐり、ホームへと続く階段を、早足で駆け上がるゾラ。消えていった後ろ姿に、青い魚の残像が残った。
どうか、これきりになりませんように。
こんなにちいさな別れでも、願いたくなる気持ち。手のひらに残るゾラのぬくもりを、私はぎゅっと、握りしめた。
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(前編/終)
PHOTO/ICHI
末永直海
ILLUSTRATION/松剛
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本連載は後編を加え、2007年に牧野出版より刊行の予定です。乞うご期待!!!
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2006年10月27日更新
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●PROFILE●
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末永直海(すえなが・なおみ)
1962年福岡県北九州市生まれ。名もなき歌手として、全国各地の神社やキャバレー、健康センターを廻りおひねりで暮らす生活や、さまざまな職歴を経たのち、処女作『薔薇の鬼ごっこ』で96年第三回蓮如賞優秀賞を受賞しプロデビュー。受賞第一作『百円シンガー極楽天使』が2002年、文化庁選出の海外輸出小説、明治〜平成27作品に漱石・一葉等とともに選出される。
【公式HP】 http://naomist.com
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