パブリディ
カレンダーボーイ1963

第5話 「パチンコ」


  昼間のうちに用意しておいたリュックを抱えて、窓をそっと開けて外に出る。誰にも見つからないように小道や裏通りを小走りに走って、タケちゃんと待ち合わせた近世橋の下まで行った。ここから佐藤先生の家は目と鼻の先だ。
「イッチ!」
  橋の下の暗がりから声がした。タケちゃんだ。
「お待たせ」
「大丈夫だったか?」
「うん」
「オマエんところの父ちゃん母ちゃんまだ起きてるだろ?」
「姉さんに頼んできたから」
「姉ちゃんに?」
  同じ部屋でしかも二段ベッドに寝ているんだから抜け出すにはどうしても姉の協力が必要になる。悩まないでここは素直にお願いすることにしたんだ。
「なんて」
「どうしても、タケちゃんと二人で行かなきゃならないところがあるって」
「それで済んだのか?!」
「うん」
  姉とぼくの間には、何というか信頼関係があった。お互いにお互いのことはわかっている。どんなに突拍子もないことを言ってもお互いに受け入れることができた。それは昔からだった。だから、優等生の姉が実は漫画家を目指していて、父さん母さんに隠れて漫画を書いているのもぼくだけが知っていた秘密だ。姉さんが一人で部屋に籠もっているときには、父さんか母さんが部屋に行きそうになるとすぐにぼくが邪魔したり、話しかけたりしたりしてた。
「そうだったのか。オマエの姉さん、一時期めちゃ売れたもな」
「うん」
  大学時代にデビューした姉は、人気漫画家になった。低迷した時期もあったし筆を折った時期もあったけど、今は大ベテランとしてほとんど趣味のように描いている。おかげでもぼくは今も少女マンガに詳しくて、それで一冊本を書いたこともある。
「行こう。そろそろ時間だよ」
  おじいちゃんに貰ったセイコーの腕時計をぼくは見た。夜光塗料が塗ってあって暗いところでも時間がわかる。この時代、腕時計を持ってる子供なんか居なくて、持っていても大抵はお父さんやおじいちゃんのお古だったし、普段つけることなんかない。
「十一時半頃だったな?」
「そう」
  二○○六年のときに確かめておいた。佐藤先生の家の火事。本当なら明日から佐藤先生は一ヶ月ぐらい休んでいた。幸い家族に死人も重傷者も出なかったけど、一緒に焼けてしまった近所の家も二軒あった。大変な事態だ。
  タケちゃんもぼくも目立たないように黒っぽい服を着てきた。不審火なので必ず火を点けた犯人がいるはずだ。どうやってそれを阻止するか。タケちゃんと考えたのは、シンプルかつ効果的な作戦。犯人を見つけたらとにかく騒ぐ。佐藤先生やご近所の人が目を覚ましてしまうぐらい。騒ぐだけ騒いだら逃げる。見つかったらぼくたちが不審がられる。
「持ってきた?」
「当然」
  タケちゃんがニイッと笑ってリュックから出してきたのは、お鍋とお玉。ぼくが持ってきたのはパチンコとビー玉。
  犯人が火を点けようとした瞬間に足が速くてすばしっこいタケちゃんはお玉でお鍋を叩きまくって家の周りを駆け巡る。ぼくは少し離れたところから、佐藤先生の家のトイレの窓をパチンコでビー玉を飛ばして割る。ガラス代はかかるけど、火事になるよりはるかにましだろうという判断。
  ここまでは誰にも会わずに来れたけど、問題はここから先。誰かに会って、子供が何しているんだ、なんて騒がれたら一巻の終わり。ただ、今は一九六八年でしかもここは札幌だ。空き地も多いし住宅と住宅の間も割りと空きが多い。隠れながら歩くのは、今より、つまり二○○六年より楽かもしれないと、隠れながら走りながらこそこそと話していた。
「街灯も少ないよな」
「そうだね」
  こんなに暗いとは思っていなかった。もっとも五年生の頃にこんな時間に外を歩いたことは滅多にない。
「あそこだ」
  前にも来たことがある佐藤先生の家。道順は迷わなかった。しっかりと記憶の中に残っている。
「どこに隠れるかな?」
「うん」
  トタン屋根の一軒家。今見ると、つまり二○○六年の感覚で見ると本当に〈木の家〉だ。外壁が木材そのもの。外壁材なんて言葉の欠けらもなかったんだろう。いや、あったのかもしれないけど、まだまだ一般住宅はこんなものだったんだ。
「火元はどこだったっけ?」
「トイレのところ」
  家の裏側だった。当然のように汲み取り式のトイレは家から少しでっぱった形で作られていて、小さな窓がついている。
「あそこを見張れて、向こうから見られない場所」
  二人でぐるっと見回した。
「あそこだ」
  郵便ポストの陰。もちろんあの丸くて赤い奴。ちょうどいいことにすぐ側に電柱も立っていて、この小さい身体なら充分に隠れられる。
「イッチ」
「なに?」
「大丈夫か? 緊張してないか?」
「うん」
  全然大丈夫だった。身体は子供でも心は大人。そう言うとタケちゃんは笑った。
「なんだかそんなアニメがあったな」
「そうだね」
  しっ、というタケちゃんの声が聞こえて思わず身体をすくめた。佐藤先生の家の方を見ると、トイレの付近で何かの陰が動いた。
「行くぞ」
  タケちゃんのささやきに頷いて、そっと動き出した。タケちゃんがすすすっと動いて庭の木に陰に隠れる。今のタケちゃんからは想像できないぐらい素早い動き。ぼくはそこから少し離れて、パチンコを取り出してビー玉をつかんで準備をした。
  タケちゃんが、犯人が火を点けるのを、つまりマッチかなんかを擦ったのが見えた瞬間に騒ぐ手筈。そしてぼくはパチンコでビー玉を飛ばす。こんなものを持ったのは何十年ぶりかなんだけど、それは意識の方であって身体は覚えている。ぼくのパチンコはクラスの誰よりも命中率が良かったんだ。
「火事だー!」
  タケちゃんの大声の後におたまで鍋を叩く音が響いた。黒い影がトイレの付近で驚くように立ち上がるのが見えて、ぼくはすかさずパチンコを発射した。ガシャン! と派手な音を立ててトイレの窓ガラスが割れる。タケちゃんは走り出して「火事だ!」と叫んでいる。佐藤先生の家の電気が点いた。ぼくも走りだして、タケちゃんの後を追おうとしたけど、黒い影が逃げ出すのを見て、ポケットから予備のビー玉を取り出した。狙いをつける。発射する。
  悲鳴が聞こえた。黒い影が頭を抱えて派手に転んだ。痛いと思う。何せビー玉だ。怪我をしたかもしれないけど、おもちゃのパチンコで飛ばしたぐらいじゃ命に係わることにはならないだろう。
「やったか!」
  タケちゃんと合流して、そのままぼくたちは笑いながら走っていったんだ。

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