パブリディ
カレンダーボーイ1963

第43話 「初雪」


  いつもより少し遅かったんだけど、初雪が降った。
  二、三日前に朝、学校に行くときに〈雪の匂い〉がしていたから、きっともうすぐ雪が降るんだろうなぁって皆で話していたんだ。
  そうしたら、今日、三時間目の国語の時間にふと外を見たら雪が降りだしていた。誰かが「雪だ」って小さい声で言ったら、クラス中のみんながいっせいに外を見て、雪だ雪だって声があちこちから聞こえてきた。
  先生も、パタンと教科書を置いて「初雪か」って言いながら外を眺めていた。それから「積もるかもなぁ」ってみんなを見て言った。
「帰り道、調子に乗って雪遊びとかしてたら風邪引くからな。帰ってから、ちゃんとそういう格好をしてから遊べよ」
  みんなが「はーい」といっせいに答えた。やっぱりぼくたちは雪国の子供だ。雪が降っているのを見ると、うずうずしてくる。この感覚は東京に出てからの二十数年間に、いやそれ以前に大人になってしまって、忘れてしまったものだと思う。
  風邪をひいて二日学校を休んでいたタケちゃんが今日は出てきた。あたりまえだけど、こっちで風邪をひいても現代ではなんともない。その感覚はなんか変な感じだ。
  あぁ見えてタケちゃんはけっこう風邪をひくんだ。冬の間はしょっちゅう鼻をグズグズさせていたし、お医者さんにもよく行っていた。
「注射はやだよなー。あれは本当にイヤだ」
  今回もタケちゃんはお尻に注射をうたれていた。この時代、風邪をひくイコールお尻に注射をうたれるだった。いったい何の薬をうたれていたのかわからないけど、とにかくお尻に注射があたりまえ。点滴を打たれるなんてことは、一回もなかったんだ。だから、現代で子供ができて、病院に行って何かというと点滴を打たれているのに、最初は違和感を感じたっけ。

  家に帰ると、手紙が来てたよ、と母さんが言った。手紙。二階に駆け上がって机の上を見ると、見慣れた文字がそこにあった。
  里美ちゃんからの手紙。
  東京に行ってしまった里美ちゃんからは、一ヶ月に一回か二回か、多いときには三回ぐらい手紙が来た。大抵はクラスであった出来事なんかが書かれていて、ぼくは里美ちゃんの東京の学校の友達もすっかり覚えてしまったぐらいだ。

〈充くん、元気ですか。私は元気です。
  もう初雪は降りましたか。新聞で山には初雪が降ったって書いてあったけど、町に降ったかどうかは書いてありません。
  この間、従妹のさっちゃんの誕生日パーティをしました。お祝いに何をあげようかってお母さんと話して、毛糸で手袋編んであげることにしました……〉

  いつものように、里美ちゃんのきれいな字で近況が綴られていく。ずっと、こうだったんだ。何も変わっていない。ぼくの記憶にあるのも、こうだった。
  そして、あと一ヶ月ぐらいして、突然に里美ちゃんの死を知らされたんだ。
  そのことを思い出すと、思わず首を横に振ってしまう。きっと今のぼくの顔は、妙に大人びた顔をしているはずだ。苦悩の表情を浮かべているはずだ。
  かたん、と音がして襖が開いた。
「ただいま」
「お帰り」
  姉さんが帰ってきた。ぼくが手紙を持っているのを見て、ニコッと笑った。
「里美ちゃんから?」
「うん」
  姉さんの机はすっかり様変わりした。隠れて描いていた漫画が大っぴらに描けるようになったので、机も板を置いて大きくしたし、すっかり漫画家みたいな感じだ。
  もちろん、これも〈変化〉だ。この変化が現代にどういう影響を与えたのかはまだわからない。ざっと確認してみたけど、姉さんの漫画はデビューの時期こそ早まったけど、ぼくが知らない漫画があったりしてはいない。
  だから、今のところ単にデビューの時期が早まった、っていうことだけになっている。
「あのね?」
  制服を脱いでセーターとスカートに着替えた姉さんが、椅子に座ってくるりと回って僕を見た。
「なに?」
「言いたくなかったらいいんだけど」
「うん」
「里美ちゃんに、何かがあるの?」
  姉さんの顔が真剣だった。
「どうして?」
  姉さんが、少し眉間に皺を寄せた。どう言おうか考えているみたいだった。
「私ね」
「うん」
「夢を見たの」
「夢?」
  こくんと頷いた。それから、苦笑いした。
「里美ちゃんが、引っ越しの挨拶に来た日があったでしょ?」
「うん」
「あの日の夜なの。夢を見て、そこで、みーちゃんが泣いていたの」
「僕が」
  目が覚めて、どうしてそんな夢を見たんだろうって考えていた。きっと里美ちゃんが転校していって、みーちゃん淋しいだろうなって考えて、そんな夢を見たんだろうなって思った。それはそれで、終わった。
「でも、さっき、みーちゃんが手紙を持っているのを見て、思い出したんだ」
「なにを?」
「夢の中で、みーちゃんは手紙を持って泣いていたの。それも、悲しくて泣いている顔じゃなくて、悔しくて悔しくて泣いている顔。今まで見たこともないような泣き顔だったなって、さっき急に思い出して」
  そんな夢を。
「だから、里美ちゃんになんかあったのかなぁって」
  今は、言えない。どんなことがあっても。
「何もないよ?」
  ぼくはわざと明るく笑って、手紙を差し出した。
「普通の手紙だよ? 読んでみる?」
  姉さんは笑って手を振った。何もないなら、それでいい。
「印象に残る夢だったから」
「うん」
  それはきっと、一ヶ月ぐらい後の、ぼくだ。四十八歳のぼくがここに来る前の、ぼく。里美ちゃんが死んでしまったの知って、自分に届いた手紙がどんなに重要な手紙だったかを子供心に察して、どうして里美ちゃんを救えなかったのか泣いていた、ぼくだ。
  姉さんはきっと、その豊かな感受性で何かを感じ取ったのかもしれない。
  でも、それは、どっちを感じ取ったのだろうって考えた。
  ぼくの心の中にある後悔を、記憶を感じ取ったんだろうか。それとも。
  これから起こる未来を、また防げなかった悲劇に泣いているぼくを、見たんだろうか。


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