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第49話 「そのことだけを」ガンガンをこの辺りで見なくなってずいぶん経つ。もちろんいなくなったわけじゃなくて、ぼくとタケちゃんと一緒に東京へ行くためにあれこれ準備をしていて、そうなるといつまでも浮浪者のままでもいられないって言っていた。 東京に出発するまで、あと一週間もない。 すっかり雪が積もって根雪になって、ぼくたちは冬の生活を満喫していた。学校の体育の時間はほとんど全部スキー学習の時間になるし、昼休みには雪が積もったグラウンドで雪合戦したり雪サッカーをやったり。教室のストーブの前にはみんなのてぶくろが干してある。うっかりすると焦げちゃうこともあるから大変だ。 ときどきだけど、体育の授業がその日の最後の授業のことがあって、そんなときはスキーを履いたまんま家まで帰ることもある。もちろんここは札幌だからそんなにド田舎じゃない。道路では普通に車が走っているけど、この時代はまだまだ交通量も少なかった。それに学校から家までのルートは住宅街だからほとんど車通りもない。スキーを履いてスーッと滑りながら帰っても怒られることはなかったんだ。 そうそう、この頃のスキーはまだ今みたいなビンディングなんてものもなかった。ぼくらは〈カンダハ〉と呼んでいたけど、ワイヤーでスキー靴を板に固定するタイプのものだった。ポールだってストックと呼んでいたし、それが竹製のものを使っていたこともある。シーズンになって物置からそれを出してきたときには思わず「懐かしい!」と叫びそうになったんだ。 東京には雪がないんだよなぁって思う。こんなにも違う生活なのに、毎日毎日ぼくとタケちゃんはその二つの生活を繰り返している。今頃、東京にいる里美ちゃんはどんなことをしてるんだろうか。手紙には雪がなくて淋しいって書いてあったこともある。 タケちゃんが里美ちゃんが現代で生きているかもしれないって、ミドリちゃんから聞いたけど、その後に調べてみても里美ちゃん一家の消息はわからなかった。新聞記事を検索しても探しても里美ちゃん一家の心中事件の記事が見つからなかった。 何かが変わってきているんだ。確実に。 でも、それ以上のことを調べるのはやめようってタケちゃんと話して決めたんだ。 「どっちみち、三億円が必要であることには変わりないんだし」 「でもよ、里美ちゃん一家の件は」 「もし、何かが〈変化〉してしまって、三億円事件に里美ちゃん一家が関わりなくなってしまったんだとしたら、それはそれでいいんじゃない?」 「まぁ、そりゃそうだ」 「現場に行って、一家心中がなくなって、里美ちゃん一家が幸せに暮らしているんだったら、それで帰ってくればいいんだよ」 そういうふうに話し合ったけど、タケちゃんには言わなかったけどぼくは確信していた。そんなはずはないって。 間違いなく、この世界では、里美ちゃん一家の心中事件は起こるはずなんだ。現代でミドリちゃんが会ったという里美ちゃんの件は、もちろん本当のところは確認してみないとわからないけど、なんとなくそうじゃないかっていう見当はついているんだ。タケちゃんは気づいてないみたいだけど。 タケちゃん。 タケちゃんは、何事もなくそのまま頑張ってほしいと思ってる。ぼくが現代で大学で気持ちよく仕事ができるのもタケちゃんのおかげだ。裏表がなくて、本当にいい奴のタケちゃん。理事長の犠牲になってタケちゃんの家族がどうにかなってしまうのなんて、とんでもないことだ。 だから、三億円はなんとしても手に入れなきゃならない。現代へ、あの世界へ残さなきゃならない。 こっそり、ぼくは準備を少しずつしていた。東京へ向かうための準備だ。もちろん現代で、二○○六年の時点では出張なんてざらにあるから、直前になってからの荷造りは得意だ。最小限必要と思われるものだけを、なるべく小さくまとまるようにして持っていく。 ぼくらにとって東京の冬は寒くもなんともない。いや、現代の段階ではすっかり東京の気温に慣れてしまって寒いんだけど、きっとこの子供時代の感覚では東京は暑いぐらいのはずだ。だから、分厚くなってしまう冬物の服はいらないから助かる。二日分の下着や服だけを持っていく。歯ブラシやそういうものは東京で買う。 スキー授業で使うナップサックをそのまま使おうと思っていた。自分の部屋に置いてあるから準備をしていても母さんは怪しむことはない。 重要なのは、資料。 何もかもを理解しているのはぼくだけだ。それはもちろん東京に着いたらタケちゃんとガンガンにはきちんと説明するけれど、三億円事件の当日、十二月十日、どうやって動いてどうやって三億円を奪って、そしてそれをどこに隠しておくか。 そして、里美ちゃん一家が心中する十二月十三日。どこでどうやってそれを止めるか、止めた後どうするか、そこにいったいどんな人物が関わってくるのか。 そういうことを、きちんとわかるようにしておかなきゃならない。 でも、ムズカシイのは紙で残す物と残さない物、後で焼いてしまわないとダメなもの。そういうこともちゃんと考えながら、ぼくは資料を作っていた。東京の地図を拡げながら。「みーちゃん」 「なに?」 振り返ると姉さんがこっちを見ていた。 「東京では、佐久間さんに会うの?」 ぼくたちと同じだけど、そのままこの時代にずっと残ってしまった佐久間さん。 実は佐久間さんのことを調べてみた。佐久間さんは確かに二○○一年の時点で、ぼくたちと同じ現代にいた。そこで精神だけがこっちの世界へ来てしまった。 じゃあ、二○○六年の段階で、佐久間さんはいったいどうしているのか? 佐久間さんはそのことは知りたくないから教えてくれるなと言った。だから、結果を知らせてはいない。 佐久間さんは、二○○六年の時代で、存在している。死んだり消えたりしていない。 もちろん細かいことはわからないんだ。そこまで調べることはしていないし、探偵でも雇ったり、あるいは直接会ってみたりしないとわからないけど、少なくとも姉さんの担当編集者だったという記憶も事実もそのままだ。 姉さんのデビューは十二月に決まっている。ぼくたちが東京にいる間に、姉さんのデビュー作が載るマンガ雑誌が発売される。 そのとき、二○○六年の段階で歴史はどう変わるのか、それをぼくは確かめられるかどうか、まだ何もわからない。 「たぶん、会うと思うよ」 「何か、手伝ってもらうの?」 「少しだけ、協力してもらう」 姉さんは小さくうなずいた。 「よろしく言っておいてね」 「うん」 あと一週間。 ぼくはこの家に帰ってこられるんだろうか。 姉さんと一緒に、またこの部屋で過ごせるんだろうか。 いろいろあるけど、ぼくは、ただ、里美ちゃんをこの時代で救うことだけを考えている。そのことだけを。 そのことだけなんだ。今のぼくには。 >> 前のページに戻る ![]() |
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