パブリディ
カレンダーボーイ1963

第2話 「一夜の夢」


  目覚めると、雨が降っているのがわかった。
  天窓がついているこの部屋は雨が降るとその音がよく聞こえる。最初は慣れなかったけど今じゃ逆に心地よいぐらいだ。
  自分の寝室だった。書斎兼寝室。
  無意識に最初にした行動が机の上に置いてある携帯電話を取り上げることだった。ディスプレイには〈十五(木)〉の文字。なんでだかホッとため息が出た。携帯電話もある。ここは俺の部屋だ。そして今日は昨日の続きの六月十五日だ。
「やっぱ夢だったか」
  なんてぇリアルな夢だ。ベッドに座ったまま頭を振った。どこかが痛いとかそういうのもない。目覚めは相変わらず良い。
「イッチかぁ」
  笑っちまった。あの頃の三都と今の三都の顔がほとんど変わっていないことに改めて気づいて、成長しねぇ奴だと毒づいてまた笑った。手にしてた携帯を見る。時刻は午前七時十五分。いつもの起きる時間だ。
  下りると台所で朝食の支度をしている奈美枝の姿が台所にある。未歩はもう席についていてパクパクと朝ご飯を食べていた。
「おはよう父さん」
「随分早いなお前」
  へへぇ、と未歩が笑う。ディズニーランドに行くんですって、と奈美枝が苦笑しながら言う。ディズニーランドって。
「今日は平日だぞ。講義があるだろ?」
「自主休講です」
  授業料を出している父親を、しかも当の大学の職員を眼の前にしていけしゃあしゃあと言う。やれやれと頭を振ってため息をつく。俺は頭の堅い頑固オヤジじゃないし、未歩が厚顔無恥な若者じゃないのもわかっている。特別な理由があるんだろう。
「和臣くんが帰ってきてるのか」
「そうでーす」
  中学時代からずっと付き合っている彼氏で気の良い青年だ。二年先輩で今はもう社会人として働いている。平日にしか休みが取れなくてしかも今は地方の支社にいるために遠距離恋愛ってやつ。
  娘を持つ男親として、気心の知れた性格の良い若者が娘の彼氏だってのは、まぁ安心だ。どっちみち誰かに取られるんならよく知ってる男の方がいい。和臣くんはあの頃から紳士的で良い子だった。そう、どっちかと言やぁそれこそ三都に似たタイプだ。優等生で優しくて良い子。まぁ顔はイケメンなんて口が裂けても言えないが、そんなのはどうでもいいさ。安心できるってことが一番だ。

  今日二限目から分科会の会議が入っていて出席しなきゃならない。そういえば会議には三都も出席するだろうと思ったらおかしくなってきて、電車の中で一人含み笑いをしていた。端で見ている人がいたら気持ち悪かっただろうな。
  話をしてやろうと思っていた。あの妙にリアルな夢を。あまりにもリアルすぎて昨日確かに俺と三都は小学校五年生だったんじゃないかと。いや、昨日じゃないか。そういえば日付まではっきり覚えているな。六月十五日だと夢の中で確認したんだった。
「今日をもう一回やりなおすってわけか」
  違うのは年代。あの当時は一九六八年。
  遠い昔になっちまった。そう思うと小さなため息が出た。どんな小学生だったかな。そう、やんちゃだった。それは今も変わらないかもしれんが。とにかくやんちゃだった。親なんかは何度も学校に呼び出されていたな。
  そう、夢の中にはオヤジやおふくろもいた。妹の瞳もいた。あの頃の懐かしい家の中に皆が揃っていたな。

  分科会の会場の設営は若いのにまかせてあるから、俺はただ資料を持って行けばいい。取りあえず煙草を吸うために中庭に向かった。
  開校以来建替えてない古くさい文学部のある棟の第三会議場に面した小さな中庭はこの学校で唯一、煙草が吸える喫煙所だ。なんの酔狂だか樹齢何百年とかいう大木を中心に置いているし入り組んだ校舎の奥なもんで中庭以外に使い道がない。もちろん灰皿が設置されて嫌味のつもりか消火器まで置いてある。学生の利用は基本的にはできない。
  少し早めに行ったのは、たぶん三都がいるだろうと思ったからだ。最近じゃ数少なくなってきた喫煙派。案の定、ベンチに座って煙草を吹かしている細っこい姿が見えた。いやぁこうして見ると、本当にあいつは体形も何もかも変わっていない。
「よぉ」
  互いに手を軽く上げる。よっこらしょっと声を出して隣に座る。こちとら小学生の頃から比べると大分横に大きくなっちまった。
「安斎」
「おぉ」
「お前、変わってないな」
  びっくりした。なんだそのシンクロした感想は。
「何がだ」
  三都は少し笑っている。
「いや、佇まいと言うか、雰囲気と言うか」
「変わってないって、どういうことだ」
「昨夜変な夢をみたんだ。小学校の頃の夢なんだけど、妙にリアルでね」
  思わず立ち上がっちまった。びっくりして、三都の顔を見つめた。その途端に三都も何かを察したらしく口をパカッと開けて俺を見つめた。
「まさか」
「お前」
「お前も、夢を見たのか?!」
  同時に同じ台詞を言っちまった。

「まて、落ち着け」
「落ち着いているよ。お前こそ煙草が逆だ」
「おお」
  もう一度座り直して、周りを見た。誰もいない。まだ会議が始まるには時間がある。
「訊くぞ? いいか?」
「どうぞ」
  まったく落ち着いてやがる。そう、こいつはいつもそうなんだ。憎たらしいぐらい冷静沈着。
「お前も夢を見たんだな?」
「見た。小学校五年生のお前と学校で会った」
「俺もだ。佐藤先生を見て飛び上がっちまったよな? 二人で」
「あぁ」
「二人で屋上に行ったよな?」
「行った。そして二人で一緒に帰ったな。あの橋の上でタイムトラベルの話をした」
「なんてこった!」
  夢じゃなかったのか? いやそんなことがあるのか?

  会議どころじゃなくなっちまったけど、出ないわけにもいかない。だらだらと続くどうでもいいような内容の会議はいつも三都の皮肉で終わる。もう少しなんとかならないかと。三都は旧態依然とした学内派閥の中では改革派だ。いや派閥というものにあいつは属さない。そう、それも変わってねぇよな。孤高の紳士ってやつだ。俺だってどっちかと言えばアウトローな性格だ。だからこそあの頃は仲が良かったんだ。
  今の大学の状況は学校経営陣の立場としてもなんとかしたいと思っているんだが、どうにもこうにも大学ってやつは魑魅魍魎の集まりみたいなもんで、いかんともし難い。
  結局俺も三都も体が空いたのは午後七時三十分を回っていて、二人で晩飯を食おうということになった。大学の近くのいつも蕎麦屋だ。電話して奥の座敷を空けといてくれるように頼んだ。個室になっていて死角にもなっているそこは、大学関係者がこそこそ話をするときによく利用される。学務側としてはよっぽど盗聴マイクでも仕掛けてやろうかと思っているんだが。
「まず、改めて確認してみよう」
  三都が方眼紙を出してきた。時間を横軸にして、三都が覚えている夢の内容が時間軸に沿って書かれている。
「一時間目は国語、二時間目は算数……うん、俺の夢もそうだった。ぴったりだ」
  俺と三都が着ていた服や、同じクラスのゴンドが体育の時間に騒いだ内容、一緒に下校して橋の上で交わした会話。
  何もかもが、俺の見た夢とピッタリ一致していた。
「こりゃあ」
  三都と顔を見合わせる。
「間違いないね。私とお前は二人で同じ夢を見た。いや、夢じゃない。二人であの時代に精神だけが、表現を変えれば意識だけがタイムスリップしたんだ」
「もう一度訊いても、お前は同じことを言うんだろうな」
「そんなことがあるのか? だろう? もちろんだ。それが判ったら私はノーベル賞を取れる。そもそもそれは文学部国文学科教授の分野じゃない」
「まぁな」
  二人でうーむと唸ってから、それぞれ箸を持った。俺は大盛り天せいろ。三都は天丼とざるのハーフ。しばらくは無言のまま蕎麦をたぐった。
  たぐりながらいくら考えても、これはどうしようもねぇなと思っていた。そういうふうなことを体験したんだと納得するしかない。理由や理論をこねくりまわしてもしょうがない。そう思っていたら、自然と頬が緩んできた。
  三都を見ると、同じように表情が柔らかくなっていた。
「なんだかな」
「あぁ」
「貴重な体験をしたって喜んだ方が得って感じか?」
「そうだな。いや、きっとそうだ」
  二人で笑っちまった。
「イッチだってよ」
  三都のあだ名はイッチだった。〈みと〉じゃなくて〈サント〉と間違えられることが多くて、それが〈サンドイッチ〉に繋がっていつのまにか〈イッチ〉になった。俺も大学を卒業して再会したときには思わずイッチと呼んじまった。
「タケちゃんはそのまんまだ」
「そうか? 大分太ったがな」
「口調も何も変わってなくてさ。今日は朝から思い出していて、ずっと愉しかったんだ」
  その口調も、あの頃の三都に戻っている。今みたいな少しお堅い話し方じゃなくて、あの頃の優しい男の子だったイッチに。
「懐かしかったな」
「うん」
  四十年。正確に数えれば、三十七年前だ。昭和四十三年。一九六八年。懐かしき昭和の時代。
「あの頃からよ」
「うん」
「随分経っちまって年食ったけど、まぁ頑張ってるよな俺たちってさ、神様がプレゼントでもくれたんだろうよ」
  そう言うと三都は笑って言う。
「昔からそうだったよな」
「なにが」
「体つきや顔つきに似合わないでさ、そういうロマンチックなことを言うんだお前は」
「そうか?」
  そうだったか。そうかもな。まぁ一夜の夢としては上等だ。そう話して、じゃあまた明日と、蕎麦屋の前で別れたんだ。

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