パブリディ
カレンダーボーイ1963

第4話 「火事を防げ」


  目が覚めると、俺の部屋だった。
  人間ってのは本当に順応性の高い生き物だ。寝て起きる度に時代を行ったり来たりするのにももう慣れちまった。今日は六月十八日の日曜日なんだな?  携帯のディスプレイを見ると、確かに。今日は、二○○六年六月十八日日曜日だ。まったく日曜日で良かった。もし平日だったら昨夜の、いやつまり一九六八年の六月十八日の夜の大騒ぎの余韻で落ち着かなくて仕事どころじゃなかったろうな。
  一階に降りると誰も居なかった。奈美枝は友達となんかの展覧会を観に行くと言ってたし、未歩もよくわからんが出掛けると言っていた。午前九時三十分。静かな家の中だ。
  用意されていた朝ご飯を食べて、歯を磨いて顔を洗って、薄くなってきた頭にヘアトニックを振りかけて慎重にとかしつける。嫌になっちまうが最近どうも加齢臭がきつくなってきたような気がする。ヘアトニックも苦肉の策だ。まったく風呂に入らなかったフランスで香水が発達したってのもわかる気がするぜ。あれ違ったか?
  三都と約束したのは明日の午前十一時。
  過去は、未来を、いや現在を変えることができたのか。その結果が判るのは明日だ。
  コーヒーを飲みながら煙草に火を点けて思い出す。昨日は、いや、まったくこんがらがるが、一九六八年の六月十八日は。
「まったく」
  一九六八年のカレンダーをプリントアウトして使うとは思わなかったぜ。


「火事?」
「そう。佐藤先生の家が火事になったんだ」
  そうイッチに言われて思い出した。
「あったな。そうだ」
  担任の佐藤先生。偶然だけど四、五、六年生とずっとオレとイッチは同じクラスで、佐藤先生が担任だった。
「確か不審火だったはずなんだ。犯人はわからないままで佐藤先生はたぶんものすごい大変だったはず」
「そうだそうだ」
「それを防いだら、どうだろう?」
「火事をか?」
  イッチがニコッと笑った。あぁそうなんだ。イッチは基本的に優しくて大人しいヤツなんだけど、オレが考えつかないようないろんなことを考えて、それを実行するのが得意だった。何かを思いついたときには、こういうふうに笑っていたよな。
「過去に戻ってしまったぼくたちの行動が果たして現在に影響を与えるのか?  それを確かめるために火事を防ぐ。いい行いなんだから誰にも迷惑を掛けないし、記事にもなっているから現代に戻ったときにすぐに結果がわかるじゃないか」
  グッドアイデアだと思った。
  タイムパラドックスってやつは俺でも知ってる。過去に戻って自分の先祖を殺しちまったらさて自分はどうなる?  ってやつだ。精神だけが過去に戻ってしまうという変なことになってしまった以上、それを確かめないとうかつに行動できないってわけだ。
「やってみようぜ!  あ、でも火事っていつだったっけ?」
「十八日」
  イッチは小さなメモ帳を取り出した。
「現代のときに図書館で調べておいたんだ。先生の火事は間違いなく新聞記事になっている。火事は六月十八日の深夜。明後日の火曜日だよ。そしてそれが記事になっているのは六月十九日の朝刊だった」
「ということはだ」
  イッチがニコッと笑ってうなずく。
「もしこの世界が地続きなら、ぼくたちが火事を防げばその記事は消えてなくなっているということ。つまり、ぼくらがこの過去の世界で何かをすれば、未来に影響を及ぼすってわけさ」


  月曜日だ。念のためと言うか何と言うか、図書館は大学のを使わないで区立の図書館にした。待ち合わせのロビーで三都の細っこい身体を見つける。
「よぉ」
「おはよう」
  三都は今日は講義がない。俺は理由を付ければいつでも抜け出せる。事務局長という立場は知らない人が思うよりはるかに自由が利くんだ。
「どっちだ?」
「地下」
  佐藤先生の火事が確かに新聞に載っていたことは、三都が確かめている。俺たちがその火事を阻止したことで何かが変わったか、その日の、一九六八年六月十九日の記事を確かめに来た。
「しかしよ、北道新聞のデータがなんでこの足立区の図書館にあるんだ?」
  そうだ、俺たちは今は東京にいる。しかしあの頃は北海道の札幌にいた。もちろん佐藤先生の火事は地元の北道新聞の記事にはなっているが、地方の火事がこっちの新聞に載るはずがない。よっぽどの大火事なら別だが。
「ここの図書館は新聞の収集に力を入れていてね。日本全国の新聞の縮刷版やマイクロフィルム、その他もろもろを集めている。大したデータベースになっているんだ」
「なるほどね」
「北道新聞はあの当時の縮刷版は発行していなかったけれどマイクロフィルムにはしてあった。それが複成されてここにもあるんだ」
  もし、その記事がきれいさっぱり消えていたのなら、もちろんそれがどういう理屈かは理解できんが、俺たちのしたことは確実に現代に影響を与えているということになる。それはつまり、俺たちの精神が飛んでいっている一九六八年の日々と、今この二○○六年の日々は繋がってるってことだ。
  もちろんそれが何を意味するのかも、まぁよくわからんけどな。
「いやしかし大変だったな」
「まったくだ」
  二人で階段を降りながら笑った。何せ、小学校五年生のガキが、深夜に起こる不審火を防ごうっていうんだから、まったく大冒険だった。しかもそれをやったのは俺たちの感覚的にはつい昨日のことなんだから、頭の中でこんがらがりそうになる。
「夜中に家を抜け出すなんてことはさすがにしたことがなかったよな」
  まったくだね、と三都が頷く。昼間のうちに部屋の窓の鍵は開けておいて、しかも窓枠に油を塗っておいた。懐かしくってしょうがないが、あの頃の実家の窓枠は全部木だ。しかも二重窓にさえなってない。サッシなんてものもあるにはあるが、我が家はボロくてそんなものになってなかった。
「今回ほど豆腐屋家業だったことがありがたかったことはなかったな」
「あぁ、そうか」
  何せその時間には皆がぐっすりと寝ているんだから。おまけに妹の瞳はまだ二年生だ。一度寝たらそう簡単には起きない。
「瞳ちゃん、今から思えば随分変わったな」
「そうだな」
  あの頃の瞳はとにかく無口で大人しい女の子だった。喋れないんじゃないかと思うぐらい口数が少なかった。それが今じゃ。
「キャスターだってんだからな」
  まったく、おもしろいもんだ。


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