パブリディ
カレンダーボーイ1963

第44話 「覚悟を決める」


  札幌ではこの間、つまり五年生でいるときに雪が降った。年末正月に実家に帰ることはあるから、雪が特に久しぶりってわけじゃない。それでも、なんだかわくわくしちまったな。初雪っていうのを楽しみにしてるって感覚が、本当に嬉しかった。
  いつものように、目覚めれば、四十八歳の自分の部屋だ。起き抜けに煙草を一本吹かす。午前九時。日曜日だから、いつもよりは相当遅く起きる。いつも通りの朝だ。
  突然、このいつも通りって感覚に違和感を感じた。
「いつも通りか」
  いったいどんな力が働いたのか皆目わからないが、俺と三都は一九六八年の過去に、意識だけがタイムトラベル、タイムスリップ、なんでもいいが、それをするようになっちまった。突然そんなことになって、里美ちゃんのことを思い出して、三億円のことを思い出して、それが俺と三都の過去の世界にいる〈目的〉になっちまった。
  そうだ、それが目的になっちまったんだ。

  居間に降りると誰もいない。
  奈美枝は友だちと出かけるって言ってて、確か夢うつつに「行ってきます」という声を聞いた。未歩は一昨日から顔を見ていなくて、和臣くんのところに行っているって話だった。しんと静まり返った家。
「猫でも飼うか」
  台所のテーブルに座って、そう呟いた。未歩がいなくなっちまったら、奈美枝と二人きりの家だ。それはそれでわずらわしくなくていいが、もう少し賑やかさが欲しいかもしれない。用意してあった朝飯を食べる。味噌汁を温めて、ご飯をよそって、よくある一人きりの朝だ。
「目的、か」
  俺と三都を過去の世界にタイムスリップさせたのはいったい何なのか、と何度か話したが、わかるはずもないからそのうちに話さなくなった。わかるわけないんだそんなもの。神様の悪戯と思うしかないじゃないか。
  ただ、確かに、俺にも三都にもあの時代にタイムスリップする、いやしてからの目的ができたんだ。それも、大きな、とてつもなく大きな目的だ。
  他の誰が、こんな大きな目的を持って過去に飛びたがっている?
  いやもちろんいろいろあるんだろうが、俺と三都はピッタリ嵌まっちまった。だとしたら、それも偶然じゃなく必然だったんだろうって、三都は言ったな。
「おっ」
  二階で携帯が鳴っているのが聞こえた。慌てて階段を駆け上がって、携帯を取る。三都からだ。
「おう」
(すまんな、朝早く)
「いや、大丈夫だ。どうした?」
  声に陰りがあった。
(母親の調子が悪くてね。病院にいるんだ)
「まずいのか」
(今すぐどうこう、ということにはならないと思うが、今日明日は動きが取れないかもしれない。最悪のことも考えなきゃならないかもしれないんだ)
  なんてこった。
「わかった。学校の方はまかせておけ。ちゃんと連絡しておく」
(すまない)
「いいって。気にしないで、おふくろさんの傍にいろ」
(頼む)
  電話を切って、ため息をついて、頭を掻いた。携帯を持ったまままた一階に降りて、朝飯の続きだ。
  三都のおふくろさんか。小さい頃は、優しいけど厳しい人って印象だった。たとえば俺が遊びに行くと、「ちゃんと靴を揃えて片づけなさい」って笑顔で言う人だったな。そういや、ここんところ会っていない。
「後で顔を出すか」
  どうせ今日は予定は何もない。病院は知っているからな。最悪のことが考えなきゃならないんなら、これが最期かもしれない。

  朝飯を片づけて、新聞をじっくり読んでシャワーを浴びて、家の戸締まりをひとつひとつ確認して、家を出た。どうも最近は火の元とか煙草の始末とかひとつひとつ確かめてからじゃないと落ち着かなくなった。これもきっと年のせいなんだろうな。
  奈美枝にはメールで三都のおふくろさんがあぶないようだから、病院に様子を見に行く、とメールを打っておいた。そのまま昼飯はどっかで食べるかもしれない。
  電車を乗り継いで、阿佐谷にある病院に向かった。正面玄関を入って小奇麗な受付に三都雪子さんの病室はどこかと確認しようとしたときに、それが目に入った。
  喫煙所だ。ロビーの端っこにブースで仕切られた喫煙所がある。
  そこに、三都の姿があった。ベンチに座って、煙草を吹かしている。その姿を見た瞬間に、悟った。
  遅かったか。
「三都」
  声をかけると驚いたように俺を見上げた。
「安斎」
  ドカッと隣に腰を下ろして、煙草を取り出して火を点けた。
「来てくれたのか」
「暇だったからな。こんなことを言うのはなんだが、最後かもって思ったんでな」
「そうか」
  三都が微笑む。
「間に合わなかったのか」
  わかっていたが、訊いてみた。三都は、ゆっくりと頷く。
「三十分ほど前だ。本当に、急だった」
  あちこちに連絡を入れて、この後のことを病院と確認して、葬儀屋がまもなくやってくるその合間。
  俺は、三都の背中を叩いた。
「お疲れさまだったな」
「ありがとう」
  三都が力なく笑う。覚悟はしていたんだろう。眼が少し赤くなっているが、落ち着いている。
「穂波さんと、真吾くんは」
「三階のロビーに居るよ。叔父や叔母も来ているんだ」
「そうか」
  俺はまだ、幸いにも自分の両親の死に立ち会っていない。三都は二度目だ。これで、父さんも母さんもいなくなってしまった。
「明日、向こうで母さんに会ったときに涙ぐみそうで困る」
  三都が苦笑する。
「そうだな。なんたって、元気なおふくろさんが、まだあそこにいるんだからな」
  二人で笑った。それから、三都は煙草を吸って、大きく吐いた。
「しかし」
「うん?」
「これで、覚悟ができた」
「覚悟?」
  三都が、少し笑った。
「あの時代で、自分がすることへの覚悟。この時代での心残りは、ない」
「ないって」
  頷いた。
「覚悟を、決めたよ。本当に」


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