パブリディ
カレンダーボーイ1963

第48話 「迷走」


  忙しいさ。大学の仕事の方はもちろん忙しい。やることはうんざりするほどあるしわがままを言う奴らもうんざりするほどいる。そのすべてに答えなきゃならないのが事務方の仕事だからな。
  いや別に今の自分の仕事を呪っているわけじゃない。好きで選んだ仕事だ。自分がきっちり片づけたことで学生が気分よく勉強できたり先生たちが研究に勤しんだりして、学校運営ってものがスムーズに流れていくのは気分がいい。結局そういうことが好きだってことだ。だから忙しいのは嫌いじゃない。
  ただ、いよいよ迫ってきてるってことだ。
  一九六八年で、三都と一緒に東京に行く日が。

  しかしその日のことをどう想像してもおっつかない。仮に三億円事件の真っただ中に飛び込んだとしても、その日の夜に寝ればこの現代に戻ってきちまうんだ。その瞬間、世界はいったいどうなっているのか。
  いや、そんなことよりも今は里美ちゃんの件だ。
  あの落書きの件だ。
  あれは、どう見ても、あのキャラクターにしか見えなかった。特徴をしっかりと捉えている。
  もちろんあのキャラクターを知らない子供が猫のような動物の絵を描いて偶然似てしまうってことはあるだろう。ひょっとしたらそうなのかもしれない。それでも確かめずにはいられなかった。
  里美ちゃんは、ひょっとしたら生き返っちまったのか。いやそんなふうに言うとまるでゾンビみたいだな。俺たちがあれこれ昔の世界で動いたせいで何か〈変化〉が起きて、里美ちゃん一家が心中せずに済んだのかと。
  三都は可能性は低いと言った。
「もし、里美ちゃん一家の心中が消えてしまって一家が今も生きているのなら、それは三億円事件にもなんらかの影響を与えるはずだ」
「そうなんだな?」
「そうなんだ。事件そのものが消えてなくなるなんていうことはないと思うが、少なくとも、犯人に関しての何らかの有力な情報が出てきているはずだ」
「今まで出てきていなかった事実ってことだな?」
「そうだ」
  だから慌てて三億円事件のことを改めて調べてみたが、何の変化もなかった。なので、里美ちゃんが生きているとは思えない。
  それでも、念のため、あの頃の同級生で今も連絡が取れる三人に訊いてみたってわけだ。それとなく里美ちゃんのことを覚えているかと。
「よぉ、俺だ。安斎だ」
(あぁ! 誰かと思ったよ)
「元気か」
(おかげさまでね。どうしたいったい)
「いやなに、こないだお前さんを見かけたんだよ。車に乗っていたんで声を掛けそびれたんだがな。それで」
(そうか。そりゃ嬉しいな。何年ぶりだ?)
「七、八年ぶりになるか」
  そんな感じで、懐かしい昔話に里美ちゃんの名前を出してみた。ところがだ。
(えー、いやなんか記憶があやふやだなぁ。いたっけ? 里美ちゃん? もう年だからなぁ。思い出せない同級生なんか山ほどいるよ)
  それは確かにそうだ。俺だって全員を覚えているわけじゃない。たぶん顔も名前もわからない同級生は山ほどいる。
  でも、里美ちゃんを覚えていないはずがないんだ。あれだけ、死んでしまったことにクラス全員がショックを受けて、その何ヶ月も何年も話題になっていた里美ちゃんが。そして、他の二人も似たようなものだった。
  少なくともその三人は里美ちゃんのことを覚えていなかった。覚えていないって、どういうことだ?

(ミドリちゃんには訊いてみたのか)
「いやそれがな」
(うん)
「携帯が繋がらない」
(繋がらない?)
「二度掛けたが、なしのつぶてだ。さすがに大した用事もないのに人妻に昔の同級生の中年男が三度も掛けるのはマズイと思ってな」
(そうだな)
  三都も確かにあの三人が里美ちゃんのことを覚えていないっていうのは変だと言う。ミドリちゃんに訊けば確実かと思ったが繋がらない。しょうがないんで、母校の小学校に電話をした。ここは大学の学務をやってる関係上の繋がりやらなんやらが効いて、うまいこといって、当時の学籍簿を確認してもらえることになったんだが。
「火事?」
(といってもボヤ騒ぎだったんですけど)
「それで、当時の資料が?」
(そうなんです)
  嫌な予感がしてきやがった。慌てて三都に里美ちゃんが転校した東京の小学校を確認して調べると。
「廃校?」
(はい。統合でその小学校は廃校になってますね)
  当時の資料がどこにあるのかは、所轄がわかっっているだろうが、探し出すのには何年掛かるかわかりゃしねぇ。いよいよ手詰まりになったかって思ったときに、ようやくだ。ミドリちゃんから電話が掛かってきた。
(ごめんなさい、着信があったのに気づかなくって)
「いやなに。大した用事じゃないから」
(苦手なのよねぇ携帯って。いまだに慣れないわ)
「まぁなくても困らなきゃそれにこしたことはないからね」
(そうね。それで、ご用はなぁに? デートのお誘い?)
  ここは素直に訊くしかない。
「いやぁ、あれなんだ。まったく大した用事じゃなくて申し訳ないんだが、三都と話していてね。里美ちゃんのことが話題になってさ」
(里美ちゃん?)
「そうそう。古内里美ちゃん。同じクラスで同級生だった」
(あぁ! 里美ちゃん!)
  嬉しそうにその名を言うミドリの声にホッとした。どうやら里美ちゃんが消えてなくなったわけじゃないらしい。
「覚えているか」
(もちろん! 懐かしいわね。その後どうしているかしらね。全然会ってないけど、元気だといいけど)
  なんだと? 
〈その後どうしているかしら〉だと? 
  まて落ち着け。どう訊けばいいか。慌てるな。
「ええっと、あれかい? 最後に会ったのはいつなんだい?」
(そうねぇ。もうだいぶん前ね。あれは、うちの子供がまだ幼稚園の頃だから、十五年も前になるかしら)
  十五年前に、里美ちゃんが生きていた? だと?


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