パブリディ
カレンダーボーイ1963

第50話 「支度」


  目が覚めた。むろん東京の自分の部屋だ。
  そして、一九六八年にいる俺も、東京に居る。なんとなく不安があったのは事実だ。同じ東京に来ちまったことで何かが変わってそのまま現代に、ここに戻ってこられなくなるんじゃないかと思ったが、ちゃんと戻ってきた。目覚めたら、ここに。

  思い出してみる。昨日の、いや今日の一九六八年での自分を。東京は、こんなところだったのかときょろきょろしちまった。今の札幌と東京はそんなに街の匂いってのは変わらない。むろん札幌の都心部に限っての話だが、都会であることには変わりないんだ。東京は札幌の都心部が十も二十も集まったような街という感じだ。
  ところがあの時代の東京はやっぱり札幌とは匂いが違った。確実に。時代の空気ってのはやっぱりこんなにも違うもんなんだなと痛感したさ。きっと俺が社会学者かなんかだったら狂喜乱舞しただろうな。
  東京への出発が早まったのは、突然三都があることを思い出したからだ。

    ●

「タケちゃん!」
「なんだよ。どした?」
  学校に行くとき、いつものようにイッチの背中のランドセルにチョップをしたら、イッチがこんなに慌てるのも珍しいっていうぐらいあわててた。
「思い出したんだ!」
「なにを?」
「ぼくは、風邪をひくんだよ!」
「そりゃ、オマエだって風邪ぐらいひくだろ」
「違うよ。一週間ぐらい寝込んじゃうひどい風邪だったんだ」
「だった?」
  だってって、それは。
「もうすぐぼくはそんな風邪をひいて、ずっと学校を休んでいたんだ。里美ちゃんが死んだって先生から聞かされた前の日に、ようやく治って学校に行ったんだよ!」
「えっ!」

     ●

  そう言われて俺も思い出したのさ。そういやそんなことがあったって。
  さぁそれからが大騒ぎだ。歴史は繰り返すんだからこのままだと東京に出発する日には風邪を引いて寝込んでいることになっちまう。とっとと東京に行った方がいいってんで、慌ててガンガンと連絡を取って準備を整えて、学校に行くふりをして家出をしたのが、十二月一日だ。
  もちろん、置き手紙を残しておいた。その後俺の家と三都の家で何があったのかはもちろんわからない。三都はお姉さんに後のことをしっかりと頼んでおいてくれたから、大丈夫だろうと思うしかなかった。
  とりあえず、小学五年生の俺と三都とガンガンは連れ立って千歳空港から東京へ向かった。傍目には、親子に見えただろう。俺と三都はまるっきり似ていないから、どっちかが息子でもう一人は親戚の子供とかだ。一応念のためにそういう設定はしておいた。どっちかと言えば俺とガンガンが顔形が似ていたので、俺がガンガンの息子で三都は俺の従兄弟。そういう設定だ。
  多少緊張はしたが、無事に三人で飛行機に乗って、東京に着くことはできた。そして驚いたことに三都がとんでもないことを隠していやがったんだ。

      ●

「やぁよく来たね」
  空港でいきなりオレたちを出迎えてくれた紳士がいて、びっくりした。もちろんガンガンも、でも、イッチは驚いていなかった。
「わざわざごめんなさい」
「なに、なんでもないさ」
「タケちゃん、ガンガン、こちら、佐久間さんです」
  とりあえず挨拶をした。そこはガンガンも大人だから握手したりなんかしたりして。イッチが続けて言った。
「自己紹介も、なにもなしってことで。佐久間さんは東京にいる間の部屋を貸してくれる人ってことだけ」
  それは、この佐久間ってやつを巻き込まないようにする配慮なんだなってわかったから、オレもガンガンもうなずいたんだ。
  懐しい形の車に乗って、オレたちはどこかへ向かっていた。何も訊かないっていうことにしたから、車の中ではほとんど誰もしゃべらなかった。それにしても驚いてた。イッチがいろんなことを隠してるってのはわかってたけど、こっちの時代の東京にも協力者がいたなんて。
「一応、生活できるだけのものは全部揃っているから」
「ありがとうございます」
  イッチと佐久間がそう会話をした。何者なのかまるでわからないけど、とりあえず頭脳労働者ってことだけはわかる。身なりもいいから、それなりの仕事をしてる人間なんだろうって考えて、そこでなんとなく思い当たった。
  車はどこへ向かっているか全然わからなかったけど、郊外へ向かってるんだなってことだけはわかった。一時間ぐらいも走ったところで、場所がわかった。調布か。
  一軒のアパートの前で車は止まったんだ。この時代にはどこにでもあるような小さなアパート。〈前田荘〉っていう名前だった。
「じゃ、これが鍵だから。一応三本渡しておく」
  佐久間はそう言ってイッチに鍵を渡して、オレとガンガンにも頭を下げて、そのまま車で帰っていった。きっともうこれっきり会うこともないんだろうな。
「行こう。一階の端っこ」
  一号室が、オレたちの部屋らしかった。
「へぇ」
  ガンガンが思わず声を上げた。部屋の中はちゃんといろんなものが揃っていた。冷蔵庫もテレビも洗濯機も電話も、調理道具も何もかも。このまますぐに生活ができるぐらいだ。それにしてもこんな小さなアパートの一室に物がこんだけ揃ってるってのも、この時代じゃまだ珍しい方だろう。ということは、かなりお金があるってことだ。
「イッチ」
「なに?」
「あの佐久間って奴の正体がわかったぜ」
  イッチが笑った。
「正体って、謎の人物じゃないんだから」
「出版社の編集者だろ? そしてここはきっと漫画家のアシスタントとかが暮らすようなところなんだろ?」
「あたり」
  ガンガンがなるほどねぇって感心したように言った。
「短期間の部屋を借りるって大丈夫かなって思ったけど、そういう方法があったとはね」
「ある漫画家のアシスタントさんのための共同の部屋なんです。ちょうどうまい具合に引っ越しするので、そのまま使わせてもらえたんです」
  これでホテルとか値段の心配もしないっていいってわけだ。

  さっそく、荷物を片づけた。荷物って言っても服ぐらいしか持ってきてないんだけど、寝室になってる和室に置いて、居間の広い座卓に座った。たぶんここで漫画の原稿も書くんだろう。かなり大きい座卓だ。居間にはその他に机もある。これも漫画を描けるようになんか大きめで板が乗っかっている。台所もあって風呂もある。2DKって奴だな。
「まずは、食料を仕入れようかな。腹が減っては戦ができんと言うからね」
  台所を三人でがさがさと捜索すると、さすがに冷蔵庫は空っぽだった。米びつには半分ほど米が残っていて、ガンガンのいうことには古くなってないってことだった。
「まだ半月ぐらいは持ちそうだね。ということは米は買わないでいい」
「近所の様子も知りたいから、三人で買い物に行きましょう。ここは逃走経路の終点だからちゃんと覚えておいた方がいい」
  イッチがそう言って、三人で外へ出た。
「なんか、楽しいな」
  そう言うとイッチもガンガンも笑った。
「とんでもないことをやろうとしてるんだけどね」
「それぐらいの方が、暗くならなくていいよ」
  いよいよ、始まる。
  オレの家族と、里美ちゃんの未来を救う戦いだ。

      ●

  そうして、東京での最初の一日を終えて、ここにこうして戻ってきた。この世界ではまだ何も変わらないのか、変わったのか。
  そう、今ここで、まだ生きている俺の両親に確認することもできる。
〈小学生の頃、俺、家出をしたよな?〉
  そういうふうに訊くことができるんだ。それと同時に、三億円事件に何か変化があったかどうかも確認することができる。
  だが、それはしない。そうイッチと決めた。
  すべては、すべてが終わったときに。


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