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「父、成長して母になる」
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私は母に似ている。初めからではない、ある時期から似てきたのだ。子供の頃の私は「お父さんにそっくりね。」と言われていた。自分はキラキラやピカピカやフリフリが大好きな、可愛いものに憧れるフツーの子供。なのに、「中年男」に似ているという点と、その父の顔の輪郭はアルミの四角い弁当箱と同じだったことから、父似発言は子供心にショックを受けたのだ。
「私はパパに似てるの?」母は女心を察してくれるかと思ったが、彼女はこう言った。「おねえちゃんは、パパじゃなくておばあちゃんにそっくり。」「大きくなったら、あんな鼻になるから。ふふ。」薄笑いを浮かべながら、母は父方の祖母を指し、この私のダンゴっ鼻が魔法使いのおばあさんのような祖母の持つカギ鼻になることを、何故か決まってつけ加えるのであった。
「そっくり」って「そっくり」のこと?私はバミューダパンツを履き、上は白いランニングオヤジ肌着を着た四角い顔の父とそっくりなのか。そして、大きくなったら鳥のヒナとお猿さんを足して2で割ったようなシワシワの祖母の顔にそっくりになるのか。そんなの信じたくない。
一人鏡を見ては花占いのように「似てる、似てない、似てる、似てない……」と、自分の顔をしょんぼりと占ったものだった。
私自身は父と母を見て、”どっちにも似ていない”と思っていた。身内で誰かに似ているとするなら、「母」が一番いいと思っていたのだが、子供時代、思春期、そして20歳を過ぎるまで、私は誰からも母に似ていると言われることはなかった。ちなみに母は矢野顕子さんと「そっくり」なのだ。母の方が世代が上ということと、あと実物の矢野顕子さんとは私はお目にかかったことがないので、あくまで母の昔の写真と照らし合わせてではあるが、目鼻立ちや顔の輪郭、笑った時の表情。髪型が違うだけで、矢野さんと母はよく似ていた。
いつから私は母似になったのだろう。20代半ばを過ぎた頃から母を知る人に会うと、時々「おかあさんによく似てるわねー」と、私は言われるようになった。「へぇ、そうなんだ」と、最初の頃は意外に思っていたら、そのうち電話口の声についても「そっくり」だと言われるようになり、そして今では「まぁ、おかあさんにそっくり!」と、誰かに会う度に言われている。しかし、私は矢野顕子さんには似ていない。顔のパーツも系統が違うし、ということは母の顔ともタイプは違ったままということになるのである。
だが、私はやはり年を追う毎に母に似てきた。最初に自分が母を重ねたのは匂いだ。ある日着ていたセーターか何かを脱いでいると、裏返しになった服が首から頭に抜ける時に、ふと母の服と同じ匂いがほのかにした。いいニオイ、いやなニオイ、そういう区分けには出来ない母しか持たない香り、それと同じ匂いが鼻の奥にフッとしたのだった。
それを境に、だんだん自分の中に、私は母と同じパーツを見つけるようになっていった。手の甲や指の形、爪までが「似ているなぁ」と思えてくる。それからまた数年経つと、何かの折りに足の指も「似ている」という目で見るようになる。私の足の指は、それぞれ手の指の第二関節ぐらいまでの長さがある。かなり長い指なのだが、親指より二番目の指がうんと長いところも、母とそっくりである。
自分の手や足の形が変わったわけでもない。見慣れた自分の体の一部であることに変わりないのに、ある日それが母と一致していることに気付く。それを繰り返して、今では膝から下のスネの辺りは、皮膚の感じまでが「同じ」に思えるようになった。
母は人生の中でいくつかの大きな病気をし、最期は2000年の6月に病院で亡くなった。私が中学1年だった時に受けた甲状せんの手術の後遺症で、恐らく片方の声帯がマヒし、そのせいか独特な声をしていたが、私の声帯も手術の後遺症で片方がマヒしていて、時々裏返る自分の話し声があまりに似ていて驚くことがある。
母が私に残しためずらしい遺品は2台の車椅子と杖で、これらを私は譲り受けるだけでなく、実際の生活でフルに使用していた。
一体私はどこまで母に「そっくり」になっていくのだろう。2台の車椅子には数年間お世話になって、今は折り畳んで仕舞ってある。私がいつも外出時に持って出る杖は、かつて母の足となった杖だ。
「ねぇおかあさん、いつまで私と一緒に居るの?私のことがそんなに心配?」杖に向かって、私は時々こんな話をしているのである。
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2007年1月26日更新
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●PLOFILE●
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吉川みき(よしかわ・みき)
シンガーソングライター。 ’91年ソニーより「B#」でデビュー。ヴォーカル/作詞・作曲を担当。4枚のアルバムと5枚のシングルを発表、その後ソロとして「IN MY LIFE」「愛を守る嘘」などCDをリリース。FM愛知、FM京都、など多くの番組パーソナリティーを歴任するも、’00年1月、重症筋無力症を発症、2年の入院生活を送り、’02年4月、闘病エッセイ『病床からのIN MY LIFE』を扶桑社より出版。
「声をなくしたことは大きな出来事でした。でも決してそこが終わりではなかった」
現在自身の音楽作品の制作を続けながら、他のアーティストの音楽制作や楽曲提供、ライブサポートなど活発に行っている。また執筆活動も行っている。
オフィシャルサイト「吉川ほっこり洞」
(毎日エッセイを更新。インターネットラジオ 「ラジオほっこり洞」もOA中!)
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