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第十六回 父が教えてくれた落語家
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柳家小ゑんという二つ目を教えてくれたのも父だった。真打に昇進する一年前だから昭和三十七年のこと。私は中学二年、十四歳の年である。「こいつが滅法上手いんだ」と父は言った。「小憎らしいくらい」とも。
私は寄席や落語会ではなくテレビで初めて小ゑんを見た。『歌まね読本』という視聴者参加の物真似番組で、その司会を石川進(ボーカルグループ、ダニー飯田とパラダイスキングの人気歌手)と二人でやっていた。素人が下手な物真似をすると、小ゑんは容赦なく批評した。それが審査員(委員長は作曲家の古賀政男だった)より的確にして痛烈で、石川が懸命にフォローするのが常だった。
寄席で観たのは真打昇進して立川談志になって間もなくだ。その頃、私はアメリカンポップスなどの洋楽に夢中で、演芸を観に行く回数がめっきり減っていた。従って、談志の真打披露興行を観ていない。それは今でも悔いが残る。
末広亭で初めて談志の『野ざらし』を聴いた時、これまでにない衝撃を受けた。文楽、円生、正蔵、小さんら名人上手の落語が純粋な邦楽なら、談志のは邦楽であっても洋楽の要素が入っていた。『野ざらし』の歌うような調子はミュージカルの臭いがしたし、『源平盛衰記』のたたみ込むような現代的くすぐりの連発はエイトビートである。私はたちまち談志の落語に魅了され、以来ずっと追いかけることになる。
父は邦楽家であるが洋楽も聴いた。ポール・アンカとニール・セダカがお気に入りだったし、ビートルズを最初聴いた時も「いいね」と言っていた。私が談志ファンになったのをうれしがり、「談志はミュージカルが好きなんだってさ」と教えてくれた。多分、まくらでフレッド・アスティアなんかの話をしたのを聴いたに違いない。「なるほど。それで噺のリズムとテンポがいいんだな」と納得したものだ。
昭和四十年、新宿の紀伊国屋ホールにおいて、第一回〈立川談志ひとり会〉が開催された。このホールで落語家が独演会を開くのは初めてのことで、〈ひとり会〉という名称も前代未聞、すべてにおいて斬新であった。会のキャッチフレーズは『伝統を現代に』。これは後に国政選挙に出る時のスローガンにもなる。
高校二年生の私は第一回目から出かけた。トリの出し物は『宿屋の仇討ち』。今考えれば珍しいネタだが、当時の談志は幅広いジャンルのネタに挑戦していたいから不思議でもなんでもない。
その年の暮、『現代落語論』(三一書房刊)が刊行された。新書版で定価は二百九十円、もちろん消費税などない。サブタイトルに「笑わないで下さい」とある。落語家が落語論を語るなど考えられない時代だったし、「真面目くさって能書き垂れるな」と言われかねなかった。それで、「笑わないで下さい」と断ったのであろう。
貪るように読んだ。一気に読んで、次は噛み砕くように熟読した。記されたことのすべてに納得、共感、合点。そして、著者が落語に傾ける愛情の深さに感動した。
この時、談志は二十九歳。二十代にして著したことに感嘆する。あの本を読んで落語家になろうと決心した者がたくさんいる。我々世代には「落語のバイブル」であった。
昭和四十二年三月、立教大学に入学した私は、落語研究会に入部して落語に熱中した。その頃、父は脳溢血で倒れ、母の故郷の下館で寝たきりの毎日だった。母が働いて家計を支えていた。
私が帰省して、「この前〈談志ひとり会〉へ行って来たよ」と言うと、後遺症のためよく回らない舌で、必ず「談志は何を演った」と尋ねた。出し物を教え、どんなによかったを話してやると嬉しそうな顔をした。私ができる唯一の親孝行であった。
大学四年になって、会社勤めに向いてないからと、就職試験を一社も受けないまま卒業した。そして、学生時代からやっていたテレビ局のアルバイトを続けた。放送作家の卵と言えば聞こえがいいが、フリーターの類だ。
卒業の翌年、昭和四十七年二月二日、父が二度目の脳溢血の発作で亡くなった。享年六十。早過ぎる死であった。あれからもう三十五年たつ。
拝啓、父上様。
私は今、談志師匠の信頼を受け、立川流の顧問を務めております。あなたが教えてくれた小ゑんです。私はあなたが生きている間、ろくな孝行ができませんでしたが、この十年は喜んでもらえそうなことをたくさんしています。天寿を全うし、泉下にてお会いした時、「よくやった」とほめて下さい。その時が来るのを楽しみにしております。
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(おわり)
2007年1月26日更新
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●プロフィール●
吉川潮(よしかわ うしお)
1948年茨城県生れ。立教大学政経学部卒。作家・演芸評論家・落語立川流顧問。主な著書に『江戸前の男 春風亭柳朝一代記』(第16回新田次郎文学賞)『江戸っ子だってねえ 浪曲師広沢虎造一代』『流行歌 西條八十物語』などがある。最新刊は『芸能鑑定帖』(牧野出版刊)。
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