パブリディ
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第一話  堂島界隈

  今から二十数年前、僕はまだ二十一歳だった。二十一の僕は大阪で地べたを這うような毎日を過ごしていた。地べたを這いながら、低い視線で恨みがましく世界を眺めていた。社会人一年生の皮切りの時期に。
  これから綴るエッセイとも小説ともつかない文章は、その社会人一年生を始めた頃のことを思いだし、あるいは回想とともに反芻し、いかに自分が馬鹿だったか、ボンクラだったかを反省するものである。従ってこれから展開されるエピソードは失敗と挫折と焦りの連続である。そこにため息がデコレートされる。
  当時の僕を支えていたのは、ひとえに関西人特有の雑草のような打たれ強さだったのかもしれない。苦い思いを繰り返しても「まあ、そんなこともあるやろ」と開き直って「屁をこいて寝たれ」と一日をやりすごす、したたかさだったのかもしれない。
  そもそも僕は大学時代にまるっきり勉強などせず、ただふわふわとバンドを組んで音楽に明け暮れていた。卒論などは参考書の丸写し、成績は可ばかり。なんとか四年で卒業したものの、関西のマンモス私立大学の経済学部、十把ひとからげの学生だ。
  僕らの世代は第二次ベビーブームといってもいいもので、僕が通った中学校などは一学級四十人、それが学年で十四クラスもあるという同世代過多の時代だった。
  それがこぞって就職活動に突入し、まともな稼業のまともな位置へ腰を落ち着けることを目指すのだ。計画性のある友人などは簿記検定などでちゃんと資格を取っていたりする。極楽とんぼのようなボンクラ青年が、有名国立大学の卒業者や成績が優ばかりという奴らを相手に過当競争に勝つはずはない。
  A社を落ち、B社に落とされ、夢も希望もこっぱみじんにうち砕かれて、それでもなんとか小さな広告代理店に営業マンとしてもぐり込んだ。それが僕の就職の真相である。
  だが、やれやれ、なんとか社会人になれた。と安堵したまではよかったが、落ち着いて周りを見渡してみると、そこは旧体制が未だに厳然とはびこる広告屋の世界だったのだ。

                    ◆

  入社した小さな代理店は、大阪は、桜橋交差点の少し先、堂島という界隈にあった。堂島近辺は当時、大阪でも新聞社の集まる一帯であり、桜橋にS新聞、堂島にM新聞、その先の中之島にA新聞の大阪本社があった。
  堂島から横へそれていくと北新地、曾根崎新地、お初天神といったネオン街が続き、太融寺のホテル街をやり過ごすとY新聞社にたどり着く。大阪という街はビジネス街と繁華街が近接し、東京よりはこぢんまりとしている。ビル街の谷間に小さな漢方薬局があったり、大通りの一本裏手にガラス屋があったりする。僕はそんな界隈へと実家から約一時間半かけて毎日、出勤した。
  学生時分からのんべんだらりとした生活を四年間続けた身にとって、毎朝、九時に始業する会社に通勤するのは至難の業である。朝、七時半には家を出なければならない。
  僕の実家は大阪のベッドタウンとなる西宮の山側にあり、最寄り駅にもバスで十五分ほどかかる。夜型の人間になりきっていたから、ギリギリまで寝ていたいので、一台バスを乗り過ごすとオジャン。当然、会社に遅刻して、どのように言い訳するか、それが毎朝の日課となった。
  出社初日はさすがに遅刻しなかったが、数日後から遅刻常習犯となった僕はすぐに営業部の上司ににらまれる形になった。「アサグレ君、今日は遅刻か」のお小言が「アサグレ君、今日は遅刻じゃないのか」の皮肉に変わっていったのである。そこで数週間の間に梅田から堂島の最短最速ルートを必死で開発したのであった。
  とにかくわずか数分が遅刻かどうか勝負の分かれ目だ。利用する電鉄の阪急梅田駅に到着してから堂島までは徒歩。約一キロ強ある距離を出勤の人波をかいくぐって、いかに効率よく進むかが鍵である。
  まず阪急梅田駅に到着すると混雑を避けて早足(正確には競歩に近い駆け足)で進めるように比較的、人の少ない改札を発見する必要があった。
  僕が発見したのは地上三階層になっている梅田駅の二階の改札である。この二階に三階のプラットホームの真ん中辺りから下りていく改札があり、そこを出ると高架をつたってJRの大阪駅の裏手へと通路が続いている。当然、乗車する列車はその改札へ最短となる中間車両である。
  大阪は東京に比べてビル街を結ぶ高架というのが多く、そこはいろんな露店のバザールでもある。当時の国鉄大阪駅はその高架から阪急の二階層のままで、小さなコーヒースタンドやら、居酒屋などが並ぶ通路となっている。通路手前の高架では休日などはデンスケ将棋の詐欺などを見かけたものだった。
  デンスケ将棋というのは通行人を相手に詰め将棋をやらせて、勝てば千円が二千円になるという賭け将棋の露店で、ときには朝鮮将棋の場合もあった。賭け将棋というと可愛い露天商に思えるが、実際にはその将棋は絶対に積まないようにできており、取り巻く客の中には桜ばかりでなく、将棋に熱中している客のポケットを狙う掏摸が混ざっているという小悪党の商い。
  まだ土曜日が隔週の出勤だった当時、半ドンでその通路を帰宅しようと歩いているとデンスケ将棋の兄さんたちが警官に捕まりそうになって、将棋の盤をひっくり返して走って逃げていくのを目撃したことがある。大阪の高架らしい風景だ。
  だが、平日の出勤時は辺りを眺めているといった悠長な様子ではない。通路を突っ切ってどんづまりの小さな階段を降りると大阪駅構内の真ん中辺り。そこを抜けると大阪中央郵便局の前へ出る。
  そこから梅田地下街ことウメ地下と堂島地下街ことドー地下を結ぶ通称アリバイ通りという地下街の横手へ降りていく。アリバイ通りというのはまだ少し名残りを残しているが、約百メートルほどの一本の地下通路に日本全県に近い観光土産物屋が軒を連ねている地下の通りのことである。
  長野やら岡山やらの煎餅やら温泉饅頭が店頭に並んでいて、その県名の包み紙で包装してくれるところからアリバイ通りと呼ばれるようになったそうだ。買い忘れた土産物に利用してもよし、実際には出かけずに誰かと別の場所で過ごしていた際に利用してもよし。しかし大阪の人間はこの通りの存在をちゃんと知っているので、どこまでアリバイ作りに効果的かは、はなはだ疑問ではあるが。
  とにかくアリバイ通りの横手から地下に降りた僕は地下鉄西梅田の入り口からドー地下を突き進む。西梅田の入り口前には大阪で一番古い串揚げ屋がある「ぶらり横町」という地下街の中の横町がある。
  地下街の中の横町というのは不可思議だが、通路から一本の道(正しくは地下通路)が伸びており、人一人が通れるかどうかという細い地下路地に、これまたミニチュアみたいな飲み屋が並んでいるのである。当時でさえそこは古びて煮染めたような暖簾が下がる立ち飲み屋ばかりで、二十数年前でも一歩足を踏み入れるとタイムスリップしたような感覚がしたものだった。
  ぶらり横町同様に僕が社会人一年生だった頃の大阪梅田辺りは現在のように巨大なビルが立ち並ぶものではなく、やっと大阪駅前ビルが第四まで整備されたばかりで、丸ビルの裏手、現在のヒルトンホテルのそびえる場所などは戦後の焼け跡のイメージを色濃く残す雑居建築がひしめいていた。
  ある朝、僕は珍しく遅刻するにはまだ充分時間があるという出勤で、その経路を歩いていた。そこで朝飯を食べていこうと思い立った。それまで出社前に朝食など食べたことは皆無だったのである。
  といっても十数分の余裕しかないから、当時、やっとファーストフードが出店を盛んにしていたこともあり、国鉄大阪駅構内にできたハンバーガーショップに立ち寄った。
  ハンバーガーとアイスコーヒーをカウンターで受け取って、手早く腹に収めてコーヒーで一息つく。ふと周りを見回すと同様の若いサラリーマンが数人席についている。その中に知った顔があった。
  それは長身の青年で、僕と幼なじみの小学校、中学校の同窓生であるT津君であった。彼は僕の家がある隣の区画の旧家の長男で、京大を卒業してA新聞社に入社したエリートである。
  新聞社では広告局に配属され、僕が上司からA新聞へ広告原稿を持っていくよう、お遣いに出されると顔を会わすこともあった。
  T津君は顔を曇らせるような様子でハンバーガーを頬張っている。なにが悲しくて、ここでこんな物を食べているのだろうといった顔つきである。声を掛けようかと思ったが、僕はそのままにすることにした。
  以前、A新聞へ原稿を持っていった際に廊下で立ち話になったことを思い出したのだ。凄いな、T津、A新聞に入社するなんて、マスコミのエリートじゃないか。俺なんてちんけな代理店の三行広告取りだぜ。
  そう話すとT津君はその朝と似た顔つきで淋しそうに笑い、同期入社の同僚はみんな記者を希望してそっちへいったが、毎日、警察回りをしている。俺はそんなのは嫌だ。
  考えたんだが新聞社の重要ポストは広告なんだ。広告が入らなきゃ、新聞社は成り立たない。だからあえて俺はこの部署を選んで配属願いを出したんだ。
  その言葉の裏を今になってやっと気が付いたが、あの会話には彼の悩みが潜んでいたのだろう。彼は入社した新聞社ですでに出世競争を始めていたのである。僕と同様にハンバーガーを頬張りながら浮き世の憂さに憂いていたのだ。さて新入社員として、いい会社に入った。しかしそれだけでは終われないと。ここから先こそ長い人生だと。
  一方こちらといえば、出世を考えるどころか遅刻の言い訳を考えている始末。時は一九八一年、高度成長からバブルへと突き進む日本社会のまっただ中で、アサグレなる一人のボンクラ青年が朝の堂島の地下街を急いでいたのだった。


2006年10月6日更新

●プロフィール●

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
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