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第二話 三行広告
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地べたを這う日々を送るボンクラ青年アサグレ。そう書いておきながら、なんだ仕事は新聞広告を扱う代理店の社員じゃないか。
ちゃんとマスコミの仕事なのに、嫌みな謙遜の仕方をする奴だ。そう感想を抱いた読者の方もおられるだろう。ところが新聞広告といっても、いささか広うござんす。
新聞は大はカラー全面広告から、白黒の記事下十五段を経て一段まで。さらには突き出し、題字下、ラテ欄挟み込みといった雑報広告までがある。折り込みチラシも新聞広告の一部といえるだろう。
前述のラテ欄挟み込みというのは、新聞のラジオ、テレビ欄の隙間に挟み込まれている豆粒みたいな広告のことで、本家塩煎餅やら清酒特級正宗やら、商品名のみがちんまり綴られているあれである。
僕が入社した広告代理店はM広告社といった。そこで僕が仕事として与えられたのは、このラテ欄挟み込みよりもさらに小さな仕事、案内広告だった。店員募集、細面談、店名、電話番号で原稿はお終い。いわゆる三行広告である。
案内広告といえども、一応は大手一般新聞である。そこには広告としての最低限のルールがあるのだが、その大前提となるのが一行だけでは掲載できずというもの。最低限でも二行からでないと広告として扱ってくれないのである。
これは一行だけではあまりに金額が低くなるので代理店も新聞社も集金やら集計が面倒なだけで労多くしてとなり、どの新聞でも暗黙の了解事項だ。逆にいえば三行広告は新聞広告の中でも最小の広告といえるのである。
入社当初、僕はこの三行広告の細面談の笑い話を営業の先輩からきかされた。「委細面談」をわずか三行しかないスペースの都合上省略して「細面談」とするのだが、そこに求人側の電話番号が続く。
その文面を見た応募者が新聞社に打診した。いわく「ワタシはホソオモテですが、どうやって電話でそれが分かるの」。その応募者はどうやらホソオモテの人は相談に乗りますという求人だと勘違いしたらしいのである。
僕が三行広告を担当させられた理由はM広告社がM新聞の広告スペースを独自に確保し(買い切り紙面という)、そこに原稿を掲載することで収益を上げる、いわゆるスペースブローカーであったからだ。そしてそこでの営業マンたちの主な仕事は案内広告など雑報広告のセールスなのである。
M社は古さだけは誇れる歴史の広告代理店で、そもそもは創業主である社長が興した企業だが、僕が入社したときにはすでに鬼籍に入られており、かわってその夫人が女性社長として睨みを利かせていた。
案内広告や小さな広告だけで喰っていけるのかと疑問を持たれる読者もおられるだろうが、そこは古くからの付き合いがあるせいで、記事下などの大きな原稿もM広告社経由でM新聞掲載という場合もある。こんな原稿を回し原稿と呼ぶ。
これは広告業界でも古い媒体である新聞ならではのルールなのだが、一度、ある会社がある新聞に広告を掲載した場合、それを扱った代理店が、その新聞における、その会社の広告掲載の権利を獲得する。
そのためにその会社が代理店を変更しても、お手つきの新聞では広告を扱えない。その権利のある代理店に原稿を回して掲載する運びとなるのである。
テレビの世界にはないこの掟は、いわば既得権益のようなもので、一旦、原稿を扱う代理店が決まれば、他社は横からそのお得意を奪い取ることはできないのである。たとえそうできたとしても新聞社の広告局が原稿を受け付けないのだ。
そもそも新聞の一般紙に広告を掲載したい場合、広告はその新聞社と契約を交わしている代理店を通じてでないと受け付けないシステムになっている。もちろん契約代理店は数々あるのだが、星の数というほどではない。
ある種の縛り、要は契約代理店になれる代わりにノルマ、つまり年間の広告の消費段数が課せられるのである。またそのノルマ達成度によってスペースの仕入れ値が変わってくるのである。
この既得権益はよくできたシステムで、ひとつには新聞社と契約している代理店に平等に接する弱者配慮の面があり、もうひとつには新聞社が代理店から金を取り逃がさないための策でもある。
新聞社に広告を掲載できるのは特定の代理店だけだから、一発掲載で媒体料を支払わずにトンズラするといった輩は締め出すことができ、身元をがっちりおさえたメンバーだけで商売するのである。
しかし営業活動なしに原稿だけをもらう回し原稿は社の収益のベースではあっても、利益はそれほど生むものではない。なぜならばまずA代理店がクライアントからBという新聞に広告掲載を依頼された場合、どこかの契約代理店を通じなければならないが、当然、A代理店は仕事を回した紹介料を取るのである。
大手総合広告代理店は一社ですべての新聞社に原稿を掲載することができるが、それほどでもない代理店は、そもそも自社が得意とする新聞とそうでない新聞がある。そこでクライアントを軒並み大手代理店に持っていかれないように、各新聞に強い、つまり安く掲載できる代理店同士で手を組んで、料金面で大手と対抗して、ほぞをかむ思いで持ちつ持たれつしているのである。
長年に渡る新聞広告業界のこんな商習慣の結果、回し原稿の利益といえば、せいぜい数パーセント、寺銭を取るので我慢して掲載を請け負うようになっている。そしてそんな原稿はそれほどは大量にはない。
そこでM社の営業マンはそれ以外に利益を上げる仕事、つまり自社一本だけで扱う案内や雑報広告、あるいは印刷物を請け負うためのセールスに走り回るのである。
M社には営業一部と二部があり、一部はテレビ・ラジオなどを古いつき合いの得意先からM新聞系列局で扱わせてもらったり、回し原稿のある得意先のお守りをしている部署だったが、僕が配属されたのは二部。
まさにこの部署こそ案内広告の前線であった。その部署で僕は“行ってこい”の一言で朝から外へ放り出される飛び込みセールスをさせられたのだ。
入社当初の数ヶ月は課長の車に同乗してルートセールス先である学校や英語塾やらの生徒募集の仕事の補佐役をさせてもらっていたのだが、しばらくするとお前は一人でやっていけとばかりにお役御免となった。
あるいはたたき上げの広告屋になるために誰もが通る第一歩だったのかもしれない。あるいはどこまで一人で頑張れるかのテスト期間であったのかもしれない。
しかしまだ広告のイロハどころか、社会人としての常識さえ身につけていないボンクラ青年を一人で外に放り出すには、わずか二、三ヶ月とはあまりに短い期間だった。今から思えば要するに可愛い部下ではないのである。あまりに生意気な口だけの小僧だったのである。
「ええか、アサグレ君、営業マンは足で稼ぐんや、行ってこんかい!」
遅刻すれすれで出社してきて、やれやれと椅子に座る間もなく、営業一部と二部の島の頂点のデスクから一声が浴びせられる。T内営業本部長である。
恐る恐る見ると茹で蛸みたいに真っ赤な顔でこちらを睨んでいる。T内営業本部長は往年のヤクルトの土橋監督のような方で、とにかくいつも赤くなって怒っているのである。
この本部長は当時のM広告社の営業の親分で、各新聞社はもとより、そこそこの大阪の代理店の営業マンは名前を知っているという顔が広い人だった。
会社で怒っているだけかというと、意外な人情家の側面があり、怒鳴られっぱなし当時は気が付かなかったが、今思うと新聞社の広告局員が本部長のところによく顔を出しにきたのは、困ったときにはT内に頼めということであったらしい。
新聞広告というのは夏枯れと称される、夏の時期に原稿が不足するのが恒例で、そこをなんとか辻褄を合わせるのに骨を折るから、別の機会には本部長にうまい話が舞い込んだりするのである。まさにM社のオヤッサンと呼ばれる由縁である。
「足で稼げといわれても、こっちは蛸やないわい。足は二本しかないねんで」
とは胸の中でつぶやいて、しぶしぶ立ち上がると本部長の隣はM社のフロアの真ん中に位置し、女社長の息子であるS専務が経済動向を探ろうというのか、窓からの朝日を浴びて日経新聞を熟読している。助け船はなし。
するとその専務の隣の机でもう一人の専務が、ふぉっふぉっと笑っている。こちらの専務はM広告社創業以来の古参で、その笑う様子も飄々とした風情も多羅尾伴内うりふたつ。
この方は大阪の広告業界黎明期を生き抜いた様な方で、それなりの企業の広告局あがりの重役には名前が通っていると先輩らに聞かされた。
この多羅尾専務、朝はデスクに座っていて昼頃になるとふらりと一人で食事に出られるのか姿が見えなくなり、夕方まで戻らない。あるいはそのまま帰宅される。新人の僕などは、一体どこでなにをしているのか皆目見当がつかない人だった。
あるとき、クライアントの突然のトラブルによって、予定していた原稿がキャンセルされるという不測の事態が生じた。なんとしても紙面を白で出すわけにはいかない。とはいえ赤字も許さぬ。とにかく原稿を取ってこいとのT内本部長の号令一下、営業マンが総掛かりで動員されたことがあった。
そのとき、またまた多羅尾専務がふらりと立ち上がると、なにやら本部長に耳打ちするとふぉっふぉっと外出し、夕方、一発で原稿を取ってきたということがあった。まったく多羅尾伴内顔負けの快刀乱麻ぶりである。
さてはて、多羅尾専務の僕に向けた笑いが、なにを意味していたのか、今となってはうっすら分かるが、当時の僕は駆け出しのボンクラ。ただ苦り切って会社を後にする。
今日はどこへ行こうか。と堂島から足の向くまま、中之島方向に。とはいえ、行く当てなどないとため息をつきつつ、うなだれると眼下には堂島川。川面にゆらゆら揺れる曖昧な自分は、まさにそのときのボンクラ青年アサグレそのもの。立ち止まったまま、考えあぐねるのは思案橋ならぬ渡辺橋だった。
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2006年10月10日更新
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●プロフィール●
浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
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