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第三話 飛び込み
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入社しばらくして僕の朝はうどんで始まるようになった。会社に遅刻すれすれに滑り込み、がちゃんとタイムレコーダーを押すと、本部長の行ってこんかいの一言で尻を叩かれて外へ出る。
M広告社のビルは地下がそのままドー地下へつながっているので朝の地下街へ出たものの、新米の三行広告ご用聞きには回る先などどこもない。そこで仕方なく、こそこそと駅前第一ビルへ足を運ぶのだ。
というのも当時、ドー地下から地下でつながる第一ビルへ入ったすぐに、うまい立ち食いうどん屋があり、朝食をそこで済ませるのが僕の日課になっていたからである。
まず、すうどん(酢ではなく素である。一般にいうかけうどんのこと)に麺が見えなくなるぐらい天カス(揚げ玉のこと)をふりかける。
関西では一般的だが天カスは店のカウンターの上に常備されており、セルフサービス。つまりどれだけふりかけようとタダなのである。
その天カスうどん(要は東のたぬきうどん。西のたぬきは、きつねうどんの蕎麦版)に副食としておにぎり二つ。関西人はうどんで米を喰うのである。腹を満たせて、さてどうするか。その足でさらにビルの奥へ進む。そして背後をうかがいつつ、馴染みの喫茶店に忍び込む。
ああ、今日も行く当てなしだ。とふてくされながら、喫茶店に置かれた漫画を読んで昼まで時間を潰す。そして一旦、帰社。何事もなかったかのように繕って、先輩たちと昼飯に出る。
後には暇にまかせて大阪のあちこちを喰い歩くことになるのだが、当時はまだ先輩の顔色をうかがうためにも、僕は昼飯に同伴していた。数人で連れだって向かう先はM社の隣のビルだ。
当時、M社はM会館南館というビルに入っていたが、その隣が北館で、M新聞の大阪本社でもあり、地下が社員食堂になっていたのである。
その頃のM新聞の建物は古色蒼然とした昭和の洋館といったおもむきで、入り口のガラス扉に金文字に星のマークの社章、中に入ると地下へと続く階段には黒光りする木造の太い手すり。中之島にあるモダンな建物のA新聞とは対照的に由緒あるホテルといったたたずまいだった。
地下への短い階段を下り、食堂へ入る手前の壁には銀行のような人間一人が立って入れるほどの重厚な金庫が埋められている。
おそらく火災に備えた貴重品のための設備だろうが「金大中事件のときに、本人があそこに匿われていたらしいで」などと先輩から耳打ちされると、その鈍く金色に輝く金庫のハンドルがことさら意味深に思えてきたものだった。
なにしろ当時のM新聞社はエレベーターさえ蛇腹のドアなのだ。古いアメリカ映画に出てくるような鉄格子を斜めに組んだやつで、閉めた向こうが透けて見える。
ういいんと唸りながら動き始めると昇降の過程が一目瞭然。二階の床が目盛りのように下へと沈んでいくのだから。またこのエレベーターにはエレベーター嬢が勤務しており、蛇腹のドアをがらがらと閉めると、ドアの横にあるハンドルで百貨店のように操作を開始する。
なんとものんびりした話だが、M社を辞めて上京するまでの間、僕はこのエレベーターで記者がイライラしているところを見かけたことがなかった。おそらく机に戻ってすっぱ抜き記事を書くトップ屋は階段を駆け上っていたのだろう。
さて北館の地下でコイン数枚の昼飯だ。だが僕にはこの社食にちょっとした裏技があった。当時、この食堂に知り合いの音楽クラブの大学生がアルバイトしていたのである。
カウンターにカレーの食券を出し、ちらりと待機している彼に目配せすると、そこは以心伝心、いつもより大盛りの皿が登場することになる。駆け出しの野良犬飛び込みセールスマンではあったが、食い物にだけは恵まれていた。
大盛りの皿で満腹になったはいいが、昼からも、行く当てなしのさすらいのセールス行脚である。もう一度、馴染みの喫茶店で時間を潰すか、といっても店員の目がある。朝から夕方までなにもせずにいるのは暇つぶしではなく穀潰しだ。
では映画かパチンコか、といっても毎日やる余裕などない。それに雀の涙とはいえ、なんにもせずに月給をもらうのは良心が痛む。今なら蛙の面に小便だろうが、当時の僕はまだウブな一面もあったのだ。
どうしたものかと、悶々と街をさすらう。やることがない。しかし夜が近づいてくる。なんとか一日を終えても、また朝がくる。毎日、そんなことを繰り返していてなにも進歩はない。
なんだ、仕事しないで済むなら楽じゃないか。そんな感想を抱かれる方もいるかもしれないが、仕事がないのは、経験した者でないと分からない。それはそれで辛いものなのだ。自分が能なしの邪魔者であることを痛感する。
人間は群れで生きる生物である。本能のようにアウトサイダーとなるのを恐れる。その思いが日々募り、僕はなにかしなくちゃならないと鬱々としてきた。
飛び込みセールスをさせられて、数週間はそれでも真面目に励んでみた。手始めに学生時代に世話になっていたアルバイト先などに売り込みに出かけた。
しかしそれもあっという間にネタが尽きる。広告を出してくれそうな知り合いもコネもない、駆け出しのボンクラ青年は広告取りにどこへ行けばいいのか。
なによりすべての営業マンにとっての悩みの種である日報が夕方には待っているのである。本日はどこそこでこれこれの営業活動をしたと課長に報告し、課長を経て部長へ提出を義務づけられている。
そこに書き込む内容がないのだ。嘘八百を書き連ねるにしてもなにか材料が必要だ。一週間を誤魔化すことができる気休めでいい。せめて十軒ほどは顔を出せる先が欲しい。
でなければやがて必ずくる月末には女社長を前にして成績を検討され、三角の目でつるし上げを喰らう羽目になる。それを来月への期待につなげる程度に、どこか訪問先をひねり出す必要が生じてきた。
仕方なしに僕は徒手空拳とは分かっていても、手始めに馴染みになった駅前第一ビルから飛び込みすることにした。
案内広告の料金やサンプルなどを刷り込んだチラシが社にあったので、そこに自分の名刺をホッチキスで留めて、駅前第一ビルの裏にある郵便受けに投げ込んでいったのである。そして日をおいてビルに入居している企業を端から訪れていった。
アポイントもなければ、誰かの紹介もない。飛び込みセールスであるのはすぐに判明するので、親切な受付嬢が尾花打ち枯らした様子のこちらを見て、担当者に電話で確認してくれるのはいい方だ。
「こちらの広告担当者の方をお願いします。案内広告のことでお話があります」
と告げてみたものの受付で取り合ってくれず、仕方なしに名刺になにかありましたらと一文を書いて置いて帰るのを繰り返した。そうこうする内に、僕は駅前ビルをさすらう砂漠の旅人といった風になっていった。
スタートした第一ビルから数えていって第四ビルまで、地下でつながるそこは大小さまざまな企業が入る大きなオフィスビルである。地下の飲食街から上階のサラ金会社、第三ビルには銭湯さえ経営されている。そんなジャングルのようなビル群を僕はオアシスとなる訪問先を探してさすらい続けた。
とにかく門前払いの連続である。話など聞いてくれる人間はいない。行けども行けども間に合ってますの言葉ばかりで、次第に自分が先物取引か英語教材の詐欺セールスになったかに思えてきた。大学を出ていっぱしの社会人になったつもりが情けないことこの上ない。
あるとき、そのビル群の一角の不思議なスペースに僕は迷い込んだ。そこはなにかのオフィスらしいのだが、通路が防火ドアで閉ざされていてプレートに団体法人なになに会と掲げられている。
はて? 法人? 法人というのに飛び込みセールスをしたことはないが、辺りの様子からするとかなりのスペースを占有しているらしい。金はありそうだし、ここはひとつとそのドアを開いて驚いた。
ドアの向こうは通路に白砂。そこに京都の料亭のように飛び石が奥へと続いている。なんだ? 辺りには人影どころか物音ひとつしない。僕は仕方なしに仕切りで閉ざされて窓のない通路を蛍光灯が照らす中、飛び石を奥へと進んでいった。
すると突然、視界が広がった。広いフロアにお白州の庭が現れ、その中央に白無垢で築かれた社殿があるではないか。オフィスビルの中に白砂の庭、白無垢のお社。
夢でも見ているのかと思っていた僕は、そのフロアの奥にドアを見つけて我に返った。宗教法人なになに会とプレートがある。
なんとそこは新興宗教の本部だったのである。こりゃ、まずい。誰もいなかったのを幸いに僕はそっと退散することにした。
飛び込みセールスでこちらからご勘弁願ったのは後にも先にも、そこひとつだけだった。とはいえ、信者募集という三行広告などあり得なかっただろうが。
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2006年10月17日更新
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●プロフィール●
浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
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