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第五回 原稿依頼
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入社数ヶ月、M社で飛び込みセールスを続けていた僕だが、ときには向こうから案内広告を出したいからきてくれと依頼がくる場合がある。
これは行く当てなしの飛び込み専門営業マンには天からの声に近い。駆け出しの新人営業マンはM広告社には僕一人だったから、ほな、原稿を取ってこいとT内本部長からの命が下る。
そんな日は変なもので、サラリーマンなら誰だってできれば仕事などしたくないはずなのに、俺はちゃんと仕事をしているんだと安堵感に満たされる。
そんなある日、三行広告の依頼があったと媒体部の人間から声を掛けられた。媒体部というのは広告スペースの仕入れと広告原稿を各新聞社に搬入するといった連絡係を業務とする部署である。
通常、誰かが新聞に案内広告を出したいと考えた際、まずは新聞社に電話するものである。そこで新聞社の広告局はその依頼を各代理店に振り分ける。従って広告局からの連絡はこの媒体部へ打診されることになるのである。
媒体部は他にも原稿を書く作業もする。通常、案内広告は原稿を打ち合わせた営業マンが自分で書くのが慣わしだが、それとは別にやや専門的な案内広告があるためである。
例えば不動産物件などは定期的に出稿され、数が多いので電話で原稿送りなどをする。不動産広告には独自のルールがあり、掲載基準がややこしいのだ。これは媒体部の仕事となる。また黒枠といわれる死亡広告もそうだ。
黒枠はスペースをミリ単位で計算し、料金をはじき出す特殊な広告で、一ミリの違いがかなりの金額の差になる。しかも当人死亡後、翌日の通夜や告別式を知らせるために時間との勝負である。こういった専門的な広告は媒体部で扱う。
入社当初しばらくは僕もこの媒体部に仮配属のかたちを取り、営業活動とは別に徹底的に案内広告の書き方をマスターさせられたものである。
事務とか、秘書とかいった見出しに使う大きめの文字は一文字二マス二行分の倍角と1.5倍角がある。数字や約物は半角になる。ただし約物でも(株)は一文字ではいる。( )のことをパーレンと呼ぶ。ビックリマークである!はシズクと呼ぶ。※はコメと呼ぶ。などなどM新聞の案内専用の青い原稿用紙に向かって、しこしこと練習したものだった。
さてその日に媒体部から打診された仕事はちょっと変わった案内広告だった。聞くといつもの店員募集やら、生徒募集ではなく、尋ね人だという。
「尋ね人の広告って、どないしたらええんですか?」
するとそれはちゃんとした失踪人であることを示す書類を用意する必要がある。それに原稿を添えて、広告局に提出し、一応の審査後に掲載する手はずとなる。
ということなので僕は、かかってきた依頼人に電話して、その旨を告げ、さっそく原稿を取りに向かった。場所は尼崎の下町、そこで喫茶店を経営しているのだという。
教えられた店にはいると、中では中年の痩せた男性が肩を落として椅子に座っていた。M広告社の者ですがと告げると男性はこちらを振り返ってこういった。
「娘が家出してまいましてね……」
そう力ない語尾の後に男性は用意していた写真をテーブルに数枚広げると僕に説明を始めた。
「これが娘ですねん。まだ十六ですねんけど、この白いオートバイに乗って、先週、おらんようになってしもて」
見るとぽっちゃりとした女の子が原付バイクの前でポーズをとっている。
「悪い子とちゃうねんが、なにがどうなってしもたんか……。警察に届けたんですけど、そしたら失踪人の捜索は確かに失踪したという確証をもって開始するとかいわれて。なんのことか訊いてみたら、要するにこっちでも探してるという事実が必要らしいんですわ。とはいえ、探す当てがあらへんから警察に頼んでまんのに。それでそのことを説明したら、ま、要するに尋ね人の広告を出したら、立派に探しているという証明になるちゅうて」
そう告げて男性は警察に出した届け出のコピーをこちらに手渡してきた。
「ねえ、広告屋はん、娘、どないやったら見つかりますんやろ? どない書いたら戻ってきてくれるんでっか」
スポーツ紙や一般紙で皆さんも尋ね人の広告を見かけたことがあるだろう。ぎっしり記事と広告が詰まった新聞の片隅に、ぽつんと数行だけ、「父、涙多し、すぐ帰れ マサオ」とか「すべてを許す、連絡せよ マキコ」とかあるあれである。たった数行である。しかも掲載されるのは一日。どれほど目にとまる可能性があるといえるのか。
しかし肩を落とす喫茶店主にこちらの胸の内を伝えるのは、あまりに酷に思えた。きっと戻ってきてくれるはずですよ、僕も一生懸命、文面を考えます。
そう告げて事前に切り抜いてあったいくつかの尋ね人の案内広告を順番に店主に見せていった。予算の関係でM新聞と系列のスポーツ紙に掲載することに決めたが、財布が許す範囲はたった二行だけである。一行十五文字の文字数で、合計三十文字しかない。
そこに書き込める内容など、たかが知れているのだが、こうはどうか、ああはどうか、お父さんの思いはどうですかと相談し、原稿をまとめ、M広告社の方針は初めての客は広告料金前払いだったので、金をもらって領収書を渡して帰社した。
後日、掲載された新聞を掲載紙としてそのスペースがよく分かるように大きな矢印のスタンプを押して郵送すればその仕事は終了する。会社の女の子に郵送してと掲載紙を渡したが、無事に戻ってくれていればと、しばらく胸で思うばかりだった。本来、広告屋はこれからもどうぞよろしくとなるのだが、この場合はそうはいかないのだ。
一方でアルバイト募集の広告依頼がお初天神裏の蕎麦屋からかかってきたことがあった。瓢亭という名の店で、昼下がりの休みの時間にきてくれという。社からはすぐ近くでその時間にぶらぶら歩いていくと、初老の店主が待っていた。
「どうも最近の若い子はちょっと蕎麦が打てるようになったかいなと思うたら、すっと辞めてしまいますねや。そこそこ仕込んだったら、うちで蕎麦打ちに使ったろと思うてても、辛抱ができまへんねんな」
などとため息をつきながら嘆く。
「広告屋はん、できるだけ腰が落ち着く子がくるように書いてくれまへんか」
腰のある蕎麦打ち求むなんて文面は行数の都合上、冗談として胸にしまって、口振りも様子も職人肌の店主に感心しながら前金をもらって社に帰り、本部長に無事に原稿を取ってきたことを報告する。
「ああ、瓢亭かいな。お前、知らんのか。あそこはキタでも隠れた蕎麦の名店で、大阪の蕎麦好きは皆、知ってるで」
以来、僕はときおり瓢亭へ広告取りにではなく、昼飯を食べに足を運ぶようになった。またあるときは、ミナミのうどん屋へ原稿を取りにいったこともあった。
そこは以前にも出稿していた店で、またまた店員募集だったから、以前の原稿をちょいと手直しすればいいだけだったが、そのときはうっかり鉛筆を持っていくのを忘れていた。そこで店主にペンを借りて原稿をまとめて帰ったのだが、社に戻ると本部長から開口一番、雷が落ちた。
「鉛筆忘れて原稿取りにいくとは広告屋がなにしとる!」
あとで先輩に聞くとそこは本部長の幼なじみの店で僕が帰りの地下鉄に乗っている間に「T内、お前とこの新人、鉛筆も持たんと仕事しとるで」と新人教育の片棒を担いでくれたそうなのである。今の内にいっておかねば、ろくな広告屋にならないと思ってくれたのだろう。まったくどこまでもボンクラな自分である。
あるとき、看護学校の生徒募集の案内広告を取りにいくことになった。大阪はミナミ、桃谷という下町である。当時この辺りは大阪でも大衆的な地域で、木賃宿などがひしめいていたりする。
駅を降り、そんな界隈を縫って目的の看護学校へ進む道すがら、ガード下で露天商が店を開いていた。店といっても屋台でも平台でもない。
道ばたに布を敷き、そこに古着のシャツやズボン、コップや皿といった中古品を並べて売っているのである。露天商というよりも物売りといった方がふさわしい商いであった。
そこに奇妙な一品があった。安全靴である。安全靴というのは肉体労働の経験がある方はご存じだろうが、黒い革で作られた作業靴で足の指を怪我しないように爪先に鉄板が入っている。
ははあ、やはりこの辺りらしい商品だなと横目で眺めて、ふと首を傾げた。なんとその安全靴は右の片方しかなかったのである。露天の主は片方だけの靴を売っていたのである。
いくらなんでも、そんな需要はないだろうと踏んでいたのだが、原稿を取った帰りに再び通りかかると靴は売れていた。
安全靴を片方だけ失った客がいたのだろうか。それともそもそもの出元が……となにか裏がありそうな感想を抱いた。
大阪の街を北へ南へ、うろうろうろつき、飛び込みセールスを繰り返し、あるときは案内原稿をもらってくる。そんな日々を繰り返していると、こんなうらぶれた大阪の日常にときおり接することになるのだった。
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2006年10月31日更新
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●プロフィール●
浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
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