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第七回 昼食事情
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大阪の人間にとって食は大切な行為である。それはある種の経済活動あるいは研究評論活動ともいえる。
「今日の昼飯、どないする?」
「そやな、たまにはうまいもんでも喰うか」
「ええ店、知っとるんか?」
「どやろ、まあまあかな……」
こういった会話が昼時には大阪全土で交わされ、日々、フィールドワークが実践されているのである。
前述の会話の場合、「たまにはうまいもの」のフレーズがまずポイントである。そもそも、関西人にとって外での食事はまず対象がうまいこと。そして加えて安いこと。
この二点がバランスよくないと、関西人は「高いんやからうまいのは当たり前」「安うてもまずかったら金がもったいない」と判断する。わざわざ外で食べる以上、損をしたくないという意識が強いのである。
従って、たまにはうまいもんでも喰うか、の意味するところは、いつもの社員食堂や、めし屋ではないが、高価な食事ではなくとも、金を払う価値があるものを意味する。
ここでめし屋と書いたが、めし屋というのは、今はあまり見かけないが、僕がM広告社に入社した一九八〇年代は梅田、堂島界隈でも裏路地に店を構えていた。
おおむねスチールのテーブルに丸いビニールの椅子。一杯百円やら百五十円やらの飯を丼に盛り、あとはガラスケースに並んでいる百円均一の卵焼きやら、コロッケやら、煮物を好き勝手に選んでオカズにする。
東京にも、ちょっと前までは六本木食堂というのがあったが、せいぜい三、四百円で立派なご飯となり、五百円も出せば大名気分になれるような店のことである。
僕がときおり利用しためし屋は阪急梅田駅からOS劇場へ抜けていく雑居地帯にあった(*地図では?店で、木の葉丼が三百円程度だった。
木の葉丼とは関西特有の丼らしい。他地域では見かけた覚えがない。これはカツ丼を変形したものと考えていただきたい。
どんぶり飯の上にカツ丼と同様に卵とじが乗っているのだが、カツの代わりの具がスライスしたカマボコなのである。
形状が木の葉のようでもあるし、カツと思っていたところが、狐に化けされていたのか、実はカマボコでした。狐が騙すのに使うのは木の葉なんて洒落からの命名だろうか。
さてはて「たまにはうまいもん」とは、つまりいつもより少し値段が高いある程度の店である。そして大概それはトンカツだったり、洋食だったりする。間違っても鰻ではない。
鰻になると「今日はせっかくやから、うまいもん、喰うか」と「たまに喰ううまいもの」ではなく、せっかくやからが付随する微妙に違うフレーズとなる。
さらにそれがエスカレートすると「今日はいっちょ、奮発して、うまいもんをやっつけたる」と戦闘モードとなり、その場合は寿司かあるいは天麩羅か、ときにはフグとなるのである。関西人は食に対する力の入り具合が何段階かに分かれているのである。
いずれにせよ、関西人は食に関してどん欲である。M広告社に入社して数ヶ月は新聞社の社員食堂で我慢していた僕だが、その内に腹の虫が抵抗を始めた。舌の方も「なんかうまいもん喰わせろ」と加勢する。
そこで堂島界隈の昼飯をいろいろと探査することになった。まずは仕事場があるM新聞南館の地下だ。南館の地下は建物の形状どおりに四角いスペースで、そこにまさに四角い通路があり、いくつか店が入っていた。
ドー地下からその地下に入ってすぐが、カレーの「インデアン」。不思議なことに、大阪にはカレーの専門店が多い。梅田のピッコロは小さいながら有名で行列がたえないし、ミナミには自由軒がある。
自由軒のカレーも品名をインディアンというのだが、これは最初からルーがごはんに混ぜ合わさっていて、その上の凹みに生卵が乗せられている。従ってルーを自らかき混ぜる必要はない。
「ここのカレーはルーがあんじょうよう混ざってる」とは織田作の言葉で、レストランのお上品なカレーでルーがご飯に対して不足するという事態がないのである。その安心感とお得感も関西人の心理をくすぐるのである。
キタやミナミという繁華街だけでなく、僕の実家がある西宮にも、サンボアという店があった。ここは主に学生専門のカレー屋で、客の注文にあわせて、盛りを変えてくれるのである。
店のオバチャンが、このぐらいか? もっと。ほな、このぐらい? もっと。食べ盛りの学生の腹にあわせて盛りを増していき、しかしどんな盛りでも値段は均一なのである。高校生の頃だったが、一杯二百五十円程度だった記憶する。
M新聞南館にあったインデアンはキタで数店舗を構えるカレー専門店で、阪急三番街地下とドー地下にもあったが、当時は南館の地下にもあった。
カウンターにスツールが並び、座ると酢漬けのキャベツが小皿で出てくる。ルーは独特のスパイスを煮込んだもので、一口目は東京で売っているドリンク、ドクターペッパーのような味がする。
しかし食べ続ける内にそれが病み付きになり、週に一度は口にしたいと思う、後を引く味なのである。値段と味が手頃なので昼時はかなり混雑したものだった。
南館の通路をずっと進むと今度はロシア料理の鶴のすがある。ここはピロシキとボルシチが昼の定食だが、オムライスもかなりいけた。ボリューム満点なのも嬉しい。僕がM広告社に入るずっと前からあったのだから、堂島界隈のロシア料理の老舗なのだろう。
南館地下には他に天ぷらと寿司の福久寿などもあった。こちらは「せっかく」組に近い値段であった。そんな地下で食事をすると、残りの休憩時間を喫茶店で過ごす。
南館の地下にはやや大きな喫茶店というかパーラーに近い店としてオリオンというのがあった。昼でもグラスのビールを出しているような店だ。
店名の由来はかつてM新聞がオーナーであった球団のオリオンズからきている。しかしここは、新聞社、各代理店の偉いさんが贔屓なので僕はあまり顔を出さずに、奥にある間口三間ほどの店、ペガサスに行くことが多かった。
なんということはない喫茶店なのだが、その狭さがなによりで、同僚五、六人で入ると満席で、仲間だけの愚痴話や上司の悪口をできる点が気に入っていた。
南館の地下を出て中之島方向にドー地下を進むと、地下街の終わりに近い辺りにジャングルという喫茶店があった。
当時としても奇妙な店で店名どおり、内装がジャングルなのである。プラスチックの造花で店内びっしりに蔦やら芭蕉やら、樹木らしいものがひしめいており、梢にはオモチャの鸚鵡がとまっている。テーブルに着くと他のテーブルが容易にうかがえないような鬱蒼とした店である。
どこか同伴喫茶か風俗店を思わせる店なのだが、場所柄その手の店ではなく、びっくりさせたれという関西人特有の感覚が働いたのか、あるいはぎりぎりその手前として機能する隙間産業だったのか。
他にも南館はドー地下とは別に隣接するビルの地下へ通じる細い通路があり、その先には当時としては珍しい紅茶専門店のムジカがあった。
ここはちょっと小洒落た喫茶店で、セイロン紅茶が専門、セットでスコーンやサンドイッチがメニューになっていて、近くのOLさんたちには人気だった。同時、風靡していた聖子ちゃんカットのアンノン族御用達といった路線だ。
ドー地下から少し梅田へ戻った桜橋交差点辺りは現在のヒルトンホテルからは想像できない、戦後焼け跡のバラックを匂わせる雑多な地帯で、親指の先ほどある大きな蛸を入れたたこ焼きの蛸の徹、油で黒光りするお好み焼き屋(*地図では?などがあった。
それを横へ進み、阪神百貨店の裏にいくと、とにかく安さが売り物の中華のまるい飯店だ。この店の中華丼は当時でも三百円はしない値段で、味よりも、とにかく腹が一杯になるので、ときおり利用した。金がないときは御堂筋を渡って新梅田食堂街にある、立ち食いうどんの潮屋でがまんする。
潮屋の立ち食いうどんは近辺では銅貨数枚程度、値段が安く、天カスも大粒で穀物蛋白と脂肪分が低価格で摂取できるのである。
まるい飯店と潮屋は社会人になる前、大学生の頃から僕が知っていた店だ。というのも僕は一時期、国鉄の貨物の荷役をしていたのだ。
当時、大阪駅の地下は人知れず巨大な陸送の拠点で、百人近い荷役が交代で入る、大きな風呂、泊まり係のための軍隊のような二段ベットがいくつも並ぶ仮眠室。散髪屋まで備えた場所だった。
ここへ泊まり込みでアルバイトに入り、深夜に各地から大阪宛に陸送されてくる荷物をホームへ通じるエレベーターでトロッコと一緒に上がり、貨物車から運び出す。
出した荷物は一旦、大阪駅のホームの下にある学校の校庭並みに広い仕分け場で振り分け、北陸方面、東京方面、天王寺駅経由の和歌山方面と荷物の縄を手鈎でひっかけ、ずるずるとひっぱっていく。
アルバイトに入るのは夏休みの中元シーズンと冬休みの歳暮シーズン。何年かこれを経験し、熟練すると上の人から振り分けた荷物を入れたトロッコをタッカーという車で運ぶ役目におおせつけられたりした。
タッカーとは市場などで見かける円い筒型の牽引車で筒の上にハンドルが着いており、足場に立ってそのハンドルを操作して数メートルはある長い長いトロッコを目的の場所まで引いていくのである。
「どいてやー」などと叫びながら、荷役が蠢く隙間を器用にタッカーで進むのはどこか颯爽としていて手鈎で振り分けをしている作業員に鼻高々なものだった。
もちろん肉体労働の鉄火場なので、もめ事も起こる。また誰もが自分の手鈎を持っているものだから、ちょっとした怪我もする。
しかしそこは馴れたもので始まったとなると荷役がわっと二人の回りを囲み、互いの鬱憤が爆発するのを待ち、手鈎があがった時点で、長く勤めるオヤッサンがそこまでと合図して若い衆が数人掛かりで二人を羽交い締めにして引き離す。結果、額からたらりと血が出る程度で解決するのだ。
まだ腹の虫の治まらない当人同士だが、そこはオヤッサンがうまく塩梅して別々の部屋の二段ベットに振り分け、深夜の貨物便が着くと起床係が各寝室をカンテラを下げて起こしに回る。
「起きよおー、起きよおー」と当時でさえ、いにしえを忍ばせる四角いカンテラがぼんやり寝室に照らし回らされると、喧嘩の腹の虫より眠さの虫がうごめいて、いつの間にか仕事に就くという塩梅だった。
こうして朝を終えて、交代の荷役と入れ替わると作業員たちは三々五々、大阪駅から散っていき、「朝飯、なににする」「なんかうまいもんでも喰うか」となるのである。
つまり、関西人にとって「うまいもん」とは、今も昔も日常と日常を転換するリレースイッチなのである。
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2006年11月14日更新
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●プロフィール●
浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
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