パブリディ
title

第八回  二杯食う

  飛び込みセールスに明け暮れるボンクラ青年アサグレも、滅多にない幸運に恵まれることがある。
  それはいつものように門前払いを喰わされながら、ずるずる足を引きずって駅前第四ビルから桜橋の交差点付近へ流れ歩いてきたときのことだった。
  大阪の夏はけだるい。炎天下のビルからビルを回ると路上に陽炎が立ち、アスファルトがとろけて、革靴にぐちゃりと粘り着く。
  ビルに入れば間に合ってますで話にならないし、外へ出れば灼熱地獄。喫茶店はとっくの昔に粘った後だ。財布の金はとぼしいし、行く当てなどどこにもない。
  しかし外にいれば暑いので仕方なく目に着いた新しいオフィスビルに飛び込むと、ビルの二階はやけにガラス張りで、そのドアに英語学校の看板が掲げられている。
  僕は案内広告のセールスにいろいろな会社に飛び込んだが、中でも出稿の可能性が高いのは教育事業であるとうっすら理解できるようになっていた。
  一般企業の人事募集というのはおおむね春先が主で、それ以外は人員が辞めるまで、時間がかかる。一方で塾やらカルチャーセンターの生徒募集は随時のものであり、また商売になる絶対数を確保するためにはどうしても広告が必要になるのだ。
  なにもせずにただぶらぶらして帰っても、日報に書く嘘八百をひねり出す元気もない。とりあえず一軒、書き込む先を確保しようとその英語学校の受付に名刺を出した。
  生徒募集の件でお伺いしました、担当の方はいらっしゃいますか。とのたまえば、受付嬢が名刺を持って奥にひっこんで、しばし。ふらりと眼鏡をかけた三十代とおぼしき男性が出てきた。
「生徒募集の案内広告ですか。うちはA新聞がメインなのですが、M新聞ねえ」
  と話が始まった。訊くとここ半年ほど前から開校したらしい。生徒募集は確かに必要だが、M新聞ではやったことがないという。
  参考までにA新聞で募集をかけた原稿を見せていただけますか。と尋ねると男性は事務所から掲載紙の切り抜きを持ってきた。
  それがいつもの三行広告ではなく、二十行はあるかというもなかなのスペースではないか。ウチはM新聞の直属代理店ですから、かなりお安くできますが、試しにいかがですか。と持ちかけると、男性はしばらく考え、見積もりを見たいと口にした。
  これはひょっとすると、ひょっとするかもと、僕は掲載原稿の行数を数え直し、夕方近く社に取って返した。
  社に保存されているA新聞をひっくり返して、先ほどの英語学校の原稿を見つけだし、直属の課長に、実はこの原稿の学校が見積もりをといってるのですがと報告する。
  話は課長から本部長へと回り、まあ、当たるも八卦やろ、見積もりでも作って持っていってみんかいとのことで、許される範囲でいっぱいいっぱいのディスカウント価格を書き込み、翌日、相手に持ち込んだ。
  すると先方はこれでは、予算をオーバーする。行数を減らすか、あるいはもう少しなんとかならないかと、言葉の端ではどうも乗り気の様子がうかがえた。
  となるとここは粘りだ。ということで課長に再び相談。課長から本部長に話が回り、どうやろな、行数減らすか、まけたるか。うちも慈善事業と違うからなあ。
  そんないったりきたりを数度、繰り返してとうとう原稿出稿の目が出てきたのである。
「O西君、アサグレ君が例の英語学校に今日、目処が付きそうな見積もり持っていくから、君も同行したってくれ」
  とT内本部長が進行具合を見計らって、上司同伴のセールスとなった。連れだってO西課長と先方へ向かい、担当の男性と引き合わせ、どうぞ、よろしく。ということでそれではこの価格のこの行数の原稿でと出稿が決定した。
  詳しい掲載日はこのアサグレと詰めてくださいと、上司と僕はその日はそこまでで、翌日、再びその英語学校に顔を出した。
  すると最後の難関が持ち出された。代金の決算である。M広告社は初めての取り引きは前払いが慣習なのだが、金額もそこそこだし、先方は自分の決裁に合わせて、月末払いにして欲しいという。
なにしろ、初めての飛び込みセールスの成果が出たのである。門前払いを繰り返して、邪魔者のように扱われ続けたが、なんとかそれなりの仕事をものにしたのである。ここでこの仕事を取り逃すわけにはいかない。
  社に持ち帰って相談しますと、またまた課長に報告する。課長は部長に相談する。さてどうしたものか。T内部長は腕組みして思案し、ふと席を立つと女社長の部屋へ向かった。
  すると数分して、女社長と本部長が連れ立って僕のデスクにきた。いつもは三角の目で睨みを利かせている女社長はT内本部長から話を聞いて説得されたのか、「アサグレ君が初めて取ってきた仕事やし、本来ならウチは前金やけど、今回だけは」ということで向こうの条件を呑むことになったのである。
  先方の依頼は月の初めの掲載だった。僕はさっそくその旨の連絡を先方に入れ、しゃんしゃんと手を打ち、さっそく原稿を手配し、月の頭に晴れて原稿が掲載された。
「やったな、アサグレ君。その調子でがんばんねんぞ」
  先方に掲載紙を届けて社に戻ると課長、部長のお褒めにあずかり、そうか世の中の広告営業マンは、みんなこんな感じで汗水流して、足を棒にして、やっとここに掲載されているように原稿をもらっているのか。
  みんな大変なことやな。それでもなんとかしてるんやな、などと感慨が湧いた。よし、俺ももう一仕事頑張るかと、またまた原稿掲載後、飛び込みセールスに明け暮れ、間に合ってますとの声を背中で聞きながら、月末近くになった。
  さて、例の仕事の集金だと先方の英語学校のビルへおもむくと、なんだか様子が変だ。いつものガラス張りのフロアが、やけにがらんとしている。
  いつものようにドアを開けて入ろうとすると鍵がかかっている。はて、平日の今日なのに、どうして休みなんだろうと首を傾げていると、そこへふらりと一人の男が現れた。
「兄さん、なにしとるんや」
  と男が尋ねるので、これこれの集金なんですがと説明すると、男は苦笑い。
「アホやな。ここは先週、夜逃げしよったで。わしはここのフロアの管理人やが、えらい目にあったわ」
  僕は唖然とした。やっと手にした仕事が、イタチの最後っ屁だったのである。男に訊くと半年ほど開校していたが、思ったほど生徒が集まらず、資金繰りに困っていたという。そこに、のこのこ駆け出しのボンクラ広告屋が顔を出したのである。
  もっけの幸いと相手は最後の最後になんとか募集をかけて生徒が集まればと考えて、こちらに原稿を出稿したのだ。そして月末、案の定に首が回らなくなり、夜逃げしたのだ。前金で金を払えないのは当たり前だ。
  僕は心臓が縮む思いだった。こちらが逃げたしたい心境だった。社に戻ってなんと話せばよいのか。このまま家に帰ろうか。
  それとも旅に……。とはいえ、いつまでも逃げられるわけではない。こちらの住んでる場所も、なにもかも分かっている。そして相手に夜逃げされたのはいずれ判明する。
  泣く泣く僕は社に帰った。そして事件を報告した。課長、部長、社長は並んで三角の目をした。説教は延々と続いた。当然である。僕がもう少し頻繁に相手の様子を伺っていればよかったのに、原稿出稿後は一仕事終わりとばかりにふらふらしていて、先方に顔を出さなかったのだから。
  その夕方、やっと説教から解放された僕はやけ酒をあおった。新梅田食堂街で立ち飲み、ウメ地下で立ち飲み、ふらふらになり、家路につこうと阪急梅田駅に向かう高架を歩き出した。
  すると高架に正座して頭をじっと下げている男がいるのである。ぼろぼろの真っ黒けの恰好で、微動だにしない乞食。自分の前に小さなボロ布を広げ、その横には白墨でなにやら書きつけてある。
「もう三日、なにも食べていません。どうかおめぐみを」
  といった文面だった。僕は胸を突かれた。その男がまるで自分のように感じられた。僕はズボンのポケットに残っていた小銭数百円を全部取り出すと男の布に置いた。
「おっちゃん、がんばりや。これでなんか喰うてえな」
  僕は震える声で自分を励ますように小さく男にそう告げた。そして自宅に戻り、べろんべろんのままベッドにもぐり込んだ。
  明けて翌日、サラリーマンは出勤しなければならない。事件のあととはいえ、会社に行くことがなによりサラリーマンに課せられた義務なのだ。
  社に着き、しーんと冷たい氷の世界でがちゃんとタイムレコーダーを押し、こほんと小さな咳払いが聞こえ、いたたまれなくなり、僕は今まで適当に日報で嘘をつらねていた架空の相手先を訪問すると課長に告げて、社から逃げ出した。
  暑い暑い大阪の夏の日差しの中、どこにも行く当てがない僕は、できるだけ会社から遠くへいこうと考え、地下鉄でミナミの天王寺へとさすらい出た。
  駅を出て、どこかで涼むかと天王寺の高架を歩いていると少し先で男が正座している。微動だにせず、ただ頭を下げてじっとしている。目の前には布、その横に白墨で書き付け。
「もう三日も……」
  読まずとも文面は分かった。なにが三日も飲まず食わずだ。飲まず食わずの人間がどうやってキタの梅田からミナミの天王寺までこられるんだ。お前も一杯食わせたな。
  どこまでもボンクラな自分が情けなかった。僕は自分の甘さに怒るに怒れず、陽炎の中、男に背を向けて天王寺から退散することにしたのだった。


2006年11月21日更新

●プロフィール●

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
ご意見・ご感想、みなさまの声をお待ちしております!コチラから ご意見・ご感想、みなさまの声をお待ちしております!コチラから
とっても便利な更新お知らせメールのお申し込みはコチラから とっても便利な更新お知らせメールのお申し込みはコチラから
▲ このページの上に戻る >> トップページに戻る

 Copyright©2004 Makino Publishing Co.,Ltd. All Right Reserved.