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第九回 運転顛末
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M広告社のオヤッサンと呼ばれるT内本部長は広告屋として古式ゆかしいファッションセンスの持ち主だった。
僕が入社した春、新入社員二人(僕と受付として入った女性)を歓迎する意味で、M広告社は恒例の新社員歓迎旅行として淡路島へ観光にいった。
当時の若者のファッションとして流行していたのは女性はJJから発信された神戸や横浜のハマトラ。バギーパンツのような粗めのニットのパンタロンパンツに髪の毛をさらさらと伸ばして、やや斜めを向いてハンドバッグを提げた肩に手をやって写真に写るというのが一世を風靡していた。
男性はジーンズだが、女性と同様に粗めのニットのパンツの灰色やらなにやらがもてはやされていたように思う。
しかしT内本部長は違った。社員が先に淡路島の旅館に着き、だらだらとしている中を接待ゴルフを終えてかけつけたT内本部長はというと、白の上下のスーツに白のベルト、白のエナメルの革靴という出で立ちである。
なんだか日活アクション映画を彷彿とさせる恰好に僕は思わず息を呑んだ。もはや派手というよりも、一歩間違うと出来損ないのジェームス・ブラウンである。
唯一それを救っているのはT内本部長の後退した頭で、それがあるおかげで変な人ではなく、ああ、大阪のオッサンなんかいなと安堵できる感じであった。
あるとき、僕は靴屋にお目見えしたクラークスのワラビーシューズで仕事をすることにした。大阪の街を北へ南へと広告取りや飛び込みセールスに放り出され、入社当時にあつらえた革靴では、歩きづめの日々は足が痛くてかなわなかったのである。
なにしろ、朝から夕方までとにかく足で稼がねばならない。普通の革靴では豆が絶えないのである。
バックスキンの靴は僕の幅広の足にはちょうどよく、よし、これで仕事をと思っていると、二三日して僕の靴に気が付いた本部長が、朝出勤すると僕をデスクに呼びつけた。
「アサグレ君、それはなんや。そんなんは、遊びの靴や! サラリーマンはちゃんと黒い靴を履け!」と怒鳴られたのである。
今では普通の企業の社員も口髭を生やしたりしているのだが、当時の感覚は髭どころか茶髪などはとんでもない。ましてやカジュアルシューズなどといったファッションセンスなのであった。
その旧態依然とした価値観はサラリーマン一年生で、しかも駆け出しの広告屋に対しても同様だった。なにしろ台風が接近してざざ振りの日も原稿を取りに行かされ、駅から先方までタクシーを使ってもいいかと尋ねると、歩いていけの一言。
お陰で傘など役に立たない道を濡れ鼠で歩かされたものである。本部長に限らず、おおむね会社の先輩らの頭の中にある僕に対する概念は大卒新入社員ではなく、新しい丁稚奉公がきよったぞという感であった。
ファッションセンスというと直属の上司にあたるO西部長も少し変わっていた。当時既にTシャツというのが定着し、ときにすれ違う若手サラリーマンのワイシャツの下に絵柄が透けて見えていたりしたのだが、その新入社員歓迎旅行でO西部長はTシャツ姿で現れた。
しかしそのTシャツの下にはランニングシャツが透けて見えているのである。部長の頭の中でTシャツはアンダーウェアでなく、オーバーウェアだったらしい。当時の大阪オッサンというのは、シャツと名がつくものに対してまだそのような概念であったのだ。
僕はO西部長の透けているランニングを見たときに「ああ、この人は絵に描いたように真面目な人なのだな」と直感した。少し砕けた人ならばTシャツのなんたるかぐらいは見聞していただろう。その直感は当たっていた。
入社すぐ、僕は直属であるO西部長とともに社の営業車に同乗して得意先回りの助手をしていた。しかし僕は運転免許を持っているのだが運転役ではなかった。
というのも入社早々、新入社員のやるべき仕事としてM広告社では女社長を車で送り迎えするというのがあった。もちろんそれは社員としては予備的な仕事であり、さすがに女社長も気をつかうのか、「アサグレ君は車を運転できるの?」などとそれとなく尋ねてきたものだった。
そしてその送迎係を仰せつかって、素直にこなしていると女社長のお眼鏡にかない、そこそこ無難な仕事役へと付ける、いわば最初の出世コースなのであった。
しかし僕はその送迎係を断った。その辺りの事情に気が付かなかったこともあった。また大卒社会人一年生としての仕事にしてはあまりに情けなくプライドが許さなかった。加えて物理的な理由もあった。なぜなら僕はとても運転が下手なのである。
運転免許を取るには当時まだ合宿制といったものもなく、教習所へこつこつ通って取得するのが普通で、時間がかかる。そのために大学生時代に免許をと、僕はがんばって教習所へ通ったのだが、僕の免許取得は通常の人間の倍はかかった。
なにが駄目かといって車の幅が把握できないのだ。なんとか免許を手にして数度、友達を乗せて運転の練習をしたが、どの友達も助手席でひどく怯える。あるときなどは自転車を追い越したのだが、僕の車が横にきたとき、外で自転車が激しいブレーキをかけたのを今だに記憶している。
加えてハンドルさばきも駄目である。あるとき、夜に運転練習をしていたところ、警察のねずみ取りにひっかかった。スピードは出してはいない。だから捕まるはずはないのだが、警官二人は僕の車を止めさせ、こういった。
「あなた、お酒を飲んでますね」
「いえ」
「そんなはずはない」
そう断言して車のドアを開けさせ、警官二人は車内に乗り込んでくる。
「窓を閉め切って。こうしているとすぐに酒の臭いが充満して分かるんだよ」
いわれたとおりに窓を閉めて、警官二人と僕はじっと待った。しかし五分過ぎても、十分過ぎても酒の臭いはしない。当然である。まったくの素面だったのだから。
「おかしいな。そんなはずないのに」
「本当に飲んでませんよ」
「馬鹿な」
そこまで警官はいって、しかし誤認逮捕かと心許なくなったのだろう。僕にやっと運転免許を提出するように告げた。
そしてその免許をあらため、僕がまだ初心者であることを確認し、やっと事の次第を理解したらしい。警官は沈黙すると車のあちこちに視線を走らせ、のたまった。
「おや、初心者マークを付け忘れてるな。はい、罰金」
そういって切符を切ると免許を返しながらつぶやいた。
「あんた、本当に運転が下手なんだね」
警官はてっきり僕が酒飲み運転でふらついていたと信じ切っていたのである。
というわけでこのような顛末を女社長に聞かせ、その送迎係を断り、部長の運転役を断りしていたのだが、それでも当初はO西部長は部下として僕を助手席に乗せて一緒に得意先に連れて行ってくれた。
定期的に出稿される予備校や英語学校の生徒募集の原稿を部長の横でメモし、社に帰ってその原稿を書き、間違いがないかチェックしてもらって媒体へ提出する。
ときには注文のあったチラシをトラフィックする。そういった、いわばごく当たり前のルートセールスだったのだから、文句のあろうはずもないのに、やはり僕は愚痴ったらしい。
らしいというのは当時の僕にはそれが普通の感覚で、生意気であることすら気が付かなかったのだ。しかしあるとき、O西部長と原稿の仕上げをやっているときに釘を刺された。
「まったく、アサグレ君はこっちが一言いうと、二言も三言も返してくるんやな」
僕がその言葉の意味に気が付くのは、さらに数年してコピーライターの卵を始めたプロダクションの先輩デザイナーにいわれてからだった。
「まったくアサグレは、すぐに泣きを入れるんだな」
二度目のよく似たその言葉で、やっと僕は自分がいかに鼻柱が強いかを悟った。つまりそれまでの僕はなにごとにつけ「だって」が始まるのだ。
そして歯を食いしばるというのが嫌で自分がスポットライトを浴びていないと気が済まなかったらしいのだ。結果、失敗して「どうせ」の連続で、人の意見に耳を貸す事など皆無。自分の意見しか述べない人間であったのだ。相手の歩調にあわせるということなどかけらもできなかったのだ。
そんな部下が毎日、原稿を間違えては、なにかいい、チラシのデザインを見ては反抗し、その言葉を車の中で聞かされるのは、たまったものではなかっただろう。家庭と会社に更年期の奥さんが二人いるようなものだ。
こうして数ヶ月の後、お前は一人でやっていけとT内本部長の厳命を下された。その日から僕はO西部長お気に入りの社用車、白の日産ブルーバードの助手席からお払い箱になったのである。
女社長の運転役から外れ、ルートセールスの役回りから排除され、飛び込みセールスに飛ばされ、そして僕を待っていたのはさらにドブ板のような役回りの仕事であった。
それは案内広告の飛び込みセールスと同時に別途担当させられた地方紙面の広告取りだったのである。
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2006年11月28日更新
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●プロフィール●
浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
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