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第十三回 鉄道事件
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オール地方版の初セールスがポシャってしまい、僕はふてくされた日々を過ごしていた。どうせ、まじめにセールスしたところで誰も相手にしてくれない。
どころか仮に仕事を取ってきても、いろいろな横やりやら、いじわるやらトラブルで原稿掲載にいたらないではないか。
とすれば真面目に仕事をしてなんになるのか。誰が喜ぶのでもなく、なんの成果にもならないではないか。ただ同じことを繰り返していくだけではないか。
ただ会社の利益が小指の先ほどだけ、伸びるだけで、そこになんの価値もないではないか。僕はそんな実感を抱いた。
ならば、いいさ、その日その日を適当にやり過ごして、ノルマの期日がきたならば、じっと頭を下げて嵐をやりすごせば。
いくらつるし上げが辛いといっても死ぬ訳じゃああるまいし。すっかり負け犬根性が体に染み渡ってしまった僕は、朝に会社に出ると、セールスと称して適当に大阪のあちこちで時間を潰す日々を過ごすようになった。
ある時は梅田のポルノ映画館、ある時は駅前第三ビルの食堂街、またある時は心斎橋の喫茶店。
ひどいときは社を出て、その足で同じビルの地下にある名画座にもぐりこみ、夕方まで時間を潰すようになった。
しかしそんなことを繰り返していると給料日が過ぎてすぐに小遣いが底を付く。仕方なしに中之島の図書館にぶらぶら暇潰しにいったり、ひどいときは南森町の公園で終日ぼうっとしていた。
ときには母校の大学へ向かって、後輩たちと楽器の練習をするなんてこともしていた。そんなある日、あまりにやることもなく、金もなく、さて今日はどうやって時間を潰すかと思案に暮れたことがある。
とりあえず社は出たものの、行く当てはない。このところ、数回、母校の後輩と遊んでいる。あまり頻繁だとこちらの面子もある。
どうしたものかとぶらぶらと足を運んでいるとちょうど国鉄の大阪駅まできた。とりあえず構内に入ってみると路線図が掲げてある。
ああ、列車にでも乗ってみるか、どこかへ出かけてみるかと僕はなんの気になしに目的地を選別していた。するとふとアイデアを思いついたのであった。
東京には山手線といって東京駅を始点に上野、品川、渋谷、池袋とぐるぐる電車が回っている路線があるが、その関西版は環状線といって大阪駅を始点に大阪市内を循環している。
ははあ、待てよ。こいつに乗って、退社時間までぐるぐる大阪を回ってるのはどうだろう。座る席は確保できるし、暑さ寒さもしのげるし、喉が渇けば売店がある。
暇なら網棚に投げ捨てられた雑誌でも新聞でも読んでいればいい。万が一、社の人間に見つかったとしても、セールスの帰りだとかいえば、まったく疑われない。
考えてみれば仕事をさぼるのに、電車ほど快適で安全な場所はないではないか。しかも入場券を買って乗れば、驚くほど安上がりですむではないか。
僕はそう思いつき、その場で切符を買うと環状線の車中の人となった。ちょうど網棚にあった週刊誌を手にとり、やれやれこれで今日一日、やり過ごせると安堵した。
列車は大阪駅を出発し、時計回りに進んでいく。桜ノ宮、京橋、鶴橋、人が下り、人が乗り込み、発車のベルが繰り返す。
天王寺、新今宮、弁天町。雑誌を読み終えたのでやることもなく、車窓の風景に目をやる。西九条を過ぎ、再び振り出しの大阪駅。また列車は桜ノ宮へ進む。
うとうとしてきた。目を閉じる。睡魔の波の中に到着した駅名のアナウンスが聞こえてくる。そうやって二周ほど環状線をぐるぐるしている内に睡魔から現実に引き戻された僕が腕時計を見ると昼時になっていた。
ああ、昼飯にするか、一旦社に帰るか。そう考えて、ちょうど大阪駅に到着したところで僕はホームに降り立った。
昼時の人波にまみれながら、改札へ向かう。そしてそのまま入場券を渡して改札を出ようと、足を踏み出したときだった。
「ちょっと、よろしいか」
そう背後から声がすると同時に僕の両腕が左右からがっしりと抱きかかえられた。なんだ? わけもわからず僕が左右を見ると男が二人、僕の体を確保するように腕を取っている。
髪を七三分け以上に短く刈り、地味なグレイの背広姿。僕と変わらない程度の小柄ではある。しかしその腕と体勢は柔道の左自然体とでもいっていい姿勢で、びくともしない安定感があった。
二人の男は改札を出ようとしていた僕をするすると構内に連れ戻す。そして階段の脇にあった係員詰め所のような場所へと誘導するように連れ込んだ。
なんだ? なんのことだと室内に入る前に僕が見ると扉に鉄道公安官詰め所とプレートが掲げられていた。
「あなた、先ほどから環状線を何度も循環されてましたね? 私たちはずっとあなたの行動を見ていたのですよ。言い逃れはできません。そうですね?」
中にはすでに待機中の男たちが数人いた。その猛者に囲まれ、僕はスチールの机を前に簡易椅子に座らされると、男の一人が低い声で尋問を始めた。
「一体、なんの目的であんなことをしていたんですか? ちゃんと説明しなさい」
まなじりを釣り上げた風に男は続ける。突然の出来事に僕はなにがどうなっているのか、理解に及ばなかった。
説明の言葉も思いつかない。どうなにをいえばよいのか、そもそもどうして僕に目を付けて逮捕したのか、見当もつかないのだ。
僕が黙っていると係官はしばらくこちらを見つめ、言葉を発した。
「すみませんが、ポケットの中の物をすべてここにだしてください」
そういってスチールの机を示した。場所はすでに鉄道公安官の詰め所である。しかも相手は多勢に無勢。逃げるにも、戦うにも旗色は悪い。
仕方なしに僕は尻ポケットの財布。鞄の中身。名刺入れやらなにやらを机に広げていった。
「他に何も持ってないな」
そう確かめ直すように男はこちらを確認する。見ての通り、すべては机の上だ。僕はうなずいた。すると取り調べの一人が名刺入れの中身を全部引き抜いた。そしてそれを見ながらつぶやく。
「M広告社、営業部……」
その言葉に奇妙な空気が部屋に流れた。ため息とも安堵とも、徒労ともとれる数秒の空気である。その後に最初の男が言葉を発した。
「あんた、M新聞社の広告の人? あんなところでなにしてたん?」
公安官に拘束されて頭が真っ白になっていた僕はその大阪弁にため息を吐いた。逮捕された意味はまだ分からないが、どうも本来の目的とは少しずれているような様子がやっと理解できたからである。
僕は仕方なしに、今日一日、特にやることがなかったので、環状線で暇潰しをしていたこと。どうして環状線を選んだかというと、金がなかったこと。便利であると気が付いたことなどを正直に述べた。
すると男は机に引っ張り出していた名刺を元に戻すと鞄やらなにやらから出したものを元通りにしていいと告げた。
「あのね、あんたの行動はどう見てもあやしいんだよ。それにね、鉄道規則では運賃は利用した距離によって支払うことになっているんだよ。つまり、あんたが入場券で何度も環状線を一周したのは規則違反なんだよ」
男はそう告げると、引き出しから数式表のような紙片を取り出し、やれやれといった案配で計算を始めた。
そしてあんたの乗った環状線の回数はこれで、それを計算すると、これこれの金額になる。従ってそれを支払えと請求してきた。
「本当なら、このような事件は会社に身元確認の電話をするところだが、あんたもそれでは立場がないだろう。今回は大目に見るが二度とこんなことはしないように」
男はそう結論めいたセリフを吐くとこちらの出方を待った。もはや言い逃れのできる状況ではないし、事を荒立てて、仕事をさぼっていたことが社に公になるのもマズイ。
僕はなくなく財布からなけなしの千円札を数枚引き出すと、それを渡し、ようやっと彼らから放免されたのだった。
国鉄の改札口から外へ出ると真昼の大阪。そして帰った先はM広告社のどんよりとしたような社内。
僕は昼飯にビルから外へ出て、なにを喰うか思案しながら、さっきの異常な状態と今のいつものけだるい日常を比較しながら考え込んだ。
なぜ、鉄道公安官は僕に目を付けたのか。そして僕から目を離さず、環状線をずっと一緒に回っていたのか。
そのときが、特別な厳戒態勢であったのか、取り締まり強化期間であったのか、それは未だに分からない。
ただ彼らから見て僕が、どう見ても怪しい人物であったのだけは確かだった。社会転覆をもくろむ危険分子などてはなく、ただの野良犬セールスマンに過ぎない僕。
しかしそのときには彼らには、いや、傍目にも僕はそう見えてしまうほどのひどい様子だったのだ。
要するに線が切れた奴、頭のネジが変な奴。なにかやりそうなせっぱ詰まった奴。その頃の僕は官吏にはそう見えていたのだ。以来、僕は列車を仕事をさぼる場にするのはやめることにしたのだった。
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2006年12月26日更新
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●プロフィール●
浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
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