パブリディ
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第十四回  土曜出勤

  僕が社会人一年生としてM広告社に入社した当時、多くの企業はまだ完全週休二日制を導入しておらず、従って隔週の土曜日に半ドンで出勤する当番があった。
  普通のサラリーマンなら、やれやれたまの休みなのにどうして半日のために会社に出なければならないのかと、ため息をつくところだが、僕は違った。
  どちらかというとその半ドン出勤が嬉しかった。というのも土曜日の半ドン出勤は電話番の仕事だったからだ。
  クライアントからの連絡や新規の案内広告の注文があるかどうか、あればそれに対応し、または連絡すべき社員に電話をする。
  土曜の電話番はそういった内容の仕事だったので唯一、飛び込みセールスをせずに済み、さぼっている一日の言い訳を日報に書き込まずに済む勤務なのだ。
  それはある意味で誰からも後ろ指をさされず、普通の社員として会社にいられるという安堵感を持つものだった。
  半ドンの当番は各部からひとりずつといった制度である。経理兼総務から一人、媒体から一人、ふたつの営業部から二人。
  出勤する営業マンの組み合わせは当然、なにかあったときの対応のためにバランスを考える。つまり課長程度の役職者であるベテランとその下の兵隊数人の持ち回りだ。
  しかし上司は土曜日に出勤してくると何があるわけでもない半日なのは承知なので、適当に外へさぼりに出る。
  アサグレ君、わしはどこそこにおるから、なにかあったら連絡してくれ。あるいは、ちょっと得意先回りしてくるわ。用事があったら昼に戻るからメモしておいてくれ。
  といった案配でパチンコに行くのか、映画でも見に行くのか、ふらりと姿を消す。結果、社内にはぼんやりと新聞を読んでいる経理からの社員と僕だけが残される。
  がらんとした誰もいない社内でやることもなしに僕は椅子に腰かけ、はてさてなにをしようかと当初は考えていたが、その内に文庫本を持参するようになり、ちりんとも鳴らない電話を前に、源氏鶏太や獅子文六を読みふけるようになった。
  M広告社は新聞社の隣にある関連ビルの三階にあり、表通りである四つ橋筋に面している。ひとつ下の階は大きなホールで、土曜日などは、なにかのコンサートなのだろう。ときおりリハーサルらしき楽器の音が漏れてきたりした。
  そんな土曜日の昼頃、僕は本を読むのに飽きて、たまには重役の席に座ってやれと、島の頭に当たる窓辺の席に腰かけた。
  ふううん、そうか。部長職や専務職からは平の俺はこう見えるのかなどと視線を投げていたのだが、その内につまらなくなり、背後の窓の外の景色をぼんやり眺め始めた。
  四つ橋筋はビジネス街であるので土曜日は人通りがとぼしい。それでもときおり、つらつらと人が行き来する。
  その人影をビルの上から見ている内に僕は奇妙な発見を得た。揺れである。揺れというのは通行人の歩き方に揺れがあるということなのだ。
  どうも人間というのは上から眺めているとその歩行姿勢がよく分かるらしい。青年や中年といった体力のある年齢の人間は頭が一定していて揺らぎがないのだが、子供と年寄りはどうも頭が左右に揺れて歩行が蛇行するのだ。
  体力によっては首が定まらないとでも言えばよいのか、人間の歩行は頭部が影響力を持つらしい。まあ、考えてみれば器官の中でもっとも重い物を首の上に乗せて歩いているのだから、当然といえるのかもしれない。
  そうか、人間というのは上から見ても年齢が把握できるのだな。そんなつまらない発見に感心していると、もうひとつ同じようなことに気が付いた。
  通行人の中に唯一、目が会うタイプの人間がいるのだ。目が会うというのは変な話だが、ビルの窓から見下ろしている人間と目が会うのだから、当然通り過ぎる人間は空を見上げていることになる。
  その唯一の目が会う人種とは子供。道を歩きながら唯一、空を見上げる種類の人間、それが子供なのである。同じように蛇行する老人といえども、空は見上げない。その他の年代と同様に前を向いている。
  母親に手を引かれつつ、空を見上げて揺れながら歩く子供を見ていると確かに自分もそうだなと思った。
  自分も空を見上げなくなって久しい。どころか、いつの間にか下ばかり向いて、うつむいて暮らしているような気がする。
  社会生活が板に付いてくると同時に人間は空を見なくなるらしい。学校に入り、大学を出て、社会にもまれ、あれやこれやで空とは疎遠になるらしい。どうにもせち辛い話である。
  さてそんな小さな発見の後、半ドンのお勤めが終わると午後からはフリーである。せっかく梅田まで出てきているので、その足で家に帰るのはもったいない。
  そこで古本屋を漁ってみたり、二本立ての映画を見たりなどして適当に時間を潰し、夕方前から一杯やることになる。
  その頃、僕がよく通ったのは立ち飲み屋や安い居酒屋で、国鉄の高架下に当たる新梅田食堂街はひいきの場所だった。
  ここに立ち食いうどんの潮屋やニッカバーの北海があることはすでに書いたが、それ以外にも南のおでんで有名なたこ梅の支店、洋食のマルマン、北で一番安い居酒屋と評判だった大阪屋などがあった。
  中でも僕がまずビールで一杯と手始めに寄るのは串カツの松葉。今も昔もここの串揚げはとても僕の舌に合い、なにより好きなのはレンコンである。
  しゃきしゃきした歯ごたえに甘いソースの味がこたえられず、つい二本も三本も手を出してしまう。
  生ビールでそれなりにほろ酔いになると、どうも人恋しくなる。誰かと話をしたくなる。そこで足を阪急東通り商店街に向ける。
  この辺りは北のバンドマンのたむろするエリアで、いろいろ仕事も多い。僕も学生時分、バンドでライブハウスに出演していたり、他のバンドのトラ(エキストラ)として稼いでいた。
  例えばバンド仲間がアルバイトをしていた喫茶店、OSパーラーの角から通りを進んで新御堂筋を渡った先にチャーリーブラウンというライブハウスがあった。
  この店はカントリー系統の音楽を中心に毎晩、バンドが生出演する。学生時分の僕がアルバイト稼ぎに精を出していたのは、この店の他に夏場には阪神百貨店の屋上のビアガーデン。
  月に数度はその地下にあるテキサスというカントリーガールの恰好のお姉ちゃんがいるラウンジ。他にもピザチェーンのシェーキーズ、太融寺にあるポテトキッドなども縄張りだった。
  大学一年、二年はまだ演奏の腕も大したことがないので、普通のアルバイトばかりだったが、三年を過ぎるとそれなりに人前で聞かせられるようになり、以降はずっとバンドで小遣い稼ぎをしていた。
  その当時の仲間は結局そのままプロになった人間も多い。そして僕のバンドも社会人になって一年ほどは月に一度の出演は続けていたのだった。
  新梅田食堂街からネクタイをゆるめて阪急ファイブの横の路地を抜けて、まずシェーキーズをのぞく。ここは日暮れどきには、その日の出演のないバンドマンがたむろしていることがある。
  そこで誰ともなしに見知った顔に出くわすとしばらくビールとピザ、鷹の爪をたっぷりまぶしたフライドポテトで噂話になる。
  そこそこおだを上げると、次はバナナホールという北の小振りなイベントスペースの手前にある樽正へ繰り出す。
  すると九時過ぎ辺りからあちこちでライブを終えた仲間が三々五々、ここに集まってくる。
  樽正の名物は夏でも店の前で煮ていたおでん、そしてシメサバ。関西ではシメサバのことをキズシという。生寿司とでも書くのだろうか。
  それを魚に定職に就かずにミュージシャンをやっている仲間と酒を飲み、馬鹿話に興じて終電で帰るのである。
  単なる電話番に過ぎないが、その土曜日の一日は唯一、ちゃんと社会人をやったという感慨があり、安心できるものだった。なにしろ週が明ければ再び野良犬の飛び込みセールスマンに戻るのだ。
  夜更けて千鳥足で阪急の梅田駅へ向かうと月曜日を思って長いため息が漏れる。そして僕はガードをくぐったところで、ふと思いだし、夜空を見上げた。
  一体、いつまでこんなことやっているのだろう。この夜空のどこかに、なにかやるべきことを示唆してくれ星でも輝いていないか。
  俺がいられる場所、いてもよい場所は一体、この大阪のどこかにあるのだろうか。そんなセンチな思いを漂われて、いつも土曜日の夜は終わるのだった。


2007年1月9日更新

●プロフィール●

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
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