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第十五回 初の出稿
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千年一日の如く、日報に嘘の報告を書き込み、さて今日の午前はどこそこで商談、午後はなになにでセールス。
などと真っ赤なでたらめを並べていた僕だったが、あるとき、その日報記載の言い訳のための得意先から奇妙な申し出があった。
というのも毎日だらだらと時間を潰す不良社員ではあるものの、たまには時間潰しの方法自体を考え出すのが面倒になり、週に一度ほどは虚偽記載用のお得意へ顔を出したりしていたのである。
その中のひとつが太融寺にあった朝のお勤めが名物のビジネスホテルだったのだが、ある日、従業員一同が広間に介して太鼓の音ともにお経を上げ終えて、広告担当である支配人がロビーに出てきた。
何度か通う内にホテルの受付嬢にも朝の行事にも慣れっこになったのだが、いかにもホテルマンといった感じの真面目で丁寧な物腰の支配人には、どこまで世間話、馬鹿話をしていいのか、どうにも掴み所がなかった。
なにしろなにかを話し出しても相手は「はい」または「いいえ」といった趣旨の答えしか返ってこないのである。まったく無口なお父さんといった人柄の人だった。
その朝も僕は天気の話から始めて、この頃仕事はいかがですかといった当たり障りのない話を切りだし、人事募集、集客用の広告の話はないですかと尋ねて、ものの十分ほどで切り上げるつもりであった。
すると支配人は広告の話を受け流すと僕の顔をしばらく見つめ、不意にいつもと違う言葉を口にした。
「アサグレさん、あなたお幾つですか」
はて? なんだろ。突然、プライベートな質問に戸惑ったものの、ははあ、やっとこの支配人もこちらにうち解けてきて、話をする気になったのかと思い、その質問に大学を出たばかりのこれこれの年齢と答えた。
すると支配人はしばらく黙り、またこちらを見つめるとさらに質問を続けた。
「失礼ですが、今、お給料はいくらいただいているのですか」
うむ? なんだ? やけに突っ込んだ質問だな。あるいは経費はあるのか、ポケットマネーで酒ぐらいは接待できるのかと訊きたいのだろうか。
そんなことを頭で呻吟し、僕は再び実際の給料よりも数万ほど上乗せした金額を相手に告げる。
そう答えておけば、一杯やりにいくにしても相手が遠慮することもないだろうし、少しはつき合いが深まるだろうと思ったのだ。
すると僕の答を聞き、支配人は再びこちらを見つめると突然、びっくりするような申し出をしてきたのである。
「アサグレさん、あなたウチにくる気はないですか?」
その唐突な申し入れに一瞬、僕はきょとんとした。そしてやっと支配人が切り出し始めた質問の意図を理解したのであった。
支配人は僕をこのホテルの従業員としてスカウトしよう考えていたである。
「あなたはなかなかセールスマンとして熱心な面があります。どうですか、ウチのセールスマンになりませんか」
僕はつくづくこの人の真面目さに感心した。と同時に自分のことが恥ずかしくなった。どうやら支配人は週に一度、顔を出す僕をその行動から粘り強いセールスマンと勘違いしたらしいのだ。
この若いのはウチにくるのと同様にあちこちの会社に新規開拓のためにこうやって顔を出しているのだろう。そして定期的なスケジュールを組んで順番に回っているのだろう。だからいつもウチに週に一度のセールスがあるのだ。
支配人はそう考えていたらしい。しかしその実、本当はどこにも行くところがないから、毎度おなじみのお邪魔虫をしているだけなのである。ただ嘘を考えつくのが面倒なだけになっていたのだ。
相手を訪問した事実さえあれば、あとはどんなことでも日報に記載できる。なにしろ、行ってこいの一言で一人で社から放り出される一匹狼だ。間違っても上司がたまには同行してやろうなんて話はないのである。
だから売れる見込みどころか売るつもりさえさらさらない広告のセールスをこうやってしているだけなのだ。暇つぶしに喫茶店に顔を出しているのと大差ない行為なのである。
それを真面目な支配人は好意的に解釈してくれたらしい。さて、どう答えたものか。今度は僕が黙ってしまう番だった。
「ええと、そうですね。僕はまだ広告の仕事を始めたばかりですし、もう少しこの仕事のことが分かって自分に向いているかどうか判断できるようになれば考えさせてもらうのですが」
僕は必死で頭の中でどうしたものかと悩みながら、遠回しに申し出を断ることにした。というのも、支配人はセールスマンとしてこちらをスカウトしましょうと申し出てくれているのである。
それはありがたい話なのだが、結局セールスの仕事には変わりがない。おそらく今のような行ってこいの野良犬みたいなセールスよりはまともな状況になるだろう。
だがセールスであるならば、いずれまた自分はこのホテルチェーンの上司なり先輩に煙たがられ、いつの間にか隅に追いやられ、または多少順調な仕事ぶりであったとしても、くさるに違いないだろう。
とにかくほとほとセールスという仕事に自分が向いていないことは思い知らされているのである。いずれはそう変わらない立場に落ち着くに違いない。そう考えたのだった。
「そうですか、分かりました」
支配人はそう告げるとそれでは広告畑でがんばって下さいと逆にこちらを励ましてくれた。その日、昼に社に帰り、D井さんと昼飯に出るとこっそりその話をしてみた。
「なんでや? アサグレ君、この会社におるよりずっとええんとちゃうか。断ることはあらへんがな」
とD井さんは怪訝な顔をしながらそういった。確かにそのとおりなのだが、しかし僕がそのときに感じたいずれ元の木阿弥だろうという予感は拭いきれないように思えた。
僕はおそらくいずれこの会社を去ることになるだろう。しかしそれはきっと別の会社のセールスマンとしてではない。そのときに僕は初めて漠然とそんな実感を抱いたのである。
さてそんな出来事から一カ月した頃だったろうか。するとまたまた支配人から突然の話があった。
転職を断ったといっても、相変わらず行く当てなしの野良犬セールスマンであるこちらの状況にはなんの変化もなかったので、僕はそのホテルへ照れくさいながら茶飲み話代わりに顔を出していた。
いつものように物腰の穏やかな真面目な様子の支配人が朝のお勤めを終えてロビーへやってくる。僕はいつものように椅子で待っていて立ち上がり挨拶する。すると支配人がいった。
「アサグレさん、ちょっと待っていて下さい」
そう、のたまったかと思うとついとフロントの方へと戻った。そしてホテルの茶封筒を持ってくるとなにやら中から引っ張り出した。
今度はなんだ? そういぶかっていた僕の前に示されたのは他紙で掲載されているそのホテルの突き出し広告である。
「アサグレさん、この原稿をあなたがいつもいっているオール地方版という紙面に掲載するにはいくらかかりますか」
支配人はテーブルに広告原稿が貼り付けてある便箋用紙を置くと真顔でそう質問してくる。僕は驚いた。確かにこちらから何度も訪問してはセールスをしてはある。
しかしそれはどうせ空振りだろうし、今まで特に広告の必要などなさそうな返答ばかりだったのだ。
ましてや宿泊客の見込めるようなシーズンでもなく、これといった宿泊企画がある様子でもなかった。つまり広告する必要など皆無なのに、無駄な広告を出稿しようと支配人は告げているのである。
いいんですか? とはさすがに口には出せないが僕は首を傾げるばかりの支配人の申し出にその原稿を頂戴して、さっそく社に帰って見積もりを明日にでも届けますと答えた。
明けて翌日、すっかり慣れ親しんだ見積もりを自分で作成し、なんだか雲を掴むような話だと思いながらも再びホテルにそれを持参した。
「分かりました。では出稿しましょう」
支配人は見積もりを見て、かねて僕が口にしている安い金額であることを理解し、その場で出稿を決定した。
なんだろう。もしかして僕はこの人を騙してしまったのではないか。地方にセールスすれば地方から大阪にくる宿泊客にアピールできますとは口にしてはいたが、この人はそれをまるきり鵜呑みにしてしまっているのではないか。
もちろん期待できないこともないが、しょせんは広告であり、効果など水物。測定できるような代物ではないのだ。あまり過度に期待されてはあとでひどいことにならないか。
あまりにすんなりと話が進んでしまってむしろ僕の方が遠慮しそうな心理になったが、しかし出稿してもらえるなら喉から手が出るほど原稿は欲しい。
僕だって新米ではあり、飛び込み専門ではあるがセールスマンである。その本能はどんな職種の営業だって同じである。金を稼いできてなんぼというのは骨の髄まで染み込んでいるのだ。
恐る恐る僕はその話を頂戴して、掲載へと進めることにした。今回は大手のホテルチェーンであるし、M紙以外には出稿している経緯もある。
職種も社歴も問題ないので、会社謄本がどうの、審査がどうのというややこしいハードルは皆無だった。
そしてとうとう、そのホテルの突き出し程度のスペースの原稿が生まれて初めて飛び込みセールスの成果として実ったのである。しかも売れようはずのないオール地方版でである。
僕は掲載日が決定してからも狐につままれたような思いだった。さすがに今回は完全前金とは本部長も切り出さなかった。なにしろ相手は夜逃げなどできないホテルチェーンである。
支払日は向こうに合わせればいい。ただし契約書を交わしておけとそんな書類を僕に持参させただけで済んだ。
明けて数週間後、原稿が問題なく掲載され、僕はそれを朝一番で支配人のもとへと持っていった。
どんつくどんどんの太鼓が終わると掲載紙を持ってくるのを聞いていた支配人が広間からこちらにくる。
僕がお礼を述べ、挨拶を済ませ、掲載誌を渡し、ほらここに、このように掲載されております。とその小さな広告を指し示す。
すると支配人は「はい」と小さく答えてしばらくじっとその広告を見ていた。僕は再び掲載してくれたことに礼を述べ、またなにかありましたらなんでもどうぞと告げた。またうかがいますからと。
すると支配人は珍しくにっこりと笑うと僕の方を見ながらこう述べた。
「アサグレさん、実は私は来月でここにいないのですよ。九州へ転勤することになりまして。おそらくあっちで定年迎えることになると思います」
支配人はそう笑いながら話すとその掲載紙を丁寧に畳み直した。やっと僕は支配人の真意が分かった。
支配人は定年前の転職の置きみやげととして僕に広告をくれたのだ。熱心にセールスに通う若者に対して励ましの意味を込めて広告を出稿してくれたのだ。
頑張れよ、負けるなよといいたかったのだ。僕はそのときに頭の下がる思いでその短い言葉を聞いた。そしてつくづく自分のボンクラぶりが悔しくてならなかった。
翌月、支配人は言葉通りに転勤されていった。そんなことがあって僕は再びふてくされていた飛び込みセールスの仕事にもう少し真面目に取り組んでみようかと考え直したのだった。
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2007年1月16日更新
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●プロフィール●
浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
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