パブリディ
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第十六回  金沢出張

  貧すれば鈍す。あるいは衣食足りて礼節を知る。そんな諺があるように、安月給のぺーぺーのセールスマンである僕はぼろぼろの地べたを這う生活を続けていた。
  スーツは二、三着、食事は立ち食いうどん、酒は立ち飲み。経費は月に五百円。給料の大半はだらだら時間を潰す喫茶店や名画座に消える。
  しかしそれは僕に限らず、M広告社にいる社員すべてに共通するといえた。その象徴的な事件がある日に起こった。
  それはあれやこれや、うろうろと新人セールスマンとして過ごしている内に年が暮れ、正月が明けたときのことだった。
  三が日はさすがに休みのM広告社だったが、四日目には仕事始めとなり、僕はいつものように堂島へと出勤した。
  すると社内はてんやわんや大騒ぎとなっている。特に重役たちが、わあわあと会議室へ入ってはまた出てきて、なにやら連絡を取り、取ったかと思うとまた参集して社長室へ閉じこもったり。
  おかげで僕は行ってこいの一言を頂戴することもなく、椅子に座っていたのだが、とうとうしびれを切らしてD井さんにそっと尋ねた。
「なにかあったんですか?」
「金沢の支社や。あっちで造反があったそうやで」
  僕よりも少し早く出勤していたD井さんは顛末を最初から見物していたらしい。それを昼、喫茶店で説明してくれた。
  なんでもM広告社の金沢支社につとめていた社員が所長をのぞいて全員正月付けで辞職したという。
  所長がその朝、出社すると経理の女性をのぞくすべての社員の机に辞表があり、誰も顔を出さない。ばかりか家に電話しても誰も連絡が取れないという。
  当時、M広告社は大阪本社以外にも東京と金沢に支社を持っていた。そして金沢の支社はあちらの得意先をいくつか持っている以外に独自に若者向けタウン情報誌を発行していた。その広告収入が主要な売り上げだったのだ。
  タウン誌という仕事の性格上、金沢支社の社員は所長以外は当時の僕とさしてかわらないほど皆若い。それが会社の待遇に不満を常日頃から抱いていたらしいのだが、とうとうその正月を最後に全員が辞表を出して出社してこないというのだ。
  どうもいくら頑張って広告収入を増やしたり、タウン誌の部数を伸ばしても給料に反映されないばかりか、労働条件も改善されないというのが原因らしい。
  金沢の社員が全員ある日いなくなった。それだけでも社の仕事は進まないので大変なことなのだが、事件はそれだけではなかった。
  というのも辞めた社員らは独自にちゃんと次の仕事の準備を進めており、それがなにかというと今まで自分たちがやっていた情報誌の対抗誌のかたちでタウン誌を発刊することだった。
  なんとその顛末は年末に入稿し、正月明けに刷り上がったばかりのタウン誌に掲載されており、金沢情報(M社が発行していた情報誌)は編集部が一新されます。私たちは新しく「金沢倶楽部」として進んでいきます。
  と編集後記で宣言されているという。へへえ、やるもんだなと僕はにやついていたのだが、今まで上から若手を押さえ込んでいた管理職の面々は青天の霹靂だったろう。慌てるのは当然である。
  とにかく金沢支社の管理担当であるS戸専務(女社長の子息)が列車でその日の内に金沢へと急行していった。
  正月のことでもあるし、新聞社の広告局やその他の媒体関係が年賀の名刺を持って社に出たり入ったりして、事件のこともあり、数日はM社は雑然としていた。
  そして次の週、ある朝、僕がM社に出勤するとS戸専務が社長室で僕を呼んでいると本部長から伝えられた。
  なんだ? またなにかお小言か? そう苦虫を噛みつぶしながら僕が社長室に入っていくと専務が告げた。
「アサグレ君、しばらく金沢へ出張してくれ」
「は?」
「向こうのタウン誌はこのまま続けていくことにした。金沢組の造反をはいそうですかと指をくわえて見ているわけにはいかない。しかしタウン誌を続けるといっても人員がとても足りない。東京からO崎課長、大阪からS田部長と制作のH尾君らが行く。君もメンバーだ。あと足りない人手はアルバイトを募集する」
  突然の命令に唖然としたが、社命なので断る余地はない。翌週、僕は大阪から金沢へと向かった。
  朝の出勤時間に間に合うように乗った早朝の列車が金沢駅へ着くと僕は肩を落としてホームに降り立った。すでに大阪組はそれぞれ単独で金沢入りしている。
  僕は朝食がまだだったので、ホームの立ち食い蕎麦に寄って唖然とした。なんと黒い出汁なのだろう。大阪のうどんとは、てんで違う。
  その味の濃い蕎麦はそれなりにうまかったが、どうも異なる文化圏に入り込んだと第一印象を与えてくれた。
  M広告社の金沢支社は新聞社の金沢支局がある小さなビルの一階である。ビルというよりも二階建ての商店程度のスペースだが、立地は金沢駅からすぐ。
  そこをホームグランドに向かいにあるビジネスホテルを根城とし、朝にホテルから道路を渡って出勤、仕事、としばらくは雪隠詰めというかたちになる。
  とにかく僕はその朝、肩の雪を払いながら、ぐちゃぐちゃとぬかるむ雪道を金沢支社へと入った。
  無事到着した僕を待って、さっそく先に金沢入りしていた専務を交え、大阪からのS田部長と制作のH尾さん、受付兼社長秘書であるM好嬢、そして東京からのO崎課長とでミーティングとなった。
  まずはとにかくタウン誌を続けていくこと、編集体制、広告体制を整えて、従来通りの仕事をしていくこと。それを今まで出稿してくれていた得意先に説明し、今まで通りの取り引きをお願いしたいと話して回ることから始まった。
  といってもタウン誌は月刊誌であるのですぐに次の号の発売が迫っている。それいけ、突撃という感じで僕は用意されたばかりの金沢支局の名刺を箱ごと持って金沢市内を回ることになった。
  タウン誌の広告、しかも地方の情報誌である。雑誌に掲載されている広告は小さな物ばかりで、その得意先も雑貨店、食器屋、映画館、レストランといった個人事業主が大半だ。
  それを回る内に確かに金沢組がよくも頑張って、こんな小さな広告をこつこつと集めて雑誌を販売していたものだと感心させられた。僕と同様の給料でこの仕事をしていたのならば彼らが待遇に不平をいうのも当然な気がした。
  なんと北陸の人間は粘り強いのだろう。僕はそれを思い知らされた。僕などは冬の金沢はわずか一日で嫌気がさしたのにである。なにしろ、四六時中、視界にちらちらと粉雪が舞っているのである。まるで放送が終了したテレビの砂嵐のようだ。
  午前中に香林坊、片町などの目抜き通りの商店街を回り、昼に社に帰ると今度は顔合わせが待っていた。
  事前に緊急に募集した情報誌のスタッフとして働くアルバイトの面々がぞくぞくと集まり、編集兼広告取りのメンバーとミーティングなのである。
  彼らはまだ学生だったり、今でいうニート、つまりは休職中の人間で、その彼らと最も年が近い正社員は僕だった。
  アルバイトのメンバーは四、五人だったろうか。その中に男が二人、S川とK野というのが、いずれもとんでもない野郎で、初日は猫を被っていたのだが、やがてその馬脚を現すこととなった。
  とにかく仕事は来月号のタウン誌をなんとか出版すること。それに載せる広告を前号同様に得意先から獲得してくることである。
  というのも造反組の出す情報誌も、こちらと同様のターゲットであり、広告の出稿先もまるで変わらないのだ。
  要は得意先の奪い合いなのである。ただし地の利がない分、こちらはやや分が悪い。僕はS川とK野とともに悪戦苦闘することとなった。
  それでもそもそもタウン雑誌の広告は、細かい仕事だけに造反組も知恵を絞っていたらしい。一回こっきりの掲載契約はほとんどなく、定期出稿、最低でも数回が最低条件として結ばれていた。
  こうやって数日、僕は雪降る金沢をうろうろし、なんとか割り振られた得意先をキープし、道路をはさんだホテルと支社を行ったり来たりを繰り返し、次号の発行の目処をがついたのだった。
「アサグレさん、カントリー音楽がお好きなんでしょ?」
  そんなある日、K野が仕事が終わろうとする夕方、そういってきた。
「ああ、好きやで。それが、どないした?」
「なんだか、犀川を超えた先の寺町にそんな店があるらしいんです。今晩の晩飯はそこで食べません?」
  それ以前から僕はそのアルバイトの面々、同じ出張組のメンバーと晩飯はずっと外食だった。それで二つ返事でその店に出向くこととした。店の名前はバッファロー。
  酒が飲めないS川の車にK野と同乗してその店に入ると、驚くべき出会いが僕を待っていたのであった。


2007年1月23日更新

●プロフィール●

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
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