パブリディ
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第十七回  再会二景

  金沢というのは少し変わった街で、独特の文化圏である。それがどうであろうかというと、パトロン指向があるのである。
  パトロンといっても女性に対してのそれではなく(ある意味で女性も含まれるが)多くの若者に対してパトロンが存在するのだ。
  例えば若者が片町などの商店街で食器店や飲食店を開業したいとする。するとその店のオーナーがパトロンとなり、店の実質の経営面、品揃えやら料理の内容やらは、それを申し出た若者に一切をまかせる。
  つまり若者文化を尊重して、好きにやらせてみるという風土があるのだ。それゆえに商店や飲食店の店長はおしなべて若い。ディスコ(今のクラブ)も映画館館主もフレンチやイタリアンのレストランも店長は二十代であった。
  またそんな風土であるので、タウン誌などには敏感で大阪ではぴんとこない話も若者同士の感性で広告出稿などがスムーズである。
  M社が出していた情報誌は二十代を中心に上下十歳までがメインの読者層であったが、それ以外にも古くから続く文芸的なタウン誌もあり、そちらは熟年層をターゲットに漆器やら工芸関係の広告収入で成り立っていた。
  大阪では金になりづらいクリエイティブに対する感性も、金沢では文化として尊重するムードがあるらしい。どこか京都の学生文化を大切にする雰囲気に似ているといえばいいだろうか。
  もちろん店主として店を切り盛りしていても赤字となるとパトロンからお叱りを受ける。そこは当然のことで、例えば僕が担当したスポーツ量販店の店長もそうだった。
  その店長は一メートル九十センチはあろうかという大男で、しかも柔道かラグビーでもやっていたようながっしりとした体躯。性格も豪放磊落なタイプで広告原稿の打ち合わせなどはとてもフランクなものだった。
  だがある日、掲載誌かなにかを届けにいったら、事務所で年輩の男性になにやら小声で話しかけられており、その大きな肩をしょんぼりと落とし、よく見ると自分よりも断然小さなその男に叱られているらしく、肩を震わせているのだった。どんなに大男でも恐いものは恐いらしい。
  さて若者文化といえば演劇、映画、漫画そしてなんといっても音楽である。当然、M社の出している情報誌も音楽に関しては重要な項目としてページを割いていた。
  コンサート情報や地元のライブ情報を中心にヒットアルバムやなにかの記事もあったように思う。
  M広告社の情報誌は僕らの新規メンバーによって継続された当初は、情報誌の編集など手がけた者がなかったので、編集面は前述の熟年層向けのタウン誌を発行していた編集プロダクションと協力体制を敷いていた。
  しかしあちらから若手の人員を派遣してもらうとしてもやはり数には限りがある。そのために学生時分に音楽をやっていた関係で、僕も音楽に関する編集部分では多少のサポートをさせられることになった。
  まずは情報源となる東京にある各種の音楽誌への打診と地元のレコード店などの訪問。そして北陸全般を取り仕切っているコンサートの興行会社への挨拶回りをすることになった。
  そんなある日、ちょうど金沢を皮切りに北陸圏でサザンオールスターズがコンサートをやることになった。いい機会なのでグラビアでそのコンサートのレポートをやろう。という企画が編集部で持ち上がり、その記事の仕切りを僕がまかされた。実際の記事は同行するアルバイトに書かせることにして、僕はさっそく、コンサートの興行主である北陸キョードーの事務所に挨拶にいくことにした。
  北陸キョードーは金沢に事務所を構えており、電話で情報誌に記事を書きたいとのたまうとオーケーをもらえ、教えられた事務所に入るとびっくりだった。
  兼六園の近くの雑居ビルの一室がその事務所で人員二名。所長と部下一名の総員体勢で各種のコンサートを切り盛りしているのは、まあ働き者だでいいけれど、その所長というのが三十前後の男性。
  さらに驚いたのはその部下である平社員がなんと僕の大学の同級生だったのである。A生というその同級生はそもそも出身が金沢で、大学時代は関西で下宿し、就職後、地元に帰っていたのだ。
  そうなれば話は早く、仕事帰りに近くで一杯やりながら、お互いの近況を確かめ、今後ともヨロシクということで、コンサートの当日はフリーパスで記事が仕上がったのだった。
  さてビジネステル住まいで金沢に滞在し、ホテルと情報誌の事務所をいったりきたりだけの毎日の唯一の楽しみは仕事を終えた後の夕食だった。
  そこで前回に記述したように僕はアルバイトでやってきたI川とK野が見つけてきた犀川を超えた先、寺町にあるバッファローという店に繰り出した。
  二人はカントリー音楽好きの僕のために、面白そうな店を見つけだして、一杯御馳走になろうとたくらんだのだろう。
  I川の車が室生犀星が名をとった犀川を越えて左折すると寺町通りは川向こうとは打って変わって静謐な住宅街ともいえる場所だった。そこを数分も進むと道路沿いに木造のカントリーハウス然とした店があった。
  駐車場に車を入れて、ははあ、なかなかそれらしい店だな。ただしそこで気を許すのはまだ早いと僕はその店のドアを開けた。
  なぜ気が早いのかというと僕の好きな音楽はカントリー音楽のジャンルでもブルーグラスという特殊なもので、いわゆるウェスタン音楽ではないのである。
  ブルーグラスは主にアメリカ南部の民謡で、巷にあるカントリーのお店と名うっているのは大概、西部地域の音楽ウェスタンの方である。だから趣味の範囲からいうと多少は近くとも、それそのものではないのである。
  ドアを開けて店内に入るとおやっと思った。流れている音楽に耳を澄ますと、どうも南部のドロ臭いサザンロックではないか。
  ふううむ、悪くはないな。少なくとも僕らよりも上の世代のウェスタン指向ではないらしい。店はコの字のカウンターとテーブルがあり、奥が厨房らしい。カウンターの内側では背の高い若者が客あしらいをしていた。
  僕らは店のカウンターに座り、とりあえずバドワイザーかなにかを頼み、腹が空いているのでなにか旨いものをとそのマスターに問うと名物のシチュウがあるという。
  マスターはそれを三人前だよと厨房に声をかけて、サザンロックがお好きなのですか、ええ特に弟がね、などと談笑しばし、厨房からその髪の長い弟君がシチュウを運んできた。
  そこで僕は金沢二度目のびっくりを体験したのであった。なんと奥からシチュウを運んできた若者は誰あらん大阪梅田のチャーリーブラウンでミキサーをやっていたS山氏だったのだ。   その男性は音楽好きで学生時分にライブハウスであるチャーリーブラウンでミキサーを始めて、数年そんなことを仕事にしており、僕のバンドもその店によく出演していた関係で、仲良くなっていた。
  ステージの合間の休憩時間はせまいミキサーブースがバンドの控え室兼用だったので、ビールを飲みながら馬鹿話をする仲でもあった。だがそんなつき合いが数年続いた後、里帰りしてしまっていたのだった。
  ああ、こんなところで。お互いに絶句した後は、キョードーの際と同様、互いの近況となり、その夜以来、僕は週の内、数度はバッファローへ足を運ぶことになった。
  なにしろ大阪時分の顔見知りである。見知らぬ土地で心を許して酒を飲める場所を発見したのだ。その日まではどこの店に行っても、どうも外からきた人という感触で扱われる感が否めなかった。
  お陰で金沢人の感覚、考え方、またどこら辺りにはどんな店があるとか、どんな人物がいるといった情報を入手できることとなった。
  さて情報誌は二号目を無事に出版したものの、金沢組との競合状態は相変わらずだったし、広告収入はあまりぱっとしなかった。
  そこで我々は新たなクライアントの開拓のために二人一組であちこちへ飛び込みセールスに回ることになったのだった。
  金沢にきてもまたまた飛び込みである。しかしバッファローのお陰で近々、どこそこになになにという店がオープンするらしいという情報は入手でき、僕と営業補佐の形でアルバイトをしていたI川はあちこちをうろつくこととなった。
  またI川は一風変わった男で、どこから情報を仕入れてくるのか、なになにのレストランが開店するらしいとか、これこれの喫茶店ができるらしいとどこからともなく、話を聞き込んでくるのである。
  そんなわけで僕とI川は今日はレストラン、明日は喫茶店と飛び込みで走り回った。大阪でさんざん飛び込みセールスの痛みを味わった僕だったが、このI川という男は生まれ持って、セールスの天性があるのか、なぜかするするっと相手の懐に立ち入って、いつの間にか向こうをその気にさせてしまう。
  結果、いつの間にか出稿の話がまとまったり、広告は出ずともレストランのメニュウといった印刷物などを仕事として取ってきてしまう。
  あるときなどはふと車の中で「そうそう、アサグレさん。そういえばなになにという店がチラシを作りたいといってましたよ。ただし予算がどうもね。どうせ作るならそれなりにイラストも欲しいですしね」などといいだすではないか。
  イラストレーターに頼むと予算がはみ出すけれど、そういえば情報誌でアサグレさん、四コマ漫画を書いていますよね。なんとかしてくれません? などと持ちかけてくる。
  僕はその時、情報誌の捨て記事として誌面を埋める関係上、四コマ漫画やクロスワードパズルを作っていた。
  四コマ漫画を掲載していたのは、実は大阪で飛び込みセールスをやっていたときに、なんらかの都合で小さなカット絵が必要になり、僕が自身で書いたところ、それを見たデザイナーのH尾さんがうまいじゃないのと覚えていたからだった。
  結果、その店のチラシはI川が器用にとりまとめて、僕のカットで印刷される運びとなったのだった。
  僕はその仕事を完了しつつ、横目でI川を見て、世の中には天性のセールスマンというのがいるのだなと感心したのだった。



(*編集部より:「大阪堂島物語」は媒体をあらためて継続する予定です。)


2007年1月30日更新

●プロフィール●

浅暮三文(あさぐれ・みつふみ)
1959年兵庫県西宮市生まれ。幻想小説、モダン・ファンタジーを中心に執筆。『石の中の蜘蛛』で日本推理作家協会賞を受賞。著書多数。最新刊はフィッシングエッセイ『ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版刊)。
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